ψ華のアマリリス
リョーシリキガク
第1話
「
実況の興奮がテレビから溢れる。僕らは肩を並べて、食い入るように画面を見つめていた。
紙吹雪が表彰台に降り注ぐ中、インタビュアーがマイクを差し出すと、男の人はまっすぐ前を見て言った。
「力への責任、それが自分の原動力です」
僕は眩しい光から、目を逸らすことができず、思わず声を漏らした。
「ねえ……あんなふうに、いつか立ってみたいな……あの場所に」
隣でタケが笑いながら言う。
「俺と一緒に、光子園、出よ!」
その言葉が、胸の奥で火花のように残った。
でも――
「君はなれない」、そう言われて頑張る人の話は、世の中に山ほどある。それは間違いなく美談だろう。
でも――僕が。
「すごい、君は天才だ!」
「君は1人でできるから」
「有馬くんは優しい子でしょ?」
僕が、見てほしかったのは。
*
「フレグランスの法則はないよ。芳しすぎるでしょ」
有馬は冗談めかして呟く。
黒髪が、冬の風にふわりと揺れる。
隣のタケがにかっと明るく笑い、左手の指を三本立ててみせる。
「ど忘れしただけ!もう忘れないし。……フレミングの左手の法則!」
制服の袖から左手首の火傷がちらりと覗く。
「有馬は模試A判定だろ? 飛び級ってやっぱすげーよな」
火傷から視線を下げると、彼の髪と同じ茶色のカバンがある。
「タケ……一応確認だけど、願書忘れてないよね」
有馬はそう言って、切符の券売機へ向かうタケへ声をかけた。
駅の空気がざわつき、人気のないホームが寂しく響く。
「流石に持ってきたって! 高校に願書出しに行くのに忘れたら、何しにいったん?ってなるやろ」
有馬は自分のカバンの願書に目をやる。「保護者名欄」には薄く“該当なし”と印刷されていた。
「えー、桐影高校前。光子園行きか」
タケは紙幣を滑らせ券売機に入れた。火傷の跡がまた覗いた。
「高校からは別だね……」
有馬は小銭を握り、もう一台の券売機に並ぶ。
「なぁ、お前も桐影高校にしないか? 能力者コースの名門だ。お前なら……」
じゃら、と硬貨が落ちる音。
「僕、大したことないよ。能力はたくさんあっても、上手く使えないし」
有馬の視線がタケの火傷に吸い寄せられる。その傷は、いつまでも消えなかった。
「いや、お前は誰よりも才能ある。桐影は強豪だし、父さんも……万一また誰か辞めさせることになっても、お前のせいじゃ――」
「知ってるよ。能力者コースは、演算子が個別支給でお金かかることも」
有馬は切符を握りしめた。釣りはなかった。
「金なら出すよ。お前の才能、埋もれちゃ駄目だ」
「タケの家が、でしょ?……タケのお金じゃない」
有馬は冷たく言い、隣の券売機が吐き出した紙幣を見下ろした。
「タケは優しいね。……でも、結構だよ」
タケが拳を握る。
「お前なら、光子園だって――」
「“お前なら”って、やめてよ!」
有馬の声が切符売場の空気を裂いた。
「……ごめん。僕、次の電車で行く」
*
タケはため息をつき、切符を持って改札へ向かった。
周囲に人の気配はなかった。
改札の係員も、学生の姿も消えていた。
振り向く暇もなく、背後から微かな足音――
タケの姿は、駅から消えていた。
*
俺とタケは幼馴染だった。
あの日、光子園の決勝戦をテレビで観てから、一緒にあの舞台を目指していた。
俺に四つの能力があるとわかった日、タケは本気で喜んでくれた。
タケの両親がタケの前で俺を褒めるたび、タケに俺みたいになれと言う度、俺はタケの顔色を見てた。
俺が簡単に勝ったあの日、タケは笑わなかった。飛びかかってきて……あの火傷になった。その時の顔が、忘れられない。
それ以来、タケの前では、できないふりをするようになった。
俺は、なんて酷いことを言ったんだろう。
来年から高校生なのに、いつまでもガキのままで……
そう思いながら、有馬は駅のベンチに腰掛けていた。
改札の外、窓の向こうに、発車した電車の車体が遠ざかっていくのが見える。
「……謝らないと。タケはもう、行ったかな」
握りしめた切符がくしゃりと音を立てた。
そのとき、静かな足音が近づいた。
「……電車に乗らなかったんだ? 切符があるのに」
顔を上げると、金髪の少女が立っていた。黒いコートに赤いリボン、桐影高校の制服。表情の乏しい蒼い瞳が、こちらを見つめている。
有馬が顔をしかめる暇もなく、少女は手提げ鞄から一枚の紙を取り出し、ベンチの隣に無造作に置いた。
