勇者選定大祭:『聖女』
夜。俺たちは宿屋の部屋でまったりと過ごしていた。俺はセラフィーから延々と愚痴を聞かされている。レイは我関せずといった具合に部屋の隅で本を読んでいる。おまえちょっとでもいいから代わってくんない?
セラフィーは止まらない。
「あの神殿の連中、どうしてあんなに堅苦しいのでしょう。息が詰まるったらないのです。私の力を見ては『さすが聖女候補』だの、『もっと慎ましく振る舞え』だの……どちらかにしてほしいものです」
セラフィーは止まらない。
「今日も散々でした。あの神殿の者たち……全員が全員、私に向かって同じことばかり。『聖女らしくしろ』『慎ましく、優しく、清らかであれ』って。そんなことばかり言うのです。もう耳にタコができそうです」
俺は適当に頷いた。
「はあ……」
「しかもですよ、あの偉そうな大神官! あの人の態度が気に入りませんの。私を見るたびに『まだ未熟だ』と説教。どれだけ努力してきたと思っているのかしら。私の魔力がどれほどのものか、分かっているくせに、わざと抑えつけるような言い方ばかり……本当に腹立たしい!」
セラフィーの指先は小さく震えていた。
「それに、あの聖女候補の子たち。表向きはにこにこしてますけれど、心の中では私を嫌っているのが丸分かりですわ。『あなたは特別』『私たちは凡人』って線を勝手に引いて、自分から遠ざかっていく。近寄ってきたと思えば、陰で噂話。……どうして私ばかりこんな目に遭わなくちゃならないのです?」
ちらと視線をやると、レイはページをめくる手すら止めず、完全に無関心を貫いていた。くそ、こいつだけは自由でいいよな。
セラフィーはなおも続ける。
「神殿にいると、息苦しいのです。規則は山ほどありますし、ちょっとでも逸れれば小言の嵐。笑い声を上げることすら咎められるなんて、おかしくありませんか? 私は子供の頃から笑うのが好きでしたのに。おかげで、あそこにいるときの私は、まるで仮面をかぶった人形ですわ」
肩を落としながら、しかし口調はどこか誇らしげでもあった。
「才能があるからこそ、私に課されるものは誰よりも重い。……でも、その才能が、時に恨めしいのです。力がなければ、あんな檻みたいな場所に閉じ込められることもなかったでしょうに。あーあ。才気溢れるこの身が恨めしいです」
おう自慢か?
呟きかけたが、飲み込んだ。うっかり口にしたら、愚痴は明け方まで続くだろう。
セラフィーは小さくため息を吐き、窓の外の月を見上げる。
「自由になりたいのです。私の力を、私の意思で振るいたい。……ただそれだけなのに」
セラフィーの言葉は、止まる気配を見せなかった。
「……私は誰よりも強いのです。神殿にいるどの候補も、魔法で私に敵う者はいませんわ。指先ひとつで、彼女たちを黙らせられるくらいに」
少し顎を上げ、鼻で笑う。
「それに、この美貌。どこへ行っても人々は私を見ます。羨望と畏怖のまなざしで。誰もが口をそろえてこう言うのです――『まるで女神だ』と」
俺は白い目でセラフィーを見る。
「私はすべてを持っています。力も、美しさも、地位も……与えられすぎて困るくらいですのに」
そこで言葉がふっと落ちた。セラフィーは長いまつ毛を伏せ、静かに吐息をつく。
「けれど、自由だけがない。心の底から笑える楽しみも、どこにもない。私に残されたのは、窮屈な役目と、見せかけの栄光だけ」
彼女の指が無意識に胸元を押さえていた。
「――今の私は、生きながら死んでいるも同じです。動いているだけの死体。息をしているのに、心は凍りついたまま」
言葉は夜の静けさに溶けていった。
俺は適当に頷いた。
「そりゃ大変だな」
「大変どころじゃありません。窒息しそうなのです」
愚痴というよりは半分は自慢に聞こえる。才能があるからこそ言われることだろうに。……けど、それを口に出すのはやめておいた。余計長引く気がしたからだ。
ちらと視線をやると、レイはページをめくる手すら止めず、完全に無関心を貫いていた。くそ、こいつだけは自由でいいよな。
