序章:今代の勇者
その少年は信じられないほど鮮やかな存在だった。
肩口でふわりと揺れる金の髪。それはまるで聖なる光をまとっているかのように煌めいている。
碧眼がまっすぐこちらを見据えていた。鋼のような意志を宿しながら。どこか人懐こい色を帯びた瞳だった。
――誰だこいつは。
こちらが言葉をかけるより先に向こうが微笑んだ。
「君、村の人だよね? 良かった、生きていたんだ……僕はレイ。王都から派遣された勇者だよ」
「ゆ、勇者……?」
何かの冗談かと思ったが。彼の背中に下げられた剣や地に踏みしめた足。幻想的な佇まい。
こいつは本物だ。
俺とは住む世界が違う。
レイは静かに言葉を継いだ。
「この村を襲った魔獣の痕跡を追って、ここまで来た。……けど、まさか、ここまで酷いとはね」
彼の視線が焼け落ちた家々や荒れ果てた畑を見回す。その後目を伏せる。
「残念だ。本当に。ああそうだ。君の名前は?」
「……ザクロ」
「ザクロくん。ひとつ聞かせてくれないか。――この村を襲ったのは、どんな魔獣だった?」
その問いに、俺の喉が引きつる。
嫌でも思い出してしまう。あの巨大な影、呻き声、破滅の象徴――
「大魔、リヴァイス……。全身が黒い鱗で覆われた、でかいやつだ。触手みたいな羽も……白骨の角も、ついてた。……何もかも、滅茶苦茶にされた……!」
震えながらそう告げると、レイの目が細められた。
その奥に、怒りが燃え上がるのを俺は見た。
「リヴァイス……まさか、本当に奴が……」
「知ってるのか?」
レイは頷いた。
「僕の目的は、それを討つことだ。王命でね」
「……!」
「だけど、僕一人では無理だ。情報も足りないし、この地で協力者が必要になる。君の話を、もっと聞かせてくれないか。どうやって逃げ延びたのか。どこで、何が起きたのか……」
勇者が俺に協力を求めている。
あまりにも現実味がない。
けれどこれは現実で。
「分かった。話すよ、全部」
気づくと俺は口を開いていた。
昨日の夜。突然魔獣の群れが出現したこと。その中には大魔と自称する魔獣がいたこと。そいつと元勇者ロウが戦って。その娘のイリスも村人たちを逃がすために戦って。二人以外のほぼ全員の村人が助かって。
けれど二人は行方不明。
という内容を説明した。
「……なるほど」
レイはうんうんと頷いた。
そしてふと、俺の顔をじっと見つめた。
「……ごめん、たくさん話させてしまったね。辛い記憶だったはずなのに」
「いや、大丈夫だ」
そう言いながらも、喉の奥が熱くなるのを感じる。どこかで堰き止めていたものが、今にも溢れ出しそうだった。
そんな俺の様子に、レイはそっと視線を落とすと、優しく言った。
「ありがとう、ザクロくん。君が話してくれたおかげで、僕は一歩前に進める。……でも無理はしないで。話したくないことがあれば、言わなくていいから」
その言葉に、胸の奥がじんとした。
この人は、本物の勇者だ。強いだけじゃない。ちゃんと、人の痛みに寄り添ってくれる。
思わず、俺は小さく呟いた。
「……あんた、変なやつだな」
「よく言われるよ」
レイはいたずらっぽく笑った。
少し間を置いてから、ふと真顔になって尋ねた。
「ザクロくんは……どうして、この村に戻ってきたんだ?」
その問いに、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
けれど――もう、隠す理由なんてない。
「……ロウとイリスの行方を捜しに来た」
俺はそう言った。
風が吹いた。焼けた家の残骸を掠めて、空へと昇っていく。
「……もしかしたら、どこかに……二人の、死体が転がってるかもしれない。でも、それを確認しないまま逃げるのは嫌だったんだ。あの人たちが、どうなったのか……知りたくて」
喉の奥が引きつる。言葉を吐き出すのが、こんなにも苦しいとは思わなかった。
けれどレイは、俺の言葉を黙って受け止めてくれた。
「……そうか」
短く静かな返事だった。
少しの間互いの間に沈黙が満ちる。
その時。乾いた地鳴りが響いた。
思わず振り返る。木々の間をかき分けるように黒い影が現れた。
「っ……魔獣!?」
全身を黒い体毛で覆った、四つ足の獣。目は赤く爛れ、よだれを垂らしながらこちらへと唸り声を上げる。
見覚えがある。村を襲った群れの一体――生き残りだ!
