素直な人(三)後

 セヴェーロはグラスを傾けると、わざと口を閉じるように酒を飲み込む。

 口端から垂れた雫が、綺麗な顎のラインをなぞるように流れ落ちた。


 ――どうやら義手の話はお気に召さなかったみたいだ。


 ベルティはじっとその様子を見つめながら、目を細める。

 手が無かろうが、足が無かろうが、運命の番であれば見た目に対してさほど興味はなかった。……いや、好みの顔と体が付いていたら嬉しいのは間違いないが。


 それで言ったら、セヴェーロは間違いなくベルティの『好み』だった。

 小柄な見た目に、触り心地の良さそうな白い肌。顔は愛らしいよりも目鼻立ちのはっきりとした美人めで、特にその鋭い目元と黒い瞳が美しい。


 今は酒のせいで上気した肌も色っぽく、潤んだ瞳が熱を帯びて危うい雰囲気があった。……自分でも不思議なほどに、その姿から目を離すことができない。


 ――触りたい。

 ふと、そんな思いが何処からともなく湧き上がって理性を揺すった。

 その雫を指先で拭い取ってやったら、どんな顔をするんだろう。……少しはこっちを見てくれるだろうか。


 腕を伸ばしかけたところで、セヴェーロはグラスを下ろすとシャツの袖で酒を拭った。それでもまだウイスキーは半分ほど残っている。


「……酒、全然減ってないね」

「大尉が、濃く……作ったんでしょう」


 重そうに黒い瞳がこちらへ一瞥をくれる。


 ふわっと、誘っているかのような良い匂いが鼻先を軽く引っ掻いた。

 昨日よりも絶対に濃くなっている。無理に掴んで抱き寄せたいほど優しく甘い匂い。


 喉の奥が、欲情に乾いていく気がした。


「飲んであげようか。それとも……まだ俺と居るために残しといてくれてるのかな」


 そっと身を上げ近づく。

 酒のせいで反応が遅れたのだろう。ハッとしてセヴェーロの目がこちらを向いた時には、立ち上がれないよう右肩を押さえ、頭上から見下ろしていた。


 ――本当にいい匂いだ。

 睨み上げてくる瞳を見ていると、ドクドクと体の中の血が熱くなってくる。

 本能のまま手を伸ばし、熱い頬に触れた。短い髪を掻き上げるように耳を撫でる。


 抵抗しないなら、このまま――と逃げられないようスーツのジャケットを握りしめ、ベッドに押し倒そうとした時。

 バシャっと目の前を酒の滴が舞い上がった。


 ベルティは驚いて手を止める。

 セヴェーロの髪と顔から濃いウイスキーが滴り落ちた。フェロモンの甘い香りが強いアルコールに塗り替えられ、自分からグラスの酒を被ったんだと分かった。

 

 その瞬間胸元を掴まれると、足を掛けられ、体ごと横へ回転させられるようにベッドの上に投げ出される。


 仰向けに倒され、目を開ければ、セヴェーロの黒い瞳が上から見下げていた。

 小柄ながらベルティの腰上に乗った状態で、動けないよう押さえている。


「……あまり俺を舐めるなよ」


 酒に濡れた髪を掻き上げる。

 額に、頬に、首筋を酒の滴が美味そうに光っていた。


「貴方が王国の軍人貴族でなければ、とっくに殺して犬の餌にしてる。地位が欲しかったら力尽くで奪い取る。この街に法はないが、フェクダの縄張りでは俺がルールだ……番にはならない。これ以上用がなければさっさと王国へ帰れ」


 ベッドを蹴りベルティから離れると、空になったグラスを手に取り棚へ置く。

 最後は被って中を空にしたが、確かに一杯は約束通り付き合っただろう……そのまま扉へ向かうと、何事もなかったように部屋の外へ出た。


「ボス!?」

「どっ、どうしたんですかっ!?その格好!」


 扉の側にはオスカーと、買い出しから戻ってきていたエンツァが落ち着かない様子でずっと待っていた。

 酒に濡れているセヴェーロの姿に驚くと、サァッと顔を青く染める。


「彼奴に掛けられたんですか!」

「いや、自分で被った」

「私がやり返してっ――なんでですか!?」


 よくもボスに不敬をと、部屋に入ろうとしていたエンツァは足を止めた。

 確かに……焦って咄嗟に被ったが、「手は出さない」と初めに言っていたのは大尉だし、わざわざ濃い酒を渡してきたのも大尉だ。どうせならあの胡散臭い笑みに掛けてやればよかった。


 そう思うと腹の奥からムカムカと何かが込み上げてくる。


「オスカー、彼奴が娼館を出るまで見張ってろ」

「は、はい」

「エンツァ……」

「はい!」


「――き……気持ち、わるっ……」

「ボスっ!」


 ふらふらと床に力無く倒れた。世界が溶けたように視界が絶えず揺れている。

 エンツァに支えられながら、重い体を引きずるようにその場から離れた。

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