きんきらジジイはさりげなく
火山帯のふもとへ続く山道は、風が強く、岩肌の多い険しいルートだった。ところどころ、落石注意の看板なんてものがあったけれど、すでに岩の方が看板を押し潰している。注意すべきなのは、看板の方だった。
その途中――妙な人物が道をふさいでいた。
「おお、そこのお若いの!」
白髪を後ろでひとつにまとめ、金の刺繍がこれでもかと施された旅装を着た老人。どこかの演歌歌手か、あるいは派手な絨毯の精か。とにかく、視界に入った瞬間から怪しさしか感じない。
しかし何より厄介なのは、本人のノリだった。
満面の笑みで両手を広げ、出会えたことを全身で祝福している。仙人の見た目をしておきながら、テンションはテレビバラエティ司会者。しゃべるたびに「ワクワク感」が伝染しそうだった。
「実はワシ、ちょっとばかし特別な立場におってな? その筋では“天界にもっとも近い男”なんて呼ばれたり、呼ばれなかったり――」
「……はい、通ります」
タベルは棒読みでそう言いながら、まるで自販機の横をすり抜けるかのように、老人の横を抜けようとした。
アルネも無言でその後に続こうとしたが、老人はにゅっと半歩前に出て、彼女の進路をブロックする。彼女は露骨に顔をしかめた。
「おっと、ちょいと待った! いきなりスルーは寂しかろう!」
老人は声を張り上げ、演劇のワンシーンかと思うほど大げさに両手を広げた。だが、タベルは一度も振り返らず、ぼそりと呟く。
「なんか話、長そうなんで……」
「うぐっ……そこはほら、年寄りの語りには金言が詰まっておるとか、そういうやつじゃろ?」
老人はさらに前のめりに食い下がる。
タベルはついに立ち止まり、ため息混じりに振り返って言った。
「じゃあ、一言でお願いします」
「む、無茶ぶりか!」
老人は一瞬目を白黒させたが、すぐさま指を一本立てて、やたら誇らしげに言い放つ。
「おぬしらの料理が気になるから、ちょっと味見したい」
「……なんか、嫌な予感しかしないネ」
アルネがぽつりと呟く。
うんざりした顔で視線を宙にやったあと、無言で老人の横をすり抜けようとする――が。
「まあまあ、そんなこと言わんと!」
老人は、どこから取り出したのか、手のひらでキラキラした羽根の欠片をさりげなくチラつかせる。
紙吹雪かと思ったが、光を反射する様子はどこか神聖だった。
「まさか、ニリエルの知り合いか?」
「まぁ、そんなところじゃ」
と、軽い返事。
見た目こそただの派手な老人だが、明らかにそれだけではない気もする。
しかし、今は別の目的がある。ニリエルがらみの厄介ごとはごめんだ。
タベルとアルネが再び歩き出そうとしたそのとき、老人がぽつりと呟いた。
「――あれは、良かったのう。香ばしく焼けた炎竜餃子に、塩を少し。あの感じ」
その一言で、ふたりの足が止まった。
老人は独り言のように続ける。
「ギルドにいたのか?」
「いや、ニリエルのSNS配信じゃよ。おぬしらの料理、天界でもちょいと評判での。あれ見てな、気がつけば足が勝手に地上へ向いとったわけじゃ」
「……あいつ、そんなことしてたのか」
タベルが額に手を当てる。
どうやら、本人の知らぬところで話題は勝手に広がっていたらしい。
「好奇心には勝てん性質でのう。どうしても知りたくてたまらんかったのじゃよ。おぬしらが、どんな“味”を作るのか」
ジジイはくっくっと喉を鳴らし、笑った。
その視線には、飢えた探究者の光が宿っている。
タベルはひとつ息をついて、アルネへ視線を向けた。
「どうする?」
だが、アルネはすぐには答えなかった。
ふだんなら間違いなく、二つ返事で引き受けていただろう。
今の彼女に料理はできない。
「……悪いネ。いまは無理アル」
包みをそっと開く。 中にあるのは、先の折れた、自慢の刀。
