事件No.1 校舎裏の国家機密

修学旅行が終わり、帰宅後の日曜日は、誰もが疲れて寝倒した。

月曜は代休で学校は休み。けれど、天気は穏やかで、街はいつも通りに動いていた。


その朝、悠斗は目覚ましより少し早く目を覚ました。

部屋にはまだ朝の気配が満ちておらず、カーテンの隙間から淡い光が差し込んでいる。


修学旅行の四日間――あまりに中身が濃すぎた。

京都・奈良での観光、クラスメイトとの自由行動、スリ事件、そして――誰にも言えない“あの事件”。


悠斗は静かに起き上がり、制服ではなくTシャツに着替えてリビングへと向かった。


食卓では、ニュースがいつも通り流れている。道路の混雑状況、外国人旅行者の増加、そして週末のスポーツ情報。新幹線の“トラブル”については、どこにも報道されていなかった。


「……そりゃそうだよな」


小さな独り言は、ただ空気の中に消えていった。

あの事件は“未遂”で終わり、しかも情報は厳重に伏せられている。

何も知らず、「楽しかったね」と笑っているクラスメイトの顔が、今も脳裏に焼きついていた。


スマホを開くと、班のグループチャットはまだ活発に動いていた。


「写真送るねー!」

「やば、伏見稲荷の顔マジ笑えるw」

「てか由香里が鹿に囲まれてた動画誰か持ってる?」

「彩花の寝顔、全国公開しといていい?笑」


そんな中――由香里と彩花から、別のグループメッセージが届いていた。


由香里:「……悠斗くん、帰りの新幹線で、何かしたよね?」

彩花:「佐伯っち、新幹線の前の車両で何かあった?」


悠斗は画面を見つめ、わずかに笑った。

そして、返信欄に一言だけ打ち込む。


「グリーン車に芸能人が乗ってないかチェックしてたんだよ」


送信。

スマホをテーブルに置き、コーヒーをマグカップに注ぐ。


数秒後――通知音が二つ、立て続けに鳴った。


由香里:「……嘘!!グリーン車入っていいの?怒られるんじゃない?」

彩花:「で、誰か乗ってた?芸能人(笑)」


悠斗は吹き出しそうになるのをこらえながら、スマホを手に取った。

由香里の“全力ツッコミ”と、彩花のちょっとズレた天然コメント。

そのやり取りが、日常の温度を少しだけ取り戻してくれる。


「いたよ。有名人が一人だけ」


すぐに、由香里からの返信。


「誰よ、それ」


コーヒーをひとくち飲み、悠斗は肩をすくめる。

そして、画面にこう打ち込んだ。


「報道番組のキャスター、鏑木 斎(かぶらぎ いつき)さん。夜のニュースとかでよく出てる人」


彩花:「なんだ、お笑いの人とか女優さんじゃなかったのか。チッ!残念!」


悠斗:「そんなに都合よく芸能人と一緒にならないだろ。知ってる顔がいるだけでもレアだと思うぞ」


彩花:「テレビで見たことある人と一緒に乗ってるとか、ちょっとテンション上がるかも(笑)NowShotで2ショット撮れれば良かったのに!」


悠斗:「さすがにそこまでの事は難しいと思うぞ?」


彩花:「ふっふっふ、現役女子中学生のコミュ力を舐めてもらっては困る」


悠斗:「さいですか」


由香里:「まあ…そういうことにしといてあげる(笑)」


やっとスマホの画面が暗転する。このテンションについて行けるのか?

悠斗はそんなことを思いながら、コーヒーの残りを一口だけ口に含んだ。ぬるくなったその味が、今の自分の気分とどこか重なった。この先の事もどうなるのかよくわからず、ぼんやりと外の河原を見ていた。


ふと、スマホが微かに震えた。また彩花か?と思って画面を見ると、新着通知――表示には「メッセージ受信:SecureLine」とある。

見慣れた通常のメールアプリではない。これは、公安から渡された“連絡専用アプリ”だった。


(……こんなタイミングで?)