「私はリリス。桐影高校、能力者コース1年。貴方をスカウトに来たの」
「……僕は大した能力者じゃないです」
「テレキネシスなど4つの超能力を持つ。一つの超能力でも珍しいのに――あなたは百年に一度の天才よ」
リリス、と名乗った少女は、手元の資料を見ながら言った。
「願書ならここにあるわ。名前以外は全部記入済み。鞄の中に演算子も入ってる」
有馬は冷めた目でそれを見下ろした。確かに、彼女がヒラヒラと見せびらかす願書には、とてつもなく綺麗な字で各項目が記されている。彼女の字は、容姿通りに美しかった。
「桐影超能力選手権大会。通称"
リリスの声は急に鋭くなった。
「光子園で結果を残せば、プロハンターにドラフト指名される。誰もが憧れる仕事でしょ?」
有馬は俯いた。
「僕も憧れてたけど……僕が能力を使う度に、皆がズルだって言うんです。四つも持ってるなんて」
「あなたはそれでいいの?」
「……仕方ないでしょう。僕だってこんな能力いらなかった」
「すっご~い」
リリスはあざ笑うように小首を傾げる。
「悲劇のヒロインごっこ、お上手ね。恵まれてる感じを出すのが嫌?貧乏で、苦しんで、夢を諦めました感を出せば許されると思う?」
「……」
「皆んな必死にしがみついてるのに。チャンスを棒に振るなんて、傲慢よ」
有馬は拳を小さく握りしめ、切符が指に食い込んだ。
「タケ……僕の友達。左手に火傷があるんだ。僕のせいでついた火傷だ」
自分の能力は自分を治すだけ。タケの怪我は治せない。僕に相応しいゴミみたいな能力だ。
「それを見る度に思うんだよ。僕は、この力を使っちゃいけないって」
「タケって、誘拐されたこの子?」
リリスが携帯を見せた。画面には、縄で椅子に縛られたタケの写真。
「……え、誘拐? なんで君の携帯に……」
続けざまに、メッセージが届く。
《お前の代わりに来てもらった》
《一人で来い》
「どうすれば……警察? 警察で……てかなんで君の携帯に……僕携帯持ってなくて」
「警察への連絡はやめなさい。私の携帯に連絡が来たってことはここも視られてるわよ」
有馬は言葉を失い、思考が巡る。
画面のタケの手に目がいった。火傷がない……、あぁ、写真で左右反転……この指の形……
「助けられるのは貴方だけ」
リリスは鞄を差し出した。演算子が一つ、中に入っている、と。
「あなたにはやる義務があるんじゃない?」
有馬はポケットに突っ込んだ切符を強く握りしる。
切符がくしゃりと音を立てて破れた。
「……案内して」
リリスにこりと微笑んだ。
「片道切符よ、有馬遥翔」
*
廃校となった薄暗い体育館の中。冷たい鉄骨の隙間から差し込む光に照らされて、タケが縄で縛られ、椅子に縛りつけられていた。
「こいつ大人しいけどよ。能力者ってやべぇんじゃねぇの?」
黒いコートの男が立ち上がる。もう一人が床に腰を下ろし、煙草を吹かす。
「プロハンターのトップ層の化け物な話はいくらでも聞くぜ。神宮が一人で国を落としたとか……」
「ばか、能力者ってのは演算子がないと能力使えねぇんだよ。装置がないとただの中坊だ」
「演算子?」
「……能力を発動するための装置だよ。持ってるのはプロと…光子園出るようなエリート校だけ」
「国は子供に兵器を持たせてるとはねぇ」
「まぁ、学校ってのは訓練場よ。あいつらの能力なんて、全部“制御されてる”フリしてるだけ」
隅には青白く光る発電装置が低く唸る。
「現に学校にはこんな磁場装置で、能力抑えられるようになってる。能力者なんていつ爆発するかわかんねぇ爆弾扱いなわけだ」
「万一にも罠にかかって、天才もただのガキになるわけだ」
椅子の上で、タケの息が微かに震えていた。彼の視線の先には、一枚のポスターが貼られていた。
“力は方向を持つ。どこへ向けるかを決めるのは、心だ。”
*
――ギィィ、と重い体育館の扉が音を立てて開く。
有馬が、ゆっくりと現れた。
黒い髪が揺れ、ぐしゃぐしゃの制服を身に纏っている。
右手には、校庭から拾ったサビた鉄棒。
「来たか……!」
男たちが一斉にナイフを構える。
だが、有馬は何も言わず、体育館の壁をなぞる。
左手の中指をピンと立て、タケの視線がそれを追う。
タケが写真で見せた仕草。
フレミングの左手の法則。
(中指は電流。人差し指は磁場。親指は力の方向)
タケがかすかに首を振る。有馬の中指は壁の分電盤を指していた。
「――あそこか」
一歩、また一歩。
有馬は壁際に歩み寄ると、迷いなく鉄棒を高く振り上げる。
ガンッ!!
