ψ華のアマリリス

リョーシリキガク

第1話

光子園こうしえん、三連覇ッ! 彼こそ超能力の天才です!」


 実況の興奮がテレビから溢れる。僕らは肩を並べて、食い入るように画面を見つめていた。


 紙吹雪が表彰台に降り注ぐ中、インタビュアーがマイクを差し出すと、男の人はまっすぐ前を見て言った。


「力への責任、それが自分の原動力です」


 僕は眩しい光から、目を逸らすことができず、思わず声を漏らした。


「ねえ……あんなふうに、いつか立ってみたいな……あの場所に」


 隣でタケが笑いながら言う。


「俺と一緒に、光子園、出よ!」


 その言葉が、胸の奥で火花のように残った。

 でも――


「君はなれない」、そう言われて頑張る人の話は、世の中に山ほどある。それは間違いなく美談だろう。


 でも――僕が。


「すごい、君は天才だ!」

「君は1人でできるから」

「有馬くんは優しい子でしょ?」


 僕が、見てほしかったのは。



「フレグランスの法則はないよ。芳しすぎるでしょ」


 有馬は冗談めかして呟く。

 黒髪が、冬の風にふわりと揺れる。


 隣のタケがにかっと明るく笑い、左手の指を三本立ててみせる。


「ど忘れしただけ!もう忘れないし。……フレミングの左手の法則!」


 制服の袖から左手首の火傷がちらりと覗く。


「有馬は模試A判定だろ? 飛び級ってやっぱすげーよな」


 火傷から視線を下げると、彼の髪と同じ茶色のカバンがある。


「タケ……一応確認だけど、願書忘れてないよね」


 有馬はそう言って、切符の券売機へ向かうタケへ声をかけた。

 駅の空気がざわつき、人気のないホームが寂しく響く。


「流石に持ってきたって! 高校に願書出しに行くのに忘れたら、何しにいったん?ってなるやろ」


 有馬は自分のカバンの願書に目をやる。「保護者名欄」には薄く“該当なし”と印刷されていた。


「えー、桐影高校前。光子園行きか」


 タケは紙幣を滑らせ券売機に入れた。火傷の跡がまた覗いた。


「高校からは別だね……」


 有馬は小銭を握り、もう一台の券売機に並ぶ。


「なぁ、お前も桐影高校にしないか? 能力者コースの名門だ。お前なら……」


 じゃら、と硬貨が落ちる音。


「僕、大したことないよ。能力はたくさんあっても、上手く使えないし」


 有馬の視線がタケの火傷に吸い寄せられる。その傷は、いつまでも消えなかった。


「いや、お前は誰よりも才能ある。桐影は強豪だし、父さんも……万一また誰か辞めさせることになっても、お前のせいじゃ――」


「知ってるよ。能力者コースは、演算子が個別支給でお金かかることも」


 有馬は切符を握りしめた。釣りはなかった。


「金なら出すよ。お前の才能、埋もれちゃ駄目だ」


「タケの家が、でしょ?……タケのお金じゃない」


 有馬は冷たく言い、隣の券売機が吐き出した紙幣を見下ろした。


「タケは優しいね。……でも、結構だよ」


 タケが拳を握る。


「お前なら、光子園だって――」


「“お前なら”って、やめてよ!」


 有馬の声が切符売場の空気を裂いた。


「……ごめん。僕、次の電車で行く」



 タケはため息をつき、切符を持って改札へ向かった。


周囲に人の気配はなかった。

改札の係員も、学生の姿も消えていた。


振り向く暇もなく、背後から微かな足音――

タケの姿は、駅から消えていた。



 俺とタケは幼馴染だった。

 あの日、光子園の決勝戦をテレビで観てから、一緒にあの舞台を目指していた。

 俺に四つの能力があるとわかった日、タケは本気で喜んでくれた。

 タケの両親がタケの前で俺を褒めるたび、タケに俺みたいになれと言う度、俺はタケの顔色を見てた。

 俺が簡単に勝ったあの日、タケは笑わなかった。飛びかかってきて……あの火傷になった。その時の顔が、忘れられない。

 それ以来、タケの前では、できないふりをするようになった。


 俺は、なんて酷いことを言ったんだろう。

 来年から高校生なのに、いつまでもガキのままで……


 そう思いながら、有馬は駅のベンチに腰掛けていた。

 改札の外、窓の向こうに、発車した電車の車体が遠ざかっていくのが見える。


「……謝らないと。タケはもう、行ったかな」


 握りしめた切符がくしゃりと音を立てた。


 そのとき、静かな足音が近づいた。