画面をスワイプすると、即座に“シークレットモード”へと切り替わり、暗号化されたメッセージが浮かび上がった。


件名:サポート要員配置について

差出人:田中玲奈(たなか れいな)/公安庁・対外工作第六課


佐伯悠斗 殿


明日、6月24日付で渡川西中学校に臨時養護教諭として配置される。

前任・今村美佐子教諭の退職に伴う措置。

任務は以下の通り:

・シンジケート残党の地域内動向の追跡

・貴殿の生活状況および精神的安定の監視


放課後、保健室にて初回ブリーフィングを実施する。遅刻厳禁。

本通信は受信後、自動消去される。


―公安庁・第六課 指令担当 田中玲奈―


画面が数秒後に暗転し、「通信終了/痕跡消去完了」の表示が出る。


悠斗は、コーヒーの冷めたマグカップを見つめながら、顔をしかめた。


(……なぜ、今になって連絡員を“学校”に?)


シンジケートの残党動向。

それは理解できる。あの爆弾未遂事件から、彼らが何かを画策していることは明らかだった。


だが――俺の監視?


自分は信用されていないということなのか。あるいは、すでに“再起動”したシャドウ・シンジケートが、自分に接触を試みてくる可能性があるということなのか。


(……わざわざ養護教諭のポストってのが、またいやらしいな。自由に呼び出せるし、監視し放題ってわけか)


公安庁・第六課。

任務執行部隊ではなく、“情報管理と潜入監視”を専門とするセクション。


(つまり、玲奈って女は――俺に“張りつく”役目ってことだ)


悠斗は、すっと立ち上がった。


学校という仮面の中に、また非日常が入り込んできた。でも、受け入れるしかない。


「……はぁ。中学生って、こんなに忙しかったっけ? マジで詰めすぎだろ」


冷めたコーヒーを飲み干しながら、そうぼやいた。


明日――保健室にて、監視者と対面する。


* * *


火曜日、学校に行くと、校内掲示板には朝一番で張り出された「教職員異動のお知らせ」が掲示されていた。


【お知らせ】

本日付で、今村美佐子養護教諭が一身上の都合により退職されました。

後任として、田中玲奈(たなか れいな) 先生が着任されます。

生徒の皆さんは、必要な際は保健室まで相談に行ってください。


掲示を目にした由香里が小さくつぶやいた。


「えっ……今村先生、辞めちゃったの? 急すぎない?」


「確かに。先週まで普通にいたよね」と彩花も首を傾げる。


「いろいろあるんじゃない?」と高橋が曖昧に言って、掲示を見上げた。


悠斗は黙ってその掲示を眺めた。

胸の奥に、ひとつ深く冷たい感覚が流れ込む。


“監視要員”

つまり、公安の目がまたひとつ、自分に向けて置かれたということだ。


(今度は、保健室にか……)


気配を感じて、ふと廊下の向こうを見る。

まだチャイム前の校舎内、階段の影からこちらを振り返った女性の姿があった。


長めの黒髪を後ろで結び、白衣の上からカーディガンを羽織った20代後半ほどの女性。

物腰は柔らかそうだが、視線の鋭さに甘さはない。


(あれが……田中玲奈)


一瞬だけ視線が交差する。彼女は微かに口角を上げてから、何事もなかったかのように階段を下りていった。


「新しい保健の先生、なんかきれいだったね」と彩花がぽそっと言い、

「……ちょっとキリッとしすぎて怖そう」と由香里が眉をひそめた。


悠斗は、答えずに視線をそらした。気づかれないよう、今日も“中学生”を演じ続けるしか無かった。


放課後のチャイムが鳴ると同時に、教室のざわめきが始まった。

クラスメイトたちは荷物をまとめ、部活や帰宅の準備に取りかかっている。

そんな中、悠斗はいつものように静かに椅子を引き、リュックを肩にかけた。


(誰にも気づかれずに、だ)


