厨房の闘士からの依頼

「ほらほら、蒸気逃げちゃうアル!」


 アルネが手慣れた様子で、蒸籠の蓋を器用に押さえながら指先を滑り込ませる。もわっと立ちのぼる湯気の向こうに、ふっくらと膨らんだ点心が姿を現した。


 その姿は一見、どこかで見たことのある“肉まん”に似ていた。ただ、皮が違う。黒みを帯びた艶やかな皮は、湯気を受けて光を跳ね返している。指先に吸いつきそうなしっとりとした湿り気。ひと目でわかる、“ただ者じゃない”感。


 甘さと辛さが混ざったような、鼻腔の奥をくすぐる香りに、青く尖った草のような香気が重なる。まるで香りそのものが料理の前口上を語っているようだった。異国の、いや異世界の風が鼻先を撫でていく。


「これが……“ルオ・マントー”?」


「そうネ。店によって中身も味付けも少しずつ違うアル」

 説明もほどほどに、我慢できなかったのかアルネは豪快にかぶりついた。

 蒸気の中で目を細め、頬を緩ませる。食べる前からわかっている、という顔だ。

「やっぱりここの店が一番うまいネ」

 
 そのまま二口目へ。タベルへの配慮も忘れている。


 タベルは手早く髪を束ね、湯気に包まれた籠へと手を伸ばす。


「じゃあ、いただくぜ」

 黒光りする点心をつまみ上げ、ひと口、かじる。

 ――その瞬間、世界が少しだけ静かになった。


 まず舌に届いたのは、濃厚な肉の旨味と脂の甘み。湯気で蒸されたその脂は、しつこさがなく、舌の上でとろりと溶ける。

 醤油とも味噌とも違う、深くて複雑な発酵のコクがそれを支えていた。これは、ただの調味料ではない。時間と手間がかかった“味”だった。


 肉は豚に近いが、どこか野性味が強く、脂のキレが良い。粗挽きにされたその塊が、歯に心地よい弾力を与える。

 そして、味の背後から、スッと立ち上がってくる香り。細かく刻まれた緑の葉――パクチーに似ているが、より苦味が少なく、清涼感が際立っている。肉の重厚さを、青い風のように吹き抜けていく。


 次に、歯応えのある“異物”が舌に触れた。ぷりっと弾ける、淡く透明な身。噛むと、じゅわっと海の甘みが滲み出す。粗く刻まれたエビのようなもの。それも、蒸してもなお存在感を失わない、しっかりとした身質のやつ。

 山の恵みと、海の贈り物。それが一つの皮に包まれている。この一粒に、世界が凝縮されていた。


 さらに食べ進めたその奥――箸先に、ころんとした丸みが当たる。

 ……うずらの卵か?

 齧った瞬間、ほろりと崩れる黄身の質感が舌を包み込む。ざらつきのある濃厚な味。塩気の奥に淡い甘さが隠れていて、肉とエビの旨味と交わる。

 料理全体の印象が一段上がった。これは単なる具材ではない。ひとつの完成されたソースのように機能している。


 そして何より、この“偶然の出会い”に、タベルの心が躍った。

 うまいだけじゃない。ひとつひとつの食材が、味覚の迷路の中で“発見”として現れる。そのたびに、目の奥が、少しずつ明るくなるような感覚。


 これが、ルオ・マントー。

 ごろごろと大胆に刻まれた肉と海老、そこに清涼感を添える香草、そして宝石のような卵。どれもが強烈に自己主張しているのに、不思議とケンカにならない。まるで個性の強い役者たちが、完璧な脚本のもとで調和している舞台のようだ。


「旨いな……」


 タベルは思わず、目を伏せたまま呟いた。

 味がどうとか、香りがどうとか――それすらも言葉にするのが惜しいほど、このひと口にはすべてが詰まっていた。


 しんみりと味わう中、すでに食べ終わったアルネが呟く。

「これ食べ終わったら行きたい所あるネ」

「どこへ?」

「うちネ」

あっけらかんと言って、アルネは次の“ルオ・マントー”をひと口かじった。



 スーユーの町を歩くにつれ、タベルはこの土地の“匂い”に引き寄せられていた。
 湯気と香辛料の香り、鉄鍋が立てる乾いた音。そして何より、空気の底に染みついた火と油と――年月の焦げ跡。
表通りの喧騒から外れ、裏路地の静けさに包まれるほど、それは濃くなる気がした。


「はい、到着アル」


 アルネの足がぴたりと止まった。
その視線の先にあったのは、重厚な木製の門構え。鮮やかな赤の門柱と、瓦屋根の装飾には細かな彫刻が施されている。まるで古い寺院か王侯の邸宅のような風格だ。


 タベルが口を開く前に、アルネはその門をくぐっていく。
その奥には、石畳の道と緩やかな石段。両脇には鉢植えの香草や香辛料がずらりと並び、風に揺れては微かに香りを放っている。


 登りきった先に、もう一つの重い扉があった。

 アルネがそれを迷いなく押すと、わずかな軋み音と共に、静かな店内が広がる。

 まだ昼には早い時間帯だ。
客席は広く、丸テーブルが整然と並んでいるが、どこにも客の姿はない。
かわりに、奥にある厨房からは忙しない足音と調理音だけが聞こえてきた。