それがすべてを物語っていた。
「そういうわけだ。悪いが、また出直してくれ」
タベルの言葉に、老人は意外にもすぐに頷いた。
「なるほど。そういう事か」
ぽん、と手を打つ。
「ならその刀、ワシの力で元に戻してやろう」
「えっ……?」
アルネの瞳が、ほんの少し揺れた。 けれど次の瞬間──
「……と言いたいところじゃが、やっぱりやめた」
「おい、やめろ。そういう冗談は」
タベルが即座に突っ込む。
「冗談ではない。実際に出来る」
老人は地面に落ちていた小枝を拾い、ポキリと折る。
折れ目をそっと合わせるように、両手で包んだ。
小枝がほのかに白く光り、折れた箇所がまるで逆再生のように、継ぎ目なく滑らかに戻っていく。
「……ほんとに直った」
呆然と見つめるタベルとアルネ。
老人は、小枝をひょいと投げて、肩をすくめた。
ちょっとした手品を披露したような軽々しさ。
「じゃがな、何事も簡単に成功してしまっては、味気なかろう?」
「……味気ない?」
「そうじゃ。わしら年寄りはな、知っとるのよ。簡単に得たもんは、簡単に失う。手をかけてこそ、その価値も味も分かるというものじゃ」
そこで少し、声を落とす。
「特に、“自分の手で作ったもの”はのう。……一生、記憶に残るもんじゃ」
その言葉に、アルネが小さく息を呑んだ。
タベルも、どこか居心地悪そうに爪楊枝を噛む。
「……確かにその通りネ。自分で直すほうが、ずっと意味があるネ」
「まぁな。楽して勝っても、何も残らねぇよな」
「青春じゃのう。いいぞ、若者。存分に足掻け」
老人は出来の良い孫を見つめるような目で何度も頷く。
「さて……」老人はゆっくりと立ち上がった。
「今日は満足じゃ。刀が直ったら料理を頼むぞ」
そう言いながら、またどこからともなく、キラキラした羽根を取り出す。 まるで懐が異次元ポケットでも繋がっているかのようだ。
その羽根を肩に乗せると、くるりと踵を返す。
「……あ、そうそう。今日会ったことはニリエルには内緒でな」
ウインク一つ、軽く笑い──老人の姿は、風とともに煙のように消えていった。 残されたのは、落ちかけた夕日と、ほんのり焦げたスパイスのような余韻だった。
「しかし……なんだったんだ、あいつは」
タベルが呆れたようにつぶやく。
隣では、アルネが拳を握りしめていた。
「……早く刀を直したいアル」
それは誰に向けてというわけでもなく、ぽつりと漏れた決意のような言葉だった。 だが、それはタベルの耳にもちゃんと届いていた。
ちらと彼女を見て、ふっと口の端を上げる。
「……そうだな。それで、あのジジイを唸らせてやれ」
そして夜が、山の向こうからゆっくりと降りてきた。
◇◇◇
そこは――鉄と火と湯気の町。
ドワーフたちが築いた、鍛冶の都だった。
火山帯の斜面に、まるで石の棚田のように築かれた段々都市。
建物の多くは石造りで、灰色の壁に赤銅の屋根、煙突からは蒸気が噴き出している。
階段だらけの通りには、筋骨隆々の職人たちが肩をぶつけ合いながら行き交い、道端の屋台では温泉蒸しパンや灰色のゆで卵が湯気を立てていた。
あたりに漂うのは、鉄と硫黄、そして少し焦げたパンの匂い。熱さに加え、乾いた空気が喉を焼く。
空はすっかり薄暗くなり、家々の窓からの明かりがどこか幻想的な風景を生み出していた。
「なにこの町……全部サウナじゃね……?」
タベルは『勇者』と筆文字で書かれたTシャツの袖をまくり、汗だくで肩を落とす。
ちょうど帰宅時間なのか、まるで金曜の夜の繁華街。
行き交う人々の熱気もすごかった。
アルネは涼しい顔で前を歩きながら振り返る。
「火山帯の町だからネ。あと少しで鍛冶屋街アルよ」
そして布で巻いた刀を軽く撫でる。
目的地は、鍛冶ギルドの案内板に載っていた老舗の工房。
アルネが地元のドワーフに交渉して、予約まで取り付けていた。