「……電車に乗らなかったんだ? 切符があるのに」


 顔を上げると、金髪の少女が立っていた。黒いコートに赤いリボン、桐影高校の制服。表情の乏しい蒼い瞳が、こちらを見つめている。


 有馬が顔をしかめる暇もなく、少女は手提げ鞄から一枚の紙を取り出し、ベンチの隣に無造作に置いた。


「私はリリス。桐影高校、能力者コース1年。貴方をスカウトに来たの」


「……僕は大した能力者じゃないです」


「テレキネシスなど4つの超能力を持つ。一つの超能力でも珍しいのに――あなたは百年に一度の天才よ」


 リリス、と名乗った少女は、手元の資料を見ながら言った。


「願書ならここにあるわ。名前以外は全部記入済み。鞄の中に演算子も入ってる」


 有馬は冷めた目でそれを見下ろした。確かに、彼女がヒラヒラと見せびらかす願書には、とてつもなく綺麗な字で各項目が記されている。彼女の字は、容姿通りに美しかった。


「桐影超能力選手権大会。通称"光子園こうしえん"。それは超能力者の頂点という憧れだけでなく、輝かしい未来への切符よ」


 リリスの声は急に鋭くなった。


「光子園で結果を残せば、プロハンターにドラフト指名される。誰もが憧れる仕事でしょ?」


 有馬は俯いた。


「僕も憧れてたけど……僕が能力を使う度に、皆がズルだって言うんです。四つも持ってるなんて」


「あなたはそれでいいの?」


「……仕方ないでしょう。僕だってこんな能力いらなかった」


「すっご~い」


 リリスはあざ笑うように小首を傾げる。


「悲劇のヒロインごっこ、お上手ね。恵まれてる感じを出すのが嫌?貧乏で、苦しんで、夢を諦めました感を出せば許されると思う?」


「……」


「皆んな必死にしがみついてるのに。チャンスを棒に振るなんて、傲慢よ」


 有馬は拳を小さく握りしめ、切符が指に食い込んだ。


「タケ……僕の友達。左手に火傷があるんだ。僕のせいでついた火傷だ」


 自分の能力は自分を治すだけ。タケの怪我は治せない。僕に相応しいゴミみたいな能力だ。


「それを見る度に思うんだよ。僕は、この力を使っちゃいけないって」


「タケって、誘拐されたこの子?」


 リリスが携帯を見せた。画面には、縄で椅子に縛られたタケの写真。


「……え、誘拐? なんで君の携帯に……」


 続けざまに、メッセージが届く。


《お前の代わりに来てもらった》

《一人で来い》


「どうすれば……警察? 警察で……てかなんで君の携帯に……僕携帯持ってなくて」


「警察への連絡はやめなさい。私の携帯に連絡が来たってことはここも視られてるわよ」


 有馬は言葉を失い、思考が巡る。

 画面のタケの手に目がいった。火傷がない……、あぁ、写真で左右反転……この指の形……


「助けられるのは貴方だけ」


 リリスは鞄を差し出した。演算子が一つ、中に入っている、と。


「あなたにはやる義務があるんじゃない?」


 有馬はポケットに突っ込んだ切符を強く握りしる。

 切符がくしゃりと音を立てて破れた。


「……案内して」


 リリスにこりと微笑んだ。


「片道切符よ、有馬遥翔」



 廃校となった薄暗い体育館の中。冷たい鉄骨の隙間から差し込む光に照らされて、タケが縄で縛られ、椅子に縛りつけられていた。


「こいつ大人しいけどよ。能力者ってやべぇんじゃねぇの?」


 黒いコートの男が立ち上がる。もう一人が床に腰を下ろし、煙草を吹かす。


「プロハンターのトップ層の化け物な話はいくらでも聞くぜ。神宮が一人で国を落としたとか……」


「ばか、能力者ってのは演算子がないと能力使えねぇんだよ。装置がないとただの中坊だ」


「演算子?」


「……能力を発動するための装置だよ。持ってるのはプロと…光子園出るようなエリート校だけ」


「国は子供に兵器を持たせてるとはねぇ」


「まぁ、学校ってのは訓練場よ。あいつらの能力なんて、全部“制御されてる”フリしてるだけ」


 隅には青白く光る発電装置が低く唸る。


「現に学校にはこんな磁場装置で、能力抑えられるようになってる。能力者なんていつ爆発するかわかんねぇ爆弾扱いなわけだ」


「万一にも罠にかかって、天才もただのガキになるわけだ」


 椅子の上で、タケの息が微かに震えていた。彼の視線の先には、一枚のポスターが貼られていた。


“力は方向を持つ。どこへ向けるかを決めるのは、心だ。”



