希望の勇者と変化の予感
「すまん!」
親方は、工房の戸を開けるなり頭を下げた。鉄と油のにおいを背負い、肩で息をしている。 鍛冶屋というのは、朝から命を削るような仕事らしい。体も、気持ちも。
「刃を研ぐとこまで、いけると思ってたんだが……」
そう言って、親方は工房の奥から包みをひとつ持ってきた。厚手の革に包まれているそれを、慎重に開く。
中から現れたのは、再成形された刀身だった。
折れた痕跡は見事に消えている。鍛え直された地金が、淡い波紋を浮かべていた。
「うちで形は整えた。でも、最後の仕上げは、専門の研ぎ師が必要でな……」
「……断られた、ってことアル?」
アルネの声に、怒気はない。むしろ半分わかっていたような、そんな雰囲気だった。
親方は顎に手を当て、渋い顔をしてうなずく。
「昔馴染みの職人に声かけたんだがな。素材も形状も特殊すぎる。研ぎに失敗すれば、一発で台無しになるってさ。だから手ぇ出せねぇ、って断られちまった。申し訳ねぇ」
その言葉が沈んでいく間、誰も何も言わなかった。 ただ工房の奥から、別の職人が鉄を打つ甲高い音が絶え間なく響いている。リズムのようでいて、どこか不安定。まるで未完成な何かの鼓動のようだった。
タベルは黙って刀身に視線を落とす。光の加減で、かすかに刃文が揺れている。生まれるべきものが、まだ眠っている──そんな雰囲気だった。
「ここまで直しただけでも十分じゃないか。なあ、アルネ」
タベルの言葉に、親方が少し目を細めた。
「まあ……なんつーか、オレとしても、最後まできっちりやり遂げたかったんだがな……」
親方の分厚い手が、未完成の刀をそっとなぞる。
「ワタシの故郷の研ぎ師なら……おそらく、問題ないネ。ここまでやってくれたなら、もう感謝しかないアル」
アルネは、ゆっくりと親方に頭を下げた。深く、丁寧に。
親方は一瞬きょとんとして、それから慌てて頭をかきながら笑った。
「おう、そうだ。それと、こっちも──」
彼は、もうひとつの小箱を手渡す。包みは無骨な布ではなく、木製の蓋付き。
開ける前から、タベルはすでに笑っていた。
縦長の形状でわかる。
「『ハシ』ってのはこういう感じで良かったか?」
「そっちは出来たアルか!」
アルネの金色の目がぱっと輝く。今までとは違う種類の光だ。
タベルが小箱の蓋を外す。中には、黒く光る一対の箸。細身で、鍛えられた鉄に似た重みがある。
折れた刃の部分から作られたとは思えないほど、バランスが取れていた。 表面には細かな鎚目が残され、それが光をやわらかく弾いている。片方の根本には、うっすらと刻まれた模様。タベルの指が、それに触れた。
「……模様、入ってるな」
「鍛冶屋の意地ってやつだ。飾りじゃねぇ。力が逃げねぇようにしてある」
タベルは箸を手に取り、軽く空をつまむ。風を切るような感触があった。 ただの食器ではない。だが、食べる道具には違いない。
「完璧だな」
短く、それだけ言った。だが、工房の空気がわずかに和らいだ。
◇◇◇
親方の工房をあとにし、二人は鍛冶ギルドの裏手にある、ひと気の少ない小路を歩いていた。 硫黄と鉄のにおいが混じって、鼻の奥に居座っている。
「……で、そのアルネの故郷ってどんなとこなんだ?」
タベルが言いながら、手にした箸をくるりと回した。動きに無駄がないのは、今すぐ使いたいとしか思っていない証拠かもしれない。
「この町から南へ山をひとつ。海の方にあるネ。ワタシの故郷……“スーユー”って街アル」
「スーユー……」
「商人が多く行き交う街アル。それと“山の民”と“潮の民”が同じ土地に住んでる、ちょっと変わった街ネ」
「山の幸と海の幸……いいな」
と、勝手に脳内変換。
アルネはそれに突っ込むことなく続ける。
「様々な食材が揃うからレパートリーも多いネ」
タベルの目がぐっと見開かれた。思考が完全に食卓に飛んだ音が聞こえた気がした。
「つまり──色々うまいもんが揃うわけか」
「伝統的に、料理人も多いネ。腕の立つ人間は、力ある者として尊敬されるアル」