彼はタイミングを見計らい、彩花と由香里が他愛のない会話に夢中になっている隙をついて教室を抜け出す。

廊下を進み、誰とも目を合わせないように階段を下り、渡り廊下を抜けて保健室がある棟へ――。


保健室のドアには、「臨時養護教諭 田中玲奈」の名札が貼られていた。

周囲を確認し、ノックもせずにそっとドアノブを回す。


静かな部屋。消毒液の匂い。窓際の光の中に立つ、長身の女――


「ようこそ、ファントム」


開口一番、満面の笑みでそう告げたのは、白衣に黒のインナーをまとった田中玲奈だった。

歳は二十代後半。理知的な顔立ちに、ややテンションの高い物言い。


「……その呼び方は、やめてもらいたいな」


悠斗は、溜め息混じりにそう言った。


「はいはい、了解。でもさ……本物だってわかった瞬間、ちょっと鳥肌立ったわ。

公安の伝説、“黒崎悠真”。シンジケート掃討の切り札、あの“ファントム”が、目の前にいるなんて」


玲奈は机の端に腰を掛け、頬杖をついて言う。


玲奈は、タブレットを閉じながら椅子の背にもたれた。


「あなたが重体で運ばれたときの話、現場で直接知ってる人に聞いたのよ。顔面の再建、神経系の再接合……それだけじゃ済まなかったってね」


悠斗は黙って頷く。


「全身、骨格から筋肉まで再構築。……それって、医学じゃなくて、もう“造り直し”のレベルよ。しかも――」


彼女は身を乗り出し、好奇心を抑えきれないように言葉を続けた。


「身長まで。180から158センチ? 成長ホルモンの制御?それとも遺伝子操作?――どうやって“若返った”の? 細胞の年齢までリセットされてるってことよね?」


悠斗は小さく苦笑した。


「さあな。俺は、病院のベッドの上で目が覚めたら……この体だった。それだけだ」


「記憶や人格がそのままで、肉体だけ10代に戻ったスパイ。国家機密レベルよね、あなた」


玲奈はやや感嘆まじりに言い、そしてほんの一瞬、表情を引き締めた。


「……でも、よく生きてたわね。あの“爆発”のあとで」


悠斗はわずかに視線をそらし、低く呟いた。


「……記憶は、そのままじゃないさ。ところどころ、歯が抜けたみたいに抜け落ちてる。任務中のことも、断片的にしか思い出せない」


一拍おいて、さらに言葉を続ける。


「特に――シャドウ・シンジケートとやり合った“最後”の部分が、ほとんど曖昧なんだ。映像も音も、霧の中みたいで……どこまでが現実で、どこからが夢なのかも分からない」


玲奈の目がわずかに細められる。


悠斗は、自嘲するように笑った。


「生きてたっていうより――“生かされた”んだろうな。“次に使うために”、な」


玲奈は数秒、沈黙したまま彼を見つめたあと、ぽつりと漏らす。


「本当なら、世界中の医療機関が飛びつくわよ。“若返り”――それも、記憶の一部が抜けてるとはいえ、生きる上ではほとんど支障がない。それどころか、爆弾の解除技術も、戦術も語学もちゃんと残ってるなんて……羨ましい限りよ。常人の脳じゃ絶対無理。倫理どころか、物理法則すらねじ曲げてる」


「治験も何もない、“一発勝負”の賭けだったろうな。たぶん俺が成功例第一号ってことなんだろ」


悠斗は肩をすくめながら続けた。


「他にもいたのかもしれない。でも、生きて出てきたのは俺だけだ。残りは……もう、人間とは呼べない存在になったかもしれない」


玲奈は、背筋に冷たいものが走ったようにわずかに身じろぎし、息を吐く。


「……なるほど。国家機密、というより“闇”そのものね。あなたは、国が生み出したひとつの兵器ってわけか」


「だったらもう少し、性能のいい体にしてほしかったな。せめてあと10センチは」


苦く笑う悠斗に、玲奈もつられて口角を上げた。


「十分よ。中学生にしては、やたらと目つきが鋭いから」


玲奈は黙って頷いた。


「……俺も、こんな“セカンドライフ”を望んだわけじゃ無いんだけどな」


「でも、だからこそあなたにしかできない仕事がある。そうでしょ?」


玲奈は立ち上がり、保健室のカーテンを引いて窓の外の視界を遮ると、ロッカーの奥から一つのケースを取り出した。暗号鍵付きのケース。中には、タブレットと数枚の紙資料。


「じゃ、ブリーフィング始めましょう。佐伯悠斗さん」


彼女の声が一変し、官僚らしい抑制された響きを帯びる。


「今回の任務は二重構造。ひとつは表向き――渡川西中学校の臨時教員として、保健業務に従事しつつ、不審動向を把握する。

もうひとつは裏の任務――“シンジケート残党”の動向監視および接触者の特定。

現時点で、彼らが学校周辺に情報収集員を送り込んでいる可能性は不明。具体的な行動パターンも不明よ」


そう言って、玲奈は暗号ケースからタブレットを取り出し、悠斗の前にスライドさせる。画面には、数人の人物写真と簡潔なプロファイルが映し出されていた。


悠斗は黙って画面をのぞき込み、数秒後に口を開いた。


「これは……先週、京都で目撃された顔もあるな。のぞみ号ジャック犯の一部じゃないか?」


玲奈は頷き、指で一人の顔を拡大表示させた。


「ええ。あの一件の実行グループとは別に、現在も活動を継続している“シンジケートの現構成員”よ。のぞみ号の作戦が潰されたことで、彼らは動きを切り替えた。別ルートでの工作が始まったと見ていい」


