出会い(二)

 この臭いを知っている。

 血と性と涙が混ざった――暴力と支配の臭い。


 ヴィラはその様子を見逃さなかった。

 すぐに体勢を戻すと、身動きが取れないセヴェーロの頭部に回し蹴りを入れる。


「ッ――」


 反射的に右腕が上がり頭を庇った。

 だがαの重い蹴りを直接くらい、エンツァがいる机の前まで蹴り飛ばされる。


「ボスッッ!」


 背中を机に強打し、一瞬息が止まった。

 机に手を付き立ち上がると、だらりと右腕が力無く垂れ下がる。……肩が外れたか。

 切れた口内から流れる血を拭った。飛ばされた拍子に落とした銃が敵の足元で転がっている。


「エンツァ、銃」

「は、はいっ……」


 顔を青く染めたエンツァからベレッタを受け取った。……助けた子どもは先程のグレアに当てられて気を失っている。無理もない。未だ感覚がはっきりしない指先でグリップを握りしめた。


「まだやる気か?こっちはα二人だ。……大人しくすれば何もしない」


 ヴィラは息を整えながら銃を構えた。その後ろでベルティはこの状況を楽しむように静観している。


「……戦場で、αを名乗って来る奴に、俺は負けたことがない」

「なっ――」


 顔がカッと熱くなるのを感じた。

 未熟なαほどバース性を口にする。それは王国軍の中でもよく知れた言葉だ。Ωにそれを指摘されるなど――ヴィラにとって身を切られるよりも恥ずかしい屈辱だった。


「貴様っ――Ωの分際でッ!」


 ベルティ大尉の前で恥をかかされた怒りに銃を強く握りしめる。――絶対に生け捕って、王国の処刑台に首を晒してやる。どうせあの身体ではもうろくに動けない。


「ボス……そこの扉。オスカーが来ます」


 不意にエンツァが呟いた。

 セヴェーロのジャケットの後ろを軽く摘むと、部屋横の扉を指差す。エンツァにはいつも近くにいるα……オスカーの匂いを感じ取れた。


「オスカー!そこから撃て!」

「――ヴィラっ、下がれ!」


 激しい連続的な発砲音が響き、閉まっていた木の扉をマシンガンの弾が貫いた。

 破壊された木の破片と銃弾が飛ぶ。セヴェーロは机の下へ隠れると、エンツァとトリシャの上に覆い被さった。

 激しい騒音が止んですぐ、真っ白な弾幕の中から現れた大柄な男にセヴェーロは顔を上げると短く叫ぶ。


「遅い!」

「探し回ったんですよ!」


 オスカーはボスからの手紙を受け取った後、この広大な工場跡地を散々駆け回りずっと二人を探していた。ようやく見つけられたのは、静かな工場に激しい銃撃の騒音が響き渡ったからだ。

 大きな手が発煙弾を腰下のバックから取り出すと、本が散らばった床に落とす。煙幕が広がり、狭い部屋の中はすぐに濃い煙で覆われた。


「エンツァと子どもを」

「はい!」


「待てッ――」


 何も見えないはずの煙幕の中を、ベルティの手が伸びセヴェーロの腕を掴んだ。驚きにヒュッ――と喉から息が漏れる。宝石のような綺麗な瞳がすぐ前まで迫り、後ろへ身を引くと本棚の壁にぶつかった。


 ――左手を取られた。

 大きく角張った手がセヴェーロの細い手首を締め付ける。壁に押さえ込まれびくともしない。見上げた鮮やかな緑色の瞳が、食らうように見下ろしていた。


「ボスッ!」


「手を離せッ」とオスカーの声が聞こえると同時に、握りしめた拳が向けられる。

 ベルティは片手でそれを遮ると、まるで子どもの相手でもしているかのようにオスカーの巨体を軽々と床へ叩きつけた。


「……αか」


 下げた口角の間から低い声が落ちる。感情の込もらない、酷く冷たい声だった。

 押さえ付けていたセヴェーロの手から銃を奪い取ると、そのまま銃口をオスカーへと向ける。


「やめろッ――!」


 セヴェーロは掴まれている手首に噛み付いた。一瞬緩んだ掌から抜け出すと、先ほど落としたダガーを手に取り、銃を持った男の前に立ち塞がる。

 肩で息を繰り返しながら、銃口とともに見下げてくるその瞳を睨み返した。


 ――多分、こいつには勝てない。

 グリップを握った左手が小刻みに震えていた。壊れたはずのΩの本能が、このαには逆らうなと警告している。

 外れた右肩に刺すような痛みが走った。微笑んだαから感じるグレアの圧に恐怖が背筋を伝う。


「……ここに来てよかったよ」


 男が小さくそう囁いた。

 構えていた腕を下ろし銃を床の上へ落とすと、その両手を「何もしない」と言いたげに肩まで上げて見せる。


 短い静寂の後……セヴェーロが素早く目配せすると、オスカーはエンツァとトリシャを抱え外へ連れ出した。

 ――逃げるなら今しかない。敵に背を見せないよう扉の前まで来た時、男がはっきりと呟いた。


「ヴィットリオ・ベルティ」


 耳に残る声。惹きつけられるその声色に無意識に足を止める。


「俺の名前、覚えておいてね。セヴェーロ」

「……」


 サッと部屋を出て廊下を駆けた。

 猫のような身のこなしでオスカーの後を追って、割れた窓から外へ出る。


「逃しましたね……」


 煙たい部屋の中、咳き込みながらヴィラは責めるようにベルティを見つめた。


「いいよ、どうせ彼らはこの街から出ないさ。それに子連れだ。今捕まえても面倒だろう」

「そうですけど……」


 ……いや、捕まえられなかったのは自分の力不足でもある。ヴィラは不甲斐無さに目線を膝下へ落とした。


「ベルティ大尉……済みません、助かりました。所詮Ωだと、甘く見てました。番のαを殺しただけあります……俺のグレアに、全く怯んでなかった」

「……どうだろうね。全部効いて無かったわけじゃなさそうだけど」


 ベルティはセヴェーロが噛み付いた手首の痕をじっと眺める。小さな歯形に、僅かに血が滲んでいた。その噛み痕を舌でなぞり、ゆっくりと血を舐め取る。


「……大尉?」

「ヴィラ……あれかもしれない」

「え?」


「俺の――運命」

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