龍少女と退魔青年の契約話

市野花音

第1話 龍と人

 黄昏の中にタバコの煙が溶けていく。吾妻あずまは縁側に寝っ転がって暮れ行く夏の空を眺めていた。


「あずま、たばこすってる」


 いつの間にか龍華りゅうかが縁側に腰掛けていた。幼い少女の前で煙草を吸う自分は随分と最低に見えるんだろうなと思う。


「からだわるいでしょ、やめたら?」


 龍華の二つのまなこがこちらをのぞいている。珍しい黄金色の眸は、線香花火みたいな光が煌めいて吸い込まれそうだ。


「辞めねえよ。いやなら家ん中入ってろ」

「そー」


 龍華はぶらさげていた足を縁側に上げると、向きを変えて吾妻の頭のあたりに背中をくっつけた。吾妻からはすぐ左側に龍華の後頭部が見える形だ。


「おい、煙草嫌なんじゃないのか」

「べつに?りゅーか、にんげんじゃないから、からだにがいないし。ふくりゅーえん、きにしなくていいよ」

「そうかよ」


 じゃあなんでこんな暑苦しい季節なのに隣にいるのか。聞く気にはなれず、吾妻は一つ息を吸う。


 と、龍華の体がみじろぎした。思わず目線を向けると、龍華はすでに庭に降り、玄関の方に走り出していた。


「おい、どうした」

「でた。こうえんのほう」


 龍華はそれだけ言うと、門扉を飛び越えて走ってゆく。人間離れした運動神経だった。


 吾妻は軽く舌打ちすると煙草を地面に落としてサンダルで潰した。次に縁側の窓を開けると畳の上に置いておいた竹刀袋を手にした。すぐさま窓を閉めて庭に降りると、きちんと門扉を開けて道路に出た。


 龍華のいう公園とは、家から徒歩五分の住宅街の中の公園である。走って三分で到着した吾妻は、滑り台の近くに佇む龍華を発見した。


「おい、一人で突っ走るな!」

「だって、あずまがおそいんだもの。はやくあれ、かたずけちゃおう」


 龍華が小さな指で指したのは、滑り台の頂上。そこにまたがる、黒い靄のような獣だった。顔は何もなくのっぺりとしており、背中は丸く長い。蜥蜴とかげのような尻尾が苛立たしげに揺れている。と、慢性な動きをしていた獣が、自らを指差す存在に気がついた。次の瞬間、獣は龍華に向かって飛んだ。


「龍華!」


 吾妻が叫ぶのと、獣が龍華に覆い被さるのが同時だった。吾妻は滑り台に向かって一直線に駆けると、竹刀袋を構えて獣を打った。かあん、と金属片がぶつかる音がして、獣が仰け反る。その腹に、白いものが蹴りを入れた。龍華の足である。吾妻の打撃と龍華の蹴りを喰らった獣は砂場の方にすっとんでゆく。


「いくよ、あずま」

「ちょ、」


 止める間も無く龍華が走り出したと思った瞬間、龍華の姿は獣の頭上にあった。小さな体を捻らせて、小さな足で蹴りを入れる。かあん、と再び金属音。ぴしり、と何かが割れる音もする。


「だから、突っ走んなっつってんだろ!」


 追いついた吾妻も叫びながら竹刀袋で獣を叩く。


 ばりん、という音とともに獣の腹部が割れ、断面から赤錆びた鉄のがらくたが顕になった。


「こいつ、きんのもののけ。たおすなら、ひ」

「わーってるよ!」


 獣がダメージを喰って固まっている隙に吾妻はしゃがんで竹刀袋を開けた。中には日本刀が入っている。手に取って鞘を抜くと、夕日を浴びて刃が鈍く光った。


「来い、龍華」


 吾妻は鞘を捨てると、抜き身の刀で構えをとる。


「力を貸してくれ」

「はいはい、まかせて」


 駆け寄った龍華が刀身に手を当てる。すると刃は夕日では片付けられないほど赤く光った。まるで、炎が燃えているかの様に。


 腹を切られた獣が慢性に動き出す。動くたび、金属が擦れる音がする。はみ出した鉄が砂場に落ちた。


「行くぞ」


 吾妻は地を蹴ると、刀を大きく振る。鮮やかな赤い軌道を描いた刃は獣の鉄錆びた腹部を一直線に切り裂いた。


 瞬間、刀で切られた部位が発火し、鉄に移ってゆく。瞬く間に獣の全身に回った炎は、数秒もしないうちに獣を焼き尽くした。公園には静寂が落ち、異形の獣は跡形もなく消え去った。


「……ふう、」


 吾妻は一息つくと、鞘を拾って刀を納め、しない袋に戻した。そしてつまらなそうに砂場を眺める龍華を見た。


「ありがとう。助かった」

「そ、ならよかった」


 頬を膨らませ、楽しそうに龍華は笑った。それに内心吾妻は安心する。彼女を利用している、という罪悪感があるだけに。


「さ、帰るぞ