「しかも厄介なことに、彼らは“公安の動き”に感づいている。あなたの存在も、もしかしたら――」


「……すでにマークされているかもしれないってか?」


「爆弾処理中にシンジケートの一人に気付かれたんでしょう?」


「『ガキ!それに触るなよ!』って言いながら近づいて来たからな。すぐに閃光弾で目眩しして確保されてたけどな」


悠斗の声は低く、冷静だった。

玲奈は頷きながらも、どこか満足そうな表情を浮かべている。


「現場対応は完璧だったって、報告にもあったわ。でも、あなたのお披露目はイレギュラーに早まってしまったって佐藤さんが言っていたわ。それだけに、今後はもっと慎重に動く必要がある」


彼女はふと、カーテンの隙間から校舎の外を見やりながら、静かに続けた。


「このまま外の施設を使うのは目立つし、公安本部と直接やりとりするにはリスクが高すぎる。だから……」


玲奈は振り返り、室内を見渡して言った。


「これからは、放課後の保健室が作戦本部になるわ。

ここなら二重扉で視線も遮れるし、防音も効いてる。ちょっとしたセーフハウス代わりよ」


悠斗は一度視線を外し、教室とはまるで違う空気の中で小さく息を吐いた。「一応人の目はあるし、意味もなく頻繁に保健室には来れないぞ?」


「親の知り合いで顔見知りってことにしておいて。それなら少しは話をしてても怪しまれ無いでしょう?」


玲奈はそう言って、肩をすくめた。まるで、全て想定済みだというように。


「一応、カモフラージュの設定は組んであるわ。あなたの“叔母の同僚”ってことにしてあるし、担任の先生にも軽く話は通してある。……ま、そこまでは公安の十八番ってやつね」


「相変わらず準備がいいな。俺の意思がどうあれ、計画は進んでいく」


「それが国家機関ってものでしょ?」


玲奈はにこりと笑ったが、その笑みの裏には職務に徹する鋼の覚悟がにじんでいた。

それは公安の人間――それも、現場担当者特有の顔だった。


「で、今日のところは何をすればいい?」


悠斗が姿勢を正しながら尋ねると、玲奈はタブレットを操作し、画面をひとつスライドさせた。

そこには「優先監視対象」とラベル付けされた、生徒らしき人物の名前と顔写真。


玲奈はタブレットの画面をスライドしながら言った。


「二年の男子で名前は三好陸翔(みよし りくと)。休み時間に三年の教室のあたりをうろついてる姿が、校内の複数のカメラに映っていたわ」


「……ストーカー?」


悠斗の声がわずかに低くなる。


「決定的な証拠はない。でも、距離感が不自然なの。毎日同じ時間、同じルートで三年の教室の横を通るわ。二年の男子が三階にある三年の教室の横を毎日通過してるのもおかしいし、保健室前にも何度か立ち止まってるし、女子更衣室近くに長くとどまる傾向もある。普通の“偶然”じゃ説明がつかないわ」


「そっち方面の問題なら、生活指導にでも任せればいいだろ?」


「私たちが注目しているのはそこじゃないのよ」


玲奈は目を細めて、画面をもう一枚切り替えた。そこには、生徒が校舎裏でスマホを操作している姿が映っている。


「実は彼、校内のWi-Fiを使って、何度か“裏アプリ”を起動しようとした形跡がある。目的は不明だけど、外部と暗号通信をしてるか、盗撮アプリを遠隔操作してる可能性もあるわ」