逃げようとした瞬間。
「下がってて!」
レイが叫び、地を蹴った。
一瞬。
ただの一瞬だった。
金色の閃光が地を走り、次の瞬間には――魔獣の首が宙を舞っていた。
ドサリと音を立てて、魔獣の巨体が崩れ落ちる。
……何が起きたのか分からなかった。いや、理解が追いつかなかった。
「……もういないか。よし」
レイは剣を軽く振り、血飛沫を払う。何事もなかったかのように、静かに鞘へと収めた。
「今の……あんたがやったのか……?」
俺は呆然と呟く。
レイは少し照れたように笑った。
「うん、ちょっと早すぎたかな。見せ場も何もないね」
冗談めかした口調だったが、その剣技は冗談ではなかった。
――やっぱりこの男は、本物の勇者だ。
怖気が走る。
「ふぅ」
魔獣の死骸から目を逸らし、俺はレイを見る。
彼は剣を収めたまま、しばらく何も言わなかった。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……ロウには、もう一度だけ会いたかったな」
「……え?」
その声には、さっきまでとはまるで違う色が混じっていた。どこか遠くを見るような、寂しげな――憧れにも似た響き。
「勇者選定大祭で優勝して、三百三十五代目の勇者になったあとにさ。ちゃんと、話をしてみたかったんだ。……勇者としてじゃなくて、一人の人間として」
レイは空を見上げた。夕焼けに染まりかけた雲が、ゆっくりと流れていく。
「……彼が背負ったもの。捨てたもの。戦った意味。それを、少しでも知りたかった。知ったうえで……自分が何を選ぶべきか、考えてみたかったんだ」
その横顔は、どこまでも真っ直ぐだった。
強いくせに、悩んでいて。迷いを捨てきれないまま、それでも前に進もうとしている。
俺は小さく息を呑んだ。
「ロウは、きっとあんたと話せたら、喜んだと思う」
「そうかな……ザクロくん。これからどうするつもり?」
その問いに、迷いはなかった。
「――勇者選定大祭で優勝する。俺は、勇者になる」
レイの目が少しだけ見開かれる。けれど、すぐに笑った。
「それはつまり……僕を倒すってことだね?」
「そうなるな」
しばしの沈黙。
そして、レイは柔らかく微笑んだ。
「おもしろい。やってみるがいいさ」
その言葉に、俺の胸が熱くなる。挑戦を受け入れられたのだ。今、確かに宣戦布告が通じた。
だが、レイはさらに問いかける。
「じゃあ、勇者になって……そのあと、どうする?」
俺は真っ直ぐに答えた。
「大魔リヴァイスを倒す。それが、俺の目的だ」
すると、レイはさらに笑みを深めた。
「……いいね、きみ。期待してるよ。いつか僕を倒しに来てくれ」
そして、ふっと空を見上げて、少しだけ声を潜めるように続けた。
「――そして、うちの聖女様を楽しませてやってくれ」
「……聖女?」
「うん、仲間なんだ。仲はあまりよくないけどね。ものすごくかわいいんだ」
レイは肩をすくめるようにして言った。
「『おまえは完璧すぎてつまらないです』って言われるんだ。酷いだろ?」
思わず苦笑いが漏れた。
「けどさ、きみが勇者になってくれたら、きっと彼女も喜ぶと思う。だから頼むよ。いつか、僕を倒しに来てくれ」
レイの言葉には、どこか切なさが滲んでいた。
「……勇者になんて、なるもんじゃないよ。所詮、雑用係だからね。誰かの希望であり続けるって、案外しんどい。……でも」
その目が、真剣な光を宿して俺を見据える。
「ほかにいくらでも道はある。今は見えないかもしれないけど……このことだけは、頭に入れておいてほしい」
俺は、黙って頷いた。
その忠告の意味を、きっと本当に知るのはもっと先のことだ。それでも――胸に刻んだ。
「一つ、聞きたい」
「なんだい?」
「強くなるにはどうすればいいんだ? 剣術の教えを乞う、とかか?」
「それもいいと思うけど、遠回りだよ。ひたすら実戦経験を積み上げる方がいい。と思う。僕は、だけどね」
「そっか。分かった。ありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、僕は行くよ。さようなら。次は勇者選定大祭で会おう」
〇
その後。
レイは村を去った。
俺はしばらくの間荒れ果てた村の中を探索して――赤い血が付着したイリスの剣を見つけた。
その時にはつい涙が出てきちまった。クソが。魔獣どもめ。根絶やしにしてやる。
あとレイに目を奪われて気づかなかったけれど……村の中には大量に魔獣の死体が転がっていた。全てあの二人が殺したのだろう。流石は勇者。とその娘。実力は目を見張るものがあった。
イリス。ロウ。
二人の死体は見つからなかったのでどこかで生きてるかもしれない。もしくは死体を魔獣共に食べられてしまったのかもしれない。
いずれにせよ彼らとはお別れだ。もう二度と会えないのかも。
そう思い俺は二人の墓を作った。木の板だけで作った簡易的なものを。
そして決心する。
強くなろうと。
レイに負けないくらい。イリスにも。ロウにだって負けないくらいに――強くなる。
そのためにまずは武者修行だ。
山に籠ってひたすら魔獣を狩り続ける。人里には下りない。今日からこの廃村で過ごす。過酷だろうが関係ない。戦いの日々に身を置こう。
十分強くなったら山を下りる。そして王都に行って勇者選定大祭に出場する。そこでレイと戦って勝利する。
うん。そうだ。まずはレイに勝てるくらい強くなろう。
そうして。俺はその日から山籠もり修行を開始した。
地獄の日々が幕を開けた。
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