セラフィーはなおも続ける。
「自由になりたいのです。私の力を、私の意思で振るいたい。なのにあの人たちは枠にはめて、私を縛るばかり……才能があるのが、こんなにも恨めしいなんて思いませんでした」
肩を落としながら呟く横顔に、俺は小さく息を吐いた。
「……それで? 聖女候補ってのは、結局どういうもんなんだ」
問いかけると、セラフィーは目を伏せ、少し間を置いてから語り出した。
セラフィーは小さく吐息をつき、こちらに視線を戻した。
「……そうですね。そもそも“聖女候補”とは何か、からお話しした方がいいでしょうね」
彼女は姿勢を正し、淡々と語り出す。
「聖女候補とは、王国が定める“特別な存在”です。生まれながらにして異能を宿した少女たちが、幼いうちに王国の目に留められ、神殿や王城で育てられる。いずれ現れる勇者と共に、大魔討伐の旅に出るために」
彼女はひと呼吸おいて、皮肉げに笑った。
「……建前はそういうものです。けれど実際は違う。王族や神殿が私たちを囲い込み、自分たちに都合のいい“聖女”を作り上げるための仕組みなのです」
俺は眉をひそめる。
「じゃあ、おまえは……」
「ええ。見事にその制度に絡め取られた子どもでした」
セラフィーの笑みは自嘲めいている。
「聖女候補になれば一生安泰。王国に守られ、特権を得られる。そう思う人も多いのでしょう。でも……その実態は、自由を奪われ、枠に押し込められるだけ」
彼女は窓の外にちらと目をやった。月明かりがその瞳を照らす。
「聖女候補とは、王国の都合に合わせて“用意された人形”。……私にとっては、誇りではなく、檻の名なのです」
セラフィーはしばし黙った。言葉を探すように目を伏せ、やがて細い吐息をこぼす。
「……私、もともとは小さな農村で暮らしていたのです。両親もいて、普通の、穏やかな暮らしでした」
その声音は愚痴まじりの調子から一転、どこか遠い記憶をなぞるような静かさに変わっていた。
「けれど、ある日王国から使者がやって来ました。『この子は聖女だ』と。私の力は人々を救うためのものだから、王城で教育を受けなくてはならない、と」
言いながらセラフィーは小さく笑った。懐かしむような、けれど苦々しいような。
「両親は喜んでいました。『王城に行けるなんて羨ましい』と。誇らしい話だと。だから私も……最初は胸が弾んでいました。立派な聖女になれるのだって」
そこで彼女は小さく肩をすくめる。
「……でも実際は退屈そのもの。与えられたのは堅苦しい教えと、面白みのない勉強。『力は人のために』『私欲に使ってはならない』。頭では分かっても、心は窮屈でたまらなかった」
セラフィーの声は次第に熱を帯びていく。
「友達なんて一人もできませんでした。誰もが私を“聖女候補”としか見ない。対等な相手なんて、誰一人としていなかったのです」
その横顔に、俺は思わず言葉を挟みかけた。けれど彼女は止まらない。
「魔法学院に入っても同じでした。成績はいつも一番。でも、それはただ他の子を力でねじ伏せただけ。羨ましがられても、畏れられても……誰も隣に並んでくれる人はいなかった」
淡々と語りながらも、その指先は膝の上でぎゅっと握られていた。
「……孤独でした。ただただ、孤独で」
部屋の隅、本から顔を上げたレイの瞳が、一瞬だけセラフィーを映した。
「勇者とは何度も顔を合わせました」
セラフィーはわずかに視線を上げる。窓の外、夜の闇を見つめるように。うんざりとした口調。こいつの言葉はレイにも向けられている。
「その人は優秀で、清廉で、誰にでも慕われる……そういう人。けれど、つまらなかった。刺激も驚きもない。全部が予定調和。あの人と一緒にいて、私は一度も胸を躍らせたことがなかったのです」
吐き捨てるように言い、唇を噛んだ。
「だから、待っていました。あの勇者を倒すような、誰かの登場を。……そしてその人となら、私は本当の意味で旅に出られるんじゃないかと」
そこで彼女は小さく息をつく。