ようやくたどり着いた工房の奥――
火床の前で、ドワーフの親方が折れた刀をじっくりと眺めていた。
いかにも職人という風体の頑固そうな面構え。その灰色の太い眉がぴくりと動く。
「……なるほど。継ぎ足しは無理だな。割れ目が悪い。力を入れた瞬間に、また折れちまうかもしれん」
もっさりとしたあごひげを撫で回し、折れた部分に顔を近づける。
親方のもったいぶった口調に、アルネの肩がかすかに揺れた。
「じゃ……直らないネ……?」
「いいや。そういうわけじゃねぇ。鍛え直せば使えるようにはなる」
そう言って、親方は金槌の柄で刀を軽く叩く。
「折れた分、少しばかし短くなるがな」
乾いた音が、火床に響いた。
「よかったアル……」
ふ、とアルネが息を吐いた。
その横顔には、安堵と、ほんの少しの――悔しさにまぎれるような、静かな喜びが混じっていた。
「重心が変わるから最初は戸惑うだろうが、慣れれば問題ない。素材自体はいい。――きちんと火を通せば、また普通に使えるさ」
鍛冶屋の親方は、周囲の音がかき消えるほど豪快に笑う。 「オレに任せとけば大丈夫」そんな雰囲気だった。
「よかったな、アルネ」
タベルもその言葉に、ようやく肩の荷が下りたようだった。
脱出のためとはいえ、大切なものを壊してしまったという後ろめたさが、ずっと胸に残っていたのだ。
「ところで、この折れた分の余り、どうする?」
職人らしいゴツい指に摘まれた、刀の破片。
彼の問いに、アルネが一瞬、返事に詰まった。
その沈黙を破るように、タベルがひょいと手を挙げる。
「それだけあれば、箸とか作れないか?」
鍛冶場の空気が、ぴたりと止まった。
「……は? ハシ?」
「それって……食べ物アルか?」
ドワーフとアルネの素っ頓狂な声が見事にハモる。
「この世界には……ないのか」
タベルは小さくひとりごちた。
「いや、食べるための道具だ。――これくらいの棒が二本、こう持って、こう動かすと……」
彼は指先で空をつまむような動きをしてみせる。 まるで、見えない食材を丁寧につまみ取るように。
「ちっちゃい豆でも、細い骨でも、簡単につまめる。そう言う道具さ」
「それを……この刀の一部で?」
アルネはその言葉にしばらく黙っていた。 刀を見つめる目が、静かに揺れている。
「そうだ。料理のために使ってた刀の欠片だろ? だったら――食べるための道具になるのが一番いい」
その一言が、アルネの胸の奥に、何かを強く打ち込んだ。
彼女は、ぎゅっと拳を握りしめると、ゆっくりとうなずいた。
「……いいネ。それ、すごくいいネ……タベル、ありがとうネ」
「お礼は、箸で食べる料理で」
タベルがわずかに口角を上げる。
それを見た親方は、太い腹を揺らして笑った。
「ま、やってやるよ。剣のかけらで食うってのも、面白えじゃねえか。――いい発想だ、坊主」
火床の赤が、再び静かに燃え上がった。
「じゃ、これは預かるぜ」
親方は刀の破片と本体を丁寧に布にくるむ。
作業台の奥へと向かう足を止め、振り返った。
「数日はかかる。終わるまで、ゆっくりしてけ。ここは飯も温泉も最高だぞ!」
そう言って豪快に笑った。
「この辺で、なにかおすすめの料理は?」
タベルはすかさず尋ねた。こういうときの食への執着は、やたらと鋭い。
親方は少しだけ含み笑いを浮かべる。
「そうだな……『火山亭』の“溶岩石ハンバーグ”。それを食ってみるといい」
タベルはすぐにアルネの方を向いた。
「行ってみるか?」
「食べてみたいネ」
うなずくアルネの目には、刀を失いかけた悔しさではなく、“何かが形を変えて続いていく”ことへの、ささやかな期待が光っていた。
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