 ――ギィィ、と重い体育館の扉が音を立てて開く。


 有馬が、ゆっくりと現れた。

 黒い髪が揺れ、ぐしゃぐしゃの制服を身に纏っている。

 右手には、校庭から拾ったサビた鉄棒。


「来たか……!」


 男たちが一斉にナイフを構える。

 だが、有馬は何も言わず、体育館の壁をなぞる。

 左手の中指をピンと立て、タケの視線がそれを追う。

 タケが写真で見せた仕草。

 フレミングの左手の法則。

(中指は電流。人差し指は磁場。親指は力の方向)


 タケがかすかに首を振る。有馬の中指は壁の分電盤を指していた。


「――あそこか」


 一歩、また一歩。

 有馬は壁際に歩み寄ると、迷いなく鉄棒を高く振り上げる。


 ガンッ!!


 壁の分電盤が叩き割れ、火花が散った。

 圧力が消え、磁場抑制装置が沈黙した。


「なんで抑制装置が――!」


 誘拐犯が叫ぶ間もなく、有馬の瞳が淡い光を帯びる。

 ポケットから取り出した演算子が、青白く脈動した。


 空中に積み上げられていた器具、跳び箱、崩れかけた体育倉庫の棚――

 それらが一斉に浮かび上がる。誘拐犯たちは息を呑んだ。


「――後悔させてやる」


 そして、敵の頭上へと雪崩れ込むように叩きつけられた。


「うわっ――!!」


 鈍い音が響き、男たちが次々に床に崩れ落ちる。男たちが床に崩れ落ちる。


 粉塵が舞い、舞台照明の残骸がキラキラと宙を漂う。

 それはまるで、昔テレビで見た光子園の紙吹雪のようだった。


 有馬は息を切らしながらタケの元に駆け寄り、縄を解き、思わず抱きしめた。


「ごめん、ごめん……!俺のせいで!タケ……!大丈夫……?」


 タケは弱々しい笑顔で、首を振る。


「俺は大丈夫。……その演算子、どうしたんだ?警察から借りたのか?」


「さっき――スカウトの人がきて、演算子と願書、もらった」


 しかし桐影がスカウトしてるなんて聞いたことがないが……彼女は一体?

 カバンの奥から願書を引き出すと、そこに貼られた、たった一言の付箋が目に入った。


『頑張ったね』


 その言葉に胸が詰まった。

 「凄い」、「天才」だと結果を褒められる度、できない自分を、苦しんできた自分を否定されるようで。


 本当は、頑張ったねって、ただそれだけが、欲しかった。


 タケが有馬の肩に手を置く。


「ごめん、俺……有馬に酷いこと言った」


「僕のほうこそ……ごめん」


 さっき怒ったのは、お金が理由じゃない。

 タケだけは本当の俺を見てくれてるって押し付けたかったから。


 君は僕の“全部”を見てくれていた?

 僕が隠していた“本当の顔”を、知ろうとしてくれた?


 僕が……見て欲しかったのは


「僕……隠そうとしながらも、本当は分かってほしかった。見てほしかった。

“頑張ったね”って、褒めてほしいだけの、子供だった」


 タケはぽつりと呟く。


「……知ってたよ」


 有馬が目を上げると、タケは少しだけ意地悪な顔で笑った。


「お前、全然完璧じゃないし、変なやつだし、突然謎の法則の話するし。フレミングっておじさん、そんなに好き?」


「むぐっ」


 不意に、有馬はタケの左手に目をやった。

 火傷は――いつの間にか、思ったよりも薄くなっていた。

 よく見なければわからないほどに。


 自分ばっかりタケの顔色を気にしてたと思ってた。

 でも……タケは僕をちゃんと見ててくれた。見ようとしてなかったのは、僕の方だった。


「有馬には輝いてほしい。輝いて、輝いて、すべてを焼き尽くすほどに。

俺の知る最強は、世界最強なんだって、知らしめてよ」


 有馬はタケの顔を真正面から見た。

 あぁ、なんて眩しい光なんだろう。


「俺と一緒に、光子園出よう」


 涙を拭い、有馬は頷いた。


「うん!」


 カバンの中には、ヒラヒラと、光子園への切符があった。



 薄明かりの中、リリスは携帯を耳に当てていた。


「……はい、光鵺連こうやれんの思惑通り。

 誘拐対象を誤認させ、有馬に戦わせることができました」


 少し間があって、リリスは視線を落とす。


「ところで、あの願書の字。わざわざ貴方が書いたんですか?」

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