悠斗は静かに考えた。


「つまり、ストーカーまがいの行動をしてる上に、情報技術にも妙に詳しい……偶然にしては出来すぎてるってわけか」


「そういうこと。もちろん、現時点では“敵”と決まったわけじゃない。でも、この時期に現れた、妙に影のある生徒――気に留めておくべき対象よ」


玲奈はやや芝居がかった口調で言い、デスクの上にタブレットを伏せた。


「まずは、あなたの目で観察して。普通の男子中学生なら、問題ないと判断されればそれで終わり。でももし、裏があるなら……こちらも対応を考える」


「了解。自然な形で接触してみる」


悠斗は立ち上がり、白衣の彼女に一瞥を送った。


「それにしても、変な任務ばっかり回ってくるな。俺の中学生活、何日持つやら……」


「でも、退屈はしないでしょう?」


玲奈はくすっと笑って、手を振る。


「じゃあ、今日のところはこれで。……気づかれないように戻る」


「行ってらっしゃい、中学生くん」


その声を背に、悠斗は静かに保健室を後にした。


* * *


金曜日。

昼休み、悠斗は教室の窓辺でパンをかじりながら、廊下の方にさりげなく目をやっていた。


(……また来たな)


三年の教室前を通り過ぎる女子生徒たちが、ひそひそと何かを話している。

彼女たちの視線の先にいたのは――三好陸翔だった。


そのとき、クラスRINEの通知が一斉に鳴った。


《【生徒向け注意喚起】校内での盗撮・迷惑行為に関する通達(生徒指導部)》

《一部SNSにて、女子生徒のスカート下を狙ったとされる画像の流出が確認されました。現在、学校側でも調査中です。》


由香里が声を潜めてスマホを見ながらつぶやく。


「え、なにこれ……盗撮?うちの学校ってマジ?」


「怖っ……これ、誰がやってるの?」


彩花も顔をしかめながら画面を覗き込んでいる。


悠斗は、すでに公安のターミナルアプリを立ち上げていた。

捜査対象の三好陸翔の名前が、関係ワードと共にヒットする。


《キーワード:「裏垢」「制服女子」「#秘密の放課後」》

《アカウント名:@nightfox_xyz(非公開)》

《画像ホスト:国外サーバー》

《投稿数:47件、盗撮と疑われる画像多数》


(……引っかかったな)


悠斗は素早く画面をスクロールし、画像の一部を確認する。


顔は写っていないが、背景――廊下の配管、窓の位置、教室の掲示物。

確かに、渡川西中のものだ。しかも、保健室前の廊下と思われるカットも含まれていた。


《重要:三好陸翔の端末から、外部匿名SNSとの接続ログを確認。現在も不定期投稿中》


(放課後に、校内でスマホを使ってる理由は……これか)


この瞬間、彼は確信した。

この生徒は、ただのストーカー未満ではない。

“裏の世界”と繋がりかけている存在だ。


その夜、保健室では、田中玲奈がファイルを机に並べながら顔をしかめた。


「アカウントは国外のSNS。日本語での投稿、文体は明らかに未成年。でも、投稿には一貫性とルールがある」


「つまり、計画的ってことだな」


悠斗は頷く。


「偶発的な迷惑行為じゃない。これは“運用”してる。対象の観察・撮影・選別・投稿までの流れが、妙に完成されてる」


「……誰かに教わった?」


「あるいは、何かと繋がってる。これを全て一人の力でやってるなら、技術の知識も中学生の範疇じゃない」


玲奈は苦々しい表情で言った。


「まだ泳がせる?」


「もう少しだけ。俺の目で、“奴の出口”を見極める」


* * *


放課後の保健室。カーテンは閉じられ、外の喧騒は遠い。


玲奈はタブレットをスリープにし、静かにテーブルに置いた。

「……以上が、今回の件で掴んだ情報のすべてよ」


悠斗は腕を組んだまま、視線を机の上の資料に落とす。

「ふむ……やっぱりシンジケートとは無関係か」


玲奈も頷く。「ただの地元の悪ガキよ。中卒でフラついてる元不良。裏のルートなんて知らない。ただ、“女の写真で稼げる”って噂に乗っかっただけ」


「となると、三好も……それに巻き込まれた、ってだけか」

悠斗の声には、どこか疲れた響きがあった。


「そうなるわね。姉をネタに脅されてたとはいえ、やったことは事実。でも——」


「でも、表に出す必要はない。記録はここで止めておくべきだと思う」

悠斗はきっぱりと断言した。


玲奈は眉をわずかに上げる。「理由は?」


「彼はもう十分怖い目に遭った。下手に生活指導に突き出せば、逆に学校で孤立するし、あの元不良どもも逆上するかもしれない。今は俺たちの“管理下”にある。なら——これは“中で処理”すべきだ」