「なるほどな……旨さこそ正義、良い時代になったものだ……」
そう言ってニヤリと笑う。
「タベル、行く目的変わってるネ」
アルネは笑った。想像以上に“スーユー”に食いついたことが、ちょっと嬉しかったらしい。
タベルは箸をポケットにしまい、代わりにマップを広げた。
「けっこう近いな。……よし、じゃあ早速行こうぜ」
タベルは軽い感じで踏み出す──
が、その足を止めた。
「念のため、アレにも一声かけておくか」
タベルは空を見上げた。日差しが強く、雲ひとつない空。
「おーい! 観てんだろ? つーわけでもうちょい寄り道するから! 文句あるなら今のうちにな!」
何の前触れもなく、空がきらりと揺れた。
「友達呼ぶみたいに呼ばないでよ」
光の粒をまとって、ニリエルがふわりと降りてきた。 白銀の装束を風に揺らしながら、あたかも「前からいたわよ」と言わんばかりの顔で。
「……事情は、まあ、わかってるから。文句は言わないわよ」
そう前置きしたわりに、顔には文句が書いてあった。
「ただし、昨晩みたいな破廉恥大騒ぎは無しだからね」
「あれはお前のお友達のせいだろ? 俺は何もしてない」
「あなた、中心にいたじゃない。同罪よ」
「それはさすがに……無茶苦茶だろ」
「……私なんか、あれのせいで怖くてスマホ開けてないんだから」
どこか覇気のない言い方だった。 声にキレがない。突っ込みも甘い。 怒るより、諦めが先に来ている感じだった。
ニリエルはふっと息を吐いた。 まるで、呼吸そのものが疲れているように。
「……そこ、アルネの故郷なんでしょ? “食の神域”とか呼ばれてるらしいし……私もちょっと、気になるっちゃ気になるのよね」
空を見上げたその横顔は、ふだんよりずっと年相応だった。 女神というより、疲れたOLが旅先で深呼吸してるみたいだった。
「“ちょっとだけ”って顔じゃないネ。目がキラキラしてるアル」
「うるさい」
返す声にも、棘がない。
「ま、気が向いたら来ればいい」
そう言うタベルに二リエルは小さな違和感を覚える。
「……そういえば、伝説の剣は?」
「飯食うとき邪魔になるから、あの祠に置いてきた」
なんでもないことのように言い放つ。
一瞬だけ彼女の眉がぴくりと動いた。怒るかと思った。
でも、次に出てきたのは──ため息だった。
「……もう、なんなのよ、ほんと……」
小さくこぼしながら、ニリエルはふたたび空を見上げる。 飛ぶ気力がなかなか湧かなかったのか、数秒ほどじっと空を眺めて、それからようやく、重たげに身体を浮かせた。
「じゃあね」
風に乗って、またふわりとニリエルは空へと戻っていった。 あの背中には、いつもの神々しさよりも、若干の“お疲れモード”が滲んでいた。
タベルは口の端を少しだけ上げて、再び前を向く。
「じゃあ、次の目的地は“スーユー”。メシ……じゃなくて研ぎ師だな」
「完全にメインが変わってるネ」
アルネはそう言いながらも、やっぱり嬉しそうだった。
◇◇◇
神殿に差し込む光は、いつも通り澄んでいた。
しかし、その澄んだ空気は――次の瞬間、空気ごと崩れ落ちる。
「来ちゃったよ〜〜〜ん♡」
神殿の柱の陰から、何の前触れもなくエバリアがひょっこりと現れた。
ひらひらと手を振りながら、神域の神殿にも躊躇なく侵入。神聖とか格式とか、彼女の辞書には存在しない。 SNS映えが全て。空気は読まない――たぶん、読めない。
「……だから、当たり前の顔して来ないでって言ってるでしょ」
ニリエルはため息交じりに視線をそらす。が、エバリアはまるで聞いていない。
「堅いこと言いっこなし! そんなことより昨夜の生配信♡ どうだったと思う?」
その言葉を聞いた瞬間、ニリエルの表情がピクリと凍る。 こめかみに手を当てて、ゆっくりと首を横に振った。
「その話題は……出さないで」
「えー? だってあれ、最高だったじゃん?」
「違うの。あれは、忘れるって決めたの。完全に黒歴史なの。私の中では“なかったこと”にしてるの」
ニリエルの声は切実だった。声色も、どこか必死で、普段の落ち着いた女神のそれではない。