「いずれ大魔を討つため、勇者と旅立つ日が来るのはわかっていました。でも……王城から広い世界へ出られることだけは、楽しみで仕方がなかった。だから調べました。地図を広げて、行きたい場所を一つひとつ。最初はどこに行こうか、次はどこに行こうかって……まるで子供の遠足みたいに」
わずかに頬を緩めた笑みは、ほんの一瞬。すぐに消え、また寂しげな眼差しが残る。
「……そんな日々の末に、私はおまえと出会ったのです、ザクロ」
俺は思わず背筋を正した。
「だから、お願いがあります。おまえに勇者選定大祭で勝ち残ってほしい。そして勇者となって……私と一緒に旅をしてほしいのです」
セラフィーの瞳は真っ直ぐで、どこまでも澄んでいた。
「……いつかで構いません。今回でなくても。あなたが勝つその日を、私は待ち続けます」
俺は首を横に振った。
「いや、今回で勝つ。俺は勇者になって、おまえと一緒に旅に出る」
一瞬の沈黙。やがてセラフィーは、ふっと微笑んだ。どこか安堵の混じった笑みだった。
部屋の隅で本を閉じる音がする。顔を上げると、レイがこちらを見ていた。彼は微笑んでいた。
セラフィーが微笑んだ後、部屋に短い沈黙が落ちた。
その静けさを破ったのは、俺だった。
「……レイ」
本を閉じて膝に置いたままの彼に声をかける。
「本当にいいのか? 俺が勇者になっても」
レイは少し目を細め、俺を見返した。
「……いいも悪いもないさ。僕だって望んで勇者になったわけじゃない」
淡々とした声音だった。
「たまたま才能があって、誰よりも強かった。ただそれだけで“勇者”にされたんだ。勇者なんてな、ただの雑用係だ。国の顔で、民衆の希望の看板。得られるものは名誉だけ。その名誉が欲しくて選定大祭に出る奴は多いけど――」
レイは短く息を吐く。
「ザクロ。きみのように明確な目的を持って戦う奴は、本当に少ないんだ」
胸の奥を突かれた気がした。彼の瞳は真剣そのもので、冗談の欠片もない。
「だから、きみに勝ってほしい。……七年前に出会ったときから、ずっと思っていたんだ」
七年前――。俺の胸の奥に、あの光景が蘇る。大魔リヴァイスの影、死の恐怖、そして生き残った奇跡。
「きみは生き残った。大魔と遭遇して。しかも先代の勇者とも縁を持った。ロウだって言っていたんだろう? 『おまえには勇者の才能がある』って」
レイの声は、静かだが確かな熱を帯びていた。
「だから僕は、きみに勇者になってほしい。本気の僕を超えて、な」
その言葉を聞き、俺は自然と笑みを浮かべていた。
「……なら、決勝で待っていろ。おまえを超えて、勇者になる。必ず決着をつけてやる」
レイの口元がゆっくりと綻ぶ。
「……ああ。楽しみにしてるよ」
月明かりが差し込む部屋で、俺とレイは互いに目を逸らさず、短い笑みを交わした。
そんなやり取りの中。
一つ。
気づく。
「おめー俺が勝てるなんて期待してねーんじゃねーか?」
「さあ? どうだろうね」
○
真夜中。月が天の頂にかかった頃、俺は一人で宿を抜け出した。
冷えた夜気の中、背後に張りつくような気配は、やはり消えてはいない。
俺は立ち止まり、振り返ることなく言葉を投げた。
「……いつまで隠れてるつもりだ」
闇がわずかに揺れた。影の中から一歩、二歩と現れる人影。
小柄な体躯、全身を黒布で覆い、顔には無機質な仮面。――間違いない。以前、俺を襲ったあの人物だ。
「またおめーか」
俺はゆっくりと腰に手をかける。
「今日は逃がさねえ。……答えろ。おめー何者だ」
仮面の人物は黙って俺を見つめていた。月明かりに照らされて、その沈黙はひどく不気味だ。
やがて、すっと手が伸び、仮面の縁にかかる。
ギィ……と音を立て、仮面が外されていく。
露わになった素顔を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
「おめーは――」
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