第21話「ナッツクラッカー」

それは正に、渾身の一撃だった。リューナが教えてくれた血液操作の方法。血の流れを知覚し、体外へと押し出す為のイメージ。それを、切断された手首の断面にて意識を集中させることで、宛らジェット噴射の如く血液を発射。その勢いを利用し、音速の拳を放った。あえてこの技に、名前をつけるなら――


「どうだ!俺の飛翔鉄拳ロケットパンチのお味はよォ?!たんとご賞味あれってんだ!」


血を始めとした体液を撒き散らしながら吹き飛ぶラーゲンに向かって、俺はそう叫ぶ。あの様子では、もう二度と品質確認など行えないだろう。


「……さて。無事でよかったリューナ。怖い想いをさせてごめん」


リューナのお腹の上にちょこんと乗っかり、俺は彼女に声を掛ける。当の彼女は、呆然とした顔で俺を見つめている。


「タカミチ……?」


そう呟いた瞬間、彼女の目にはみるみる涙が浮かび上がり、顔は徐々にぐしゃっと歪み始める。そして――


「うわぁぁぁああん!!もう、死んじゃったかと思ったじゃん!!心配かけさせんな!バカバカバカ!!!」


リューナは号泣しながら叫ぶ。てっきり襲われそうになった時に近くにいなかったことを言われるのかと思っていたが、彼女の怒りの矛先は俺の予想の斜め上を行った。


「ゴメン心配かけて。この通り、元気だよ!」


俺は手首だけの状態で、活きの良い魚みたいにぴょんぴょんと跳ねる。そして、指先でリューナのお腹をそっと撫でる。


「……言っただろ。リューナの側を離れる気は無いって」


それは何も、物理的な意味だけに限らない。彼女より先に死んだりする何て、以ての外だ。


「……無事でよかった」


リューナは左腕で俺を抱き寄せる。柔らかくも控えめな感触がふにゅっと押し当てられ、暖かい温もりとほんのりと甘い香りに包まれる。そして、ほんの僅かに聞こえてくる心臓の鼓動。彼女の全てが、俺を優しく包み込んでいた。


願わくば、この時間をいつまでも堪能していたい。だが、そういう訳にも行かない。


「ぎゃあああぁぁぁあああ!?!!いだい、いだい、いだい、、、うぁああ、うがぁああぁぁぁ、、、、」


俺達2人の世界を邪魔するように、醜い叫び声が響き渡る。声の主は勿論、ラーゲンだ。俺の一撃によって、そのご自慢の“仕事道具”は見る影も無く粉砕されてしまい、代わりにそこから血液を始めとした多種多様な体液を撒き散らしながら、呻き声を上げて蹲っている。欲望を曝け出す下衆未満の畜生には、当然の報いだ。


――あいつどうすっかな……。


遠くの方で叫び、のた打ち回るラーゲンを見ながら考える。俺個人としては、こいつを生かしておくのは癇に障る。この手でじっくりと深い苦しみを与えてから、最も凄惨な死をプレゼントしてやりたいくらいだ。だが――


「なぁ、リューナはあいつをどうしたい?」

 

それを決めるのは、俺では無い。リューナは俺と同じ様にのた打ち回るラーゲンを見ている。だがその目は、怒りや憎しみといった負の感情では無く、憐れみのような感情を抱いているかのようである。


「……アタシは、魔王だから。困っている人を助けるほどお人好しでも無いし、敵に情けをかけるほど慈悲深く無い……。そう思っていた」


リューナは覚束無い足取りで、フラフラと立ち上がる。俺を左手に持ちながら一歩一歩ゆっくりと。しかし着実に、歩みを進める。


「……けど、タカミチはアタシに言ってくれた。嘘を吐くなって。本当のアタシを、認めてくれた」


リューナは倒れて蹲るラーゲンの前へと立つ。そして、ゆっくりと腰を下ろし、その場にしゃがみ込む。


「勿論、全部が全部正しいわけじゃない。今回みたく、裏切られることだってあるかもしれない」


リューナはラーゲンの首筋に牙を立て、そのまま口を付ける。首筋から流れる血を、一滴も取りこぼさないよう、その身に吸い込んでいく。ある程度吸ったところでリューナは牙を抜いた。


「……それでも、アタシはアタシを信じていたい。だってーーー」


リューナの周囲に、幾つもの血の玉が漂い出す。それは紐となり、宛ら包帯のようにラーゲンの股間に巻き付く。


「アタシは、魔王だから」


リューナは遠くを見る。その目は、確固たる強い意志と揺るぎない信念、そして己自身を信じてやまない強者の色が、深く刻み込まれていた。


血の包帯は、決壊ダムのように溢れ出る血を塞き止める壁の役割を果たしている。簡易的な応急処置。とはいえ、ラーゲンがこのまま失血死する可能性は限りなく低い。


裏切られ、傷付けられ、挙句汚されかけた。その悔しさは、悲しさは、怒りは、到底計り知れない。そんな彼女にとってラーゲンは、正に許されざる暴挙を犯した極悪人そのもの。恨み辛みを抱いていようと不思議では無い。だが、それでも彼女はラーゲンを見捨てるのでは無く、助ける選択を取った。甚振るのでは無く、情けをかける選択を取った。そして、殺めるのでは無く生かす選択を取った。嗚呼、本当に――


「……全く、末恐ろしい魔王だよ」

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