視える俺が言う。この学校には怪異が存在する。

夜霧ミコト

第1章 月城 和樹 編

第1話 孤独な体育館

──信じなくていい。けど、俺には視える。


この学校には、怪異がいる。

それも、一人や二人じゃない。


昇降口の鏡に向かって喋ってた“誰か”。

保健室のベッドの下で、こっちを見ていた“何か”。


だから放課後、誰に頼まれたわけでもなく

今日もひとり、校舎を歩いていた。


無視できないんだ。……見えてしまうから。


“彼”に出会ったのは──偶然だった。


……いや、本当に偶然だったのかは、わからない。


***


秋の夕暮れ。

部活の声もまばらになった校内を、

俺――月城カズキはふらりと歩いていた。


手にした水晶が、淡く揺れる。


この水晶は、兄が遺していったものだ。

……いつ、どこで手に入れたのかは、俺も知らない。


「……このあたりに、霊障がある」

感覚じゃない。水晶がそう告げていた。


そのときだった。

体育館のほうから、何かの“気配”がした。


「……もう、部活の時間は終わってるはずだけど」


そっと覗き込むと──

コートの中央で、バスケットボールをついている男子がいた。


夕日に照らされる長身のシルエット。

髪には金メッシュが入っている。制服姿のまま、巧みにボールを操っていた。


でもその背中には、妙な“空白”があった。

どこか寂しげで、孤独だった。


「……部活の見学か? なら、顧問のとこに行けよ」


ボールを止めずに、そいつは俺を睨みつけた。

冷たい目。苛立ちと、警戒。


「いや、そうじゃなくて……。あんた、バスケ部の人?」


「……元バスケ部員。今は違う」


そう答え、またドリブルを始める。

動きは鋭い。明らかに、元エースだ。


でも──そのときだった。


「……っ!」


彼はシュート体勢に入ると、膝を押さえて崩れた。


「大丈夫か?」


「……別に。いつものことだ」


(膝……怪我、か?)


彼は黙ってボールを拾い、壁に向かって投げつけた。

乱暴に。けれどどこか、自嘲のようでもあった。


その姿に、なぜか目が離せなかった。


夢を奪われた虚無感。

どこか──俺に似ていた。


 


──バチン!


突然、体育館の照明が落ちた。


非常口の奥。影が“揺れた”。


「……何だ、今の音」


彼が振り向く。


俺はポケットから、水晶を取り出した。


「……動くな」


淡く光を放つ水晶。

視界の端に、“異形の影”が浮かぶ。


ショウは、目を見開いた。


「……は? うそ、だろ……」


「現実だ。俺には見えてる」


「お前……何者だよ」


「まだ、よく分かんない。けど──これだけは言える。

これは、放っとけないってことだ」


怪異が、ゆっくりと近づいてくる。


俺は構えを取った。

もし戦うことになれば、水晶で霊力を増幅して──


「帰るなら今のうちだ。あんたには関係ない」


だが、ショウは俺の横に立つ。


「……バカか。こんなもん見せられて、普通に帰れるわけねぇだろ」


そして、ポツリと呟いた。


「部活も、夢も、未来も捨てたけど──

“面白いやつ”に会っちまった。今さら引けねぇよ」


「でもあれって……バケモン、なんだよな?」


俺は頷きながら、水晶を見つめる。


「落ち着け。あれは“視えてる”だけだ。まだ手は出してこない」


そして、ポケットからナイフを取り出した。

指先を切り、水晶に血を落とす。


淡く光る水晶。


「なあ。ちょっとした“実験”なんだけど──付き合ってくれるか?」


俺は水晶を、ショウのバスケットボールにかざす。


「……へ?」


ボールがうっすらと青白く光り始める。

その手に、じんわりとした熱が伝わる。


「そのボールに、霊力を込めた。

あんたの“得意技”でぶつけてみろ」


「マジかよ……」


ショウは、ボールを見つめる。

その手に感じたのは、かつてとは違う重み。


……そして、迷いなくステップを踏んだ。


膝が軋む。顔が苦痛に歪む。


(……くそっ。また痛みやがって……

でも──)


「まだ、俺にもやれることがある!」


渾身のスロー。

ボールが空気を裂き、“影”に命中した。


ドンッ──!


影が爆ぜ、黒いモヤとなって霧散する。


「……今の、なんだったんだよ」


「怪異だよ。あんたが見たのは、水晶を通した一時的な“視え”だ」




怪異との戦いを終えた帰り道。

夜風がふたりを追いかける。


「……ショウ。さっきのシュート、すごかったな」


彼は黙って、前を向いたまま歩いている。


「“あれ”が、お前の原点か?」


ふと立ち止まり、ショウが目を伏せる。


「ああ……でも、怪我で全部終わった」


──間。


「もう、あの光の中には戻れねぇ。

ずっと……俺だけが、取り残されたままだと思ってた」


俺も立ち止まり、言葉を選ぶように口を開く。


「……俺も、同じだったよ。戻れないって思ってた。

けど、今日……あんたを見て、分かったんだ」


「たとえ形が違っても、“やれること”はあるって」


ショウが、少しだけ顔を上げて、俺を見た。


「……変なやつ。けど、ちょっとだけ……ありがとな」


「礼なら、次の戦いで返してくれ。……仲間だろ?」


ショウの口元が、わずかに笑う。


「……ああ。俺の新しいコートは、そっちみたいだな」


夜風が、ふたりの背中をやさしく押した。


孤独だった俺に、初めて“仲間”ができた瞬間でもあった。


──これが、俺とショウの出会いだった。

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