壁の分電盤が叩き割れ、火花が散った。
圧力が消え、磁場抑制装置が沈黙した。
「なんで抑制装置が――!」
誘拐犯が叫ぶ間もなく、有馬の瞳が淡い光を帯びる。
ポケットから取り出した演算子が、青白く脈動した。
空中に積み上げられていた器具、跳び箱、崩れかけた体育倉庫の棚――
それらが一斉に浮かび上がる。誘拐犯たちは息を呑んだ。
「――後悔させてやる」
そして、敵の頭上へと雪崩れ込むように叩きつけられた。
「うわっ――!!」
鈍い音が響き、男たちが次々に床に崩れ落ちる。男たちが床に崩れ落ちる。
粉塵が舞い、舞台照明の残骸がキラキラと宙を漂う。
それはまるで、昔テレビで見た光子園の紙吹雪のようだった。
有馬は息を切らしながらタケの元に駆け寄り、縄を解き、思わず抱きしめた。
「ごめん、ごめん……!俺のせいで!タケ……!大丈夫……?」
タケは弱々しい笑顔で、首を振る。
「俺は大丈夫。……その演算子、どうしたんだ?警察から借りたのか?」
「さっき――スカウトの人がきて、演算子と願書、もらった」
しかし桐影がスカウトしてるなんて聞いたことがないが……彼女は一体?
カバンの奥から願書を引き出すと、そこに貼られた、たった一言の付箋が目に入った。
『頑張ったね』
その言葉に胸が詰まった。
「凄い」、「天才」だと結果を褒められる度、できない自分を、苦しんできた自分を否定されるようで。
本当は、頑張ったねって、ただそれだけが、欲しかった。
タケが有馬の肩に手を置く。
「ごめん、俺……有馬に酷いこと言った」
「僕のほうこそ……ごめん」
さっき怒ったのは、お金が理由じゃない。
タケだけは本当の俺を見てくれてるって押し付けたかったから。
君は僕の“全部”を見てくれていた?
僕が隠していた“本当の顔”を、知ろうとしてくれた?
僕が……見て欲しかったのは
「僕……隠そうとしながらも、本当は分かってほしかった。見てほしかった。
“頑張ったね”って、褒めてほしいだけの、子供だった」
タケはぽつりと呟く。
「……知ってたよ」
有馬が目を上げると、タケは少しだけ意地悪な顔で笑った。
「お前、全然完璧じゃないし、変なやつだし、突然謎の法則の話するし。フレミングっておじさん、そんなに好き?」
「むぐっ」
不意に、有馬はタケの左手に目をやった。
火傷は――いつの間にか、思ったよりも薄くなっていた。
よく見なければわからないほどに。
自分ばっかりタケの顔色を気にしてたと思ってた。
でも……タケは僕をちゃんと見ててくれた。見ようとしてなかったのは、僕の方だった。
「有馬には輝いてほしい。輝いて、輝いて、すべてを焼き尽くすほどに。
俺の知る最強は、世界最強なんだって、知らしめてよ」
有馬はタケの顔を真正面から見た。
あぁ、なんて眩しい光なんだろう。
「俺と一緒に、光子園出よう」
涙を拭い、有馬は頷いた。
「うん!」
カバンの中には、ヒラヒラと、光子園への切符があった。
*
薄明かりの中、リリスは携帯を耳に当てていた。
「……はい、
誘拐対象を誤認させ、有馬に戦わせることができました」
少し間があって、リリスは視線を落とす。
「ところで、あの願書の字。わざわざ貴方が書いたんですか?」
ψ華のアマリリス リョーシリキガク @ryoshirikigaku
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