「もう……ほんとに……私の存在自体抹消しようかと思ったくらい」
「うわ、そこまで?」
エバリアは面白がるように眉を跳ね上げた。そして、まるでその反応を待っていたかのように――
赤い瞳をわざとらしくキラリと光らせた。
「でも~? 忘れたくても忘れられないかもよぉ? だって! 魔界SNSで――視聴数、前代未聞のトップ更新♡」
「……えっ?」
「しかもね、リアクション動画まで続々出てるの! 特に食べ物出て来てからのコメントがいい意味で燃え盛ってる〜♡」
「嘘……でしょ……?」
ニリエルは小さくつぶやいた。
昨晩のドタバタが何度もフラッシュバックする。 何度思い出しても恥ずかしい。できれば時空ごと捻じ曲げて消し去りたい。完全なる黒歴史。
沈みゆくニリエルの前で、「あ〜ん♡ こんなの初めて〜♡ クセになっちゃう♡」とエバリアは恍惚の表情で、クルリと一回転。
この神殿の静謐も、ニリエルの苦悶も、彼女には届かない。届く気配すらない。 まさに悪魔的無神経さ。文字通りの意味で。
だが、二リエルの中で少しの、ほんの少しの疑問が浮かび上がった。
「で、でも……あんな無茶苦茶な内容だったのに。どうして、そんなに……?」
その声に戸惑いがにじむ。
悪魔が乱入し、勇者の温泉を実況し、最後は鍋が爆発した――だったか、もはや記憶は定かではない。
しかし、テンプレの「魔王討伐」も「魔物との戦い」もない、ひたすらに混沌とした一夜。 そんなものが、どうして魔界で?
本来、魔界SNSが喜ぶのは“魔物の暴走”や“破壊の美学”。 天界は“勇者の活躍”と“予定調和の栄光”。それがルール。それがテンプレ。
(それが……変わってきてる?)
「さぁね♡ 時代がそういう流れになって来てるんじゃないの?」
エバリアはふわっと笑って、片目をウィンクさせる。
「そもそも天界で――」
「……天界?」
彼女の言葉にニリエルの目が細くなる。
「なんでもないっす♡」
エバリアは一瞬、間を空けたのち、いつもの調子で手をひらひら振ってごまかした。
「そんなことよりタベルたちは?」
「……アルネの故郷、スーユーに行ったわ」
ニリエルはそう言いつつ、ほんの一瞬、胸の奥がチクリとするのを感じた。
(今……エバリアは何か隠した?)
何かが引っかかる。でも、正体はまだわからない。ただその違和感だけが、静かに、じわじわと残っていく。
「でさ、相談なんだけど」
「今度は何?」
「今後はこっちの路線で――ってのも、アリじゃない?」
唐突に切り込むように、エバリアが声を落とす。 その顔はいつになく真剣……に見せかけた小悪魔フェイス。たぶん半分は本気だ。
「テンプレバトルもいいけどさ。お祭り騒ぎでワンチャン、勇者と悪魔の共同チャンネルとか? ね? 夢あるでしょ?」
ニリエルは目を伏せたまま、何も言わなかった。光の差し込む鏡のような床をただ見つめる。難しい顔をしている自分と目が合った。
(魔界で、そんなに反響があった。もしかしたら、天界でも……?)
可能性は、確かにある。 けれど、そう簡単に首を縦には振れなかった。天界には“秩序”がある。 勇者、王道、テンプレ。 そこに、あんな展開は入り込めるのか。
「……ちょっと、考えさせて……」
言葉を絞り出すように、ニリエルが言った。
「OK〜♡ じゃ、気が変わったら教えてよ! もちろん、そのときはもっと盛れる演出用意しとくから♡」
エバリアはくるりと背を向け、ひらりと手を振る。 まるで神殿の空気にすら自分の香りを残していくように、軽やかに、舞うように。
「じゃ、お互い頑張ろうね〜♡」
次の瞬間、空間がふっと揺らぎ、エバリアの姿は消えた。
静寂が戻る。 神殿の光はいつも通り、澄んでいた。 けれど、ニリエルの胸にはまだ、さっきの“違和感”が燻っていた。
(天界が――なんて、言いかけた?)
わずかに目を細める。 今はまだ、確信には届かない。
でも、その先に何かがある気がしてならなかった。
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