玲奈は少し考えてから、微笑を浮かべた。

「公安らしくない意見ね。でも、賛成。確かに、ここまでの情報で“再発の恐れなし”と判断していいわ」


「結局のところ、ちょっとおいたが過ぎたお子様にお灸をすえてやる……その程度で済む話だ。裏の世界に深入りする前に引き戻せるなら、それが一番いい」


玲奈は頷きながら、ファイルを一枚ずつ閉じていった。

「じゃあ、この件は終了ね。記録もローカルのみに留める。……ごく内々の“処理済み案件”として処理しておくわ」


「助かる」


悠斗は立ち上がり、窓の外をちらと見る。

そこには、いつも通りの放課後の風景。部活帰りの生徒たちが走り、笑い声が響く。


玲奈の声が背後から聞こえた。

「で、次はどんな“おいた坊主”が来るのかしらね?」


「もう勘弁してくれ…こんなのが続くようなら、俺は引きこもる!」


悠斗はそう呟きながら、扉のノブに手をかけた。


* * *


数日後、放課後の校舎裏。

周囲に人気がないのを確認した悠斗は、三好陸翔に声をかけた。


「三好だな。話がある」

三好が振り返る。170cmの長身、制服に汗が張りつく。目が一瞬揺れ、指先がピクリと動く。逃げる様子はないが、警戒が滲む。


「……何ですか」三好の声は硬い。


悠斗は一歩詰め、12cmの身長差を無視する。上目遣いの視線は、公安訓練の尋問モードだ。鋭く、逃がさない。夕陽が悠斗の顔に影を刻み、158cmの小柄さが逆に異様な圧迫感を放つ。


「とぼけるな。お前、何をやってる?」


声は低く、言葉は刃のよう。三好の瞳孔がわずかに縮む。ファントムの経験が、相手の動揺を捉える。

額の汗、逸らした視線、握った拳。


しばらくの沈黙の後、三好は喉を鳴らし、更に強く拳を握った。

唇が震え、視線が揺れる。声にならない息を吐いて、ようやく搾り出すように言葉が漏れた。

「……やめようと思ったんです。本当に。でも……もう、無理だった」


「無理? 理由を言え」


三好の肩が震えた。しばらく沈黙したのち、搾り出すような声で語り始める。


「……最初は、軽いノリだったんです。地元の先輩に声かけられて、スマホにアプリ入れろって言われて。ちょっと写真撮って、フォルダに保存しろって……それだけだった」


「だが、続けた」


「すぐにでもやめたかったんです。でも、やめさせてくれなかった。ある日突然、姉の写真が送られてきたんです……部活帰りの着替え中に、盗撮されたみたいなやつ。下着のときもあった。信じられなかった」