「まだ仕込み中って感じか……」

 タベルが呟くと、アルネはふっと口角を上げた。


「そうネ。でも、この静けさもまた味アル」

 彼女はまっすぐ厨房の奥へと歩き出し、立ち止まることなく声を張った。

「帰ったネ!」


 タベルが後を追うその刹那。
 厨房の音が――ぴたりと、止んだ。

 まるで世界の音が急にミュートされたかのような静寂。
包丁のリズムも、鍋のかき回しも、誰の息づかいすら聞こえない。
代わりに、低く、乾いた声が空気を割った。


「……弟子を連れて帰ってきたのか?」


 不意に背筋をなぞるような、低く響く声だった。

 タベルが声の方向へ視線をやる。
奥の仕切りの向こう、薄暗い厨房の中央に、その男は立っていた。


 白衣は何度も洗われて色褪せ、袖口は火の粉で焦げている。


 腕には古傷や火傷の跡が無数に刻まれ、立ち姿そのものがまるで“厨房の闘士”だった。

 その男が一歩、音もなく足を踏み出すたび、空気が少しずつ濃くなる。


「違うネ。むしろワタシの方が弟子ネ」

 アルネがいつもの調子で笑いながら言った瞬間、空気がすこしだけ重たく変わった。

 男の濃い眉がぴくりと動き、その目がわずかに細められる。

 まるで、まな板の上に置かれた食材を見極めるかのような――


 値踏みとも、審査ともつかない眼差しだった。


 一瞬だけ、口元に皺が寄った。
それが笑みか、溜息か、それとも戦闘態勢の証かは、読み取れなかった。


「……ほう」


 その声には、情の温度はなく、刃のような硬さがあった。
“弟子”という言葉の意味を、きちんと知っている者に向けた声だった。


「タベル、すごいネ。味の分析とか、料理に向き合う集中力とか。ワタシが弟子ってのも半分本気アル」


 タベルは軽く肩をすくめたが、否定はしなかった。アルネの父は、じっと彼女を見つめたまま無言で立ち上がる。


「……そうか」


 それは試す目だった。職人が、材料を手に取る前の静かな緊張。
やがて彼は厨房の奥に消え、数分後には鍋に火がかけられる音と、包丁の乾いたリズムが店内に響き始めた。

 タベルは言葉もなく立ったまま、音に耳を傾ける。
その手際には、迷いも無駄もなかった。


 やがて運ばれてきたのは、小ぶりな器に盛られた料理。茶色いとろみのあるソースに、角切りの何かと、柔らかそうな根菜のようなものが浮かび、そこに緑の葉が添えられていた。香りは複雑で、どれか一つを特定できない。深みと、わずかな刺激と、香草のような青さが絡んでいる。


「食べて、どう感じるか教えろ」



 アルネの父は短く言った。

 これは何かのテストなのか。

 わからない。

 が、タベルは髪をまとめ直し、器にスプーンをためらいなく差し込む。

 口に含んだ。

 ――重みのある甘い香り。何かの肉をベースにした出汁。味はくどくない。
根のある香味野菜で中和されてる。とろみは発酵系か? 発酵させた穀物か豆か……
 香りの上にふっと立つ青い香草。たぶん、あえて後から足してる。
だが、何か足りない気がする。これだけの素材が重なってるのに、最後の一手がこない。

 スプーンを置くと、タベルは言った。


「濃厚だけど、後半で重くなる。これに少しだけ酸味が入れば、全体がもっと締まる気がする。……たとえば、柑橘系の絞り汁とか。酸味と香りの両方が立って、一口目の印象が最後まで保てるはずだ」


 彼は目を細め、無言で厨房へ戻る。
同じ料理を、今度はタベルの言うように、何かの果実を絞って仕上げた。
再び運ばれてきた皿を、彼自身が一口、静かに食べた。

 ――数秒の沈黙。


「……なるほどな」

 アルネの父がぼそりとつぶやき、椅子を引いて重たげに腰を下ろす。
 木の軋む音がやけに大きく響いた。


「俺はリェンだ。……俺の代わりに、審査員をやれ」

「……は?」
タベルが眉を寄せる。

「審査員?」

「来月、この街で料理大会がある」


「ちょ、ちょっと待つネ。そんなの初耳ネ」


 アルネが割り込む。

「お前が出て行った次の年から始まったんだ」


 リェンは淡々と答える。


「審査員なんてやったことないんだけど……」

「それだけ的確な分析ができる舌なら、それで素直に判断してもらえばいい」

「なら、ワタシは出るネ。料理する側で!」


「勝手にしろ。俺は仕込みで忙しい。審査員なんてごめんだ」

 リェンはそれだけ言って、もう一度厨房へと姿を消した。


「ひどいネ。父上。でも、やる気出たアル。ここで、タベルが“認める”料理を作るネ!」

 アルネの声は軽い。
けれど、その奥にあるのは冗談じゃない目だった。


 一方で、タベルはというと——


 まだこの町の全ての料理も分からないし、第一、異世界の食材なんてほとんど知らない。
でも。

 この世界中の「うまいもの」が一堂に会する大会に違いない。それを食べ比べて、分析して、あまつさえ審査できる。それはもう、とんでもなくおいしい話だ。

 タベルの瞳には、静かに火が灯っていた。この異世界のど真ん中で、食と向き合う舞台が、自分の目の前にぽっかりと開けたのだから。

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