「……脅されたのか」


三好はゆっくり頷いた。


「“言うこと聞かないなら、この写真を学校中にばら撒く”って。……もう、従うしかなかった」


悠斗は静かに息を吐いた。


「その“先輩”ってのは、誰だ」


「名前は……ちゃんとは知らない。元うちの中学の不良グループにいたって聞いてます。いまは別のヤツらとつるんでるみたいです」


「シンジケートじゃないな。お前は、まだ間に合う」


三好は驚いたように顔を上げた。

だが、それは否定の表情ではなかった。


悠斗は静かに言葉を重ねた。

「後悔してるなら、抜け出せ。俺が手を貸してやる」


一瞬の沈黙。

三好の目元に、かすかな光が浮かぶ。

迷いと安堵が混じるように、涙が滲んだ。


「……ほんとに、助けてくれるんですか……?」


「お前を売る気はない。だが、黙って見過ごすこともできない。だから……今日で終わらせよう」


悠斗の言葉に、三好は深くうなずいた。


* * *


夜。人気のない歩道橋の下。


街灯が途切れ、アスファルトの影がひときわ濃くなる。

遠くにコンビニの看板がぼんやりと浮かび、自販機の明かりが一つ、心許なく点滅している。

歩道橋の袂には、古びた木造の二階建て住宅が肩を寄せ合うように並び、昼間とは違う、どこか息をひそめたような静けさが漂っていた。


その中の一角――歩道橋の真下、裏手が小さな公園に面したブロック塀のそば。


その暗がりの中に、一つの人影があった。


煙草をくわえたまま、スマホをいじっているのは、地元で名を知られた元不良、コウタ。

イラついたように舌打ちしながら、何度も画面を確認している。


その時、足音がひとつ――コツン、コツンと、地面を確かめるように近づいてくる。


「……誰だよ?」


振り返った先に立っていたのは、黒いパーカーのフードを深くかぶった人物。

170センチ台の、細身の男。

だが、その佇まいには妙な重みがあった。


悠斗は、無言のまま数歩前に出た。

10cmのシークレットブーツが、地面に小さく音を落とす。


「…なんだオメェはよ。おい。なんか用か?」


コウタは煙草を口の端に挟んだまま、警戒するようにスマホをポケットへ戻し、片手でズボンのベルトあたりを探る。

まるで何かを隠し持っているような動き――あるいは、そう見せかけた威嚇だ。


だが、その仕草は途中で止まった。


悠斗が、ポケットからスマホを取り出したからだ。

画面に映されたのは、一枚の鮮明な画像。


「これは、お前が三好陸翔に“会った日”の写真。駅前、17時12分。証拠は動画もある。音声も解析済み。脅し文句までな」


コウタの目が、一瞬鋭くなる。

悠斗は続けた。


「お前が2019年の喧嘩で補導された時の調書は、閲覧済みだ。

あの時、殴ったのは未成年だったが、相手が骨折した記録が残ってる。条件付き不起訴――でも、もう一度やれば前歴になる。今度は本気で“前科”がつく」


「……」


「最近よく出入りしてる新栄会系のタバコ屋の裏口、そっちも監視済みな。で、先週、そこでやりとりしてた相手――大倉って名前で偽装してるけど、正体は別。そっちは、今ちょうど公安が“訪問中”だ」


コウタの顔から血の気が引いた。


「三好の姉の写真もだ。出所はSNSの鍵垢経由。写真を渡したやつのアカウントも特定が済んでる。芋づる式に繋がるぞ」


「……お前、何者だよ」


「“中学生”だよ。今はな…」


悠斗はフードの奥から、コウタをじっと見据えた。


「警察には言わない。逮捕もしない。ただ、これだけは言っておく。

今後、三好陸翔に二度と関わるな。お前が命令を受けてた“そっち”にも、既に通告済みだ。……これ以上粘れば、お前の人生が消える」


コウタは数秒黙っていたが、やがて、ガリ、と足元でタバコを踏み消した。


「……分かった。引く。もう関わらねえ」


悠斗は、わずかに頷いた。


「それでいい。これで、お前も“監視対象”から外れる。次に名前が出たら、今度は俺じゃなく、“上”が動くからな」


コウタが声も出せずに立ち尽くす中、悠斗は静かにその場を離れていく。


街灯の下、彼の背中は、不自然に足が長い中学生のものだった。

だが、残されたコウタは――その場から動けずにいた。


「……中学生の、はずねえだろ、あんなの……」


* * *


夜も更けた校舎裏の非常階段――人目を避けたその場所に、玲奈は先に到着していた。


「……終わった?」


悠斗がフードを外しながら問いかけると、玲奈は口元だけで笑った。


「ええ、済んだわ。……拍子抜けするほどの小物だったわよ。“大人の分際で中学生を利用した件”、きっちり帳尻は合わせておいた」


「手荒なことは?」


「まさか。あれに使う労力すら惜しいわ。机の上に置いておいたのは、ごく基本的な“圧”だけよ。家族の口座情報と、隠してた副業の証拠、それに職場の上司の名前付きで“匿名通報の案内”も添えておいたわ」


悠斗は苦笑しながら、非常階段の手すりにもたれた。


「公安、やっぱえげつないな。お灸ってレベルじゃないだろ。それ、普通は夜眠れないぞ」


「眠れないくらいが、ちょうどいいのよ」


玲奈の目が、月明かりの中で冷たく笑った。


「私たち、言ったでしょ?“敵”じゃないなら潰さない。でも、“教育”はする」


玲奈は踵を返して歩き出す。すれ違いざま、ふと声を落として言った。


「……それにしても、君が一人で三好を引き上げようとしたのは意外だった」


「そうか? 俺はただ、昔の自分を見た気がしただけだよ」


「その“昔の君”は、いま目の前にいる中学生とは別人に見えるけどね――その目深に被ったパーカーといい、身長ごまかすためのブーツといい」


悠斗は、ブーツのつま先で地面を軽く蹴った。


「……158cmじゃ、凄みも何も出ないんだよ。放っておいてくれ」


玲奈はそれ以上は何も言わず、背を向けたまま小さく笑って、歩き出した。

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ファントム、中学生になる 〜元公安のエース普通の学生で居られるのだろうか〜 リトルベア・D・スネーク @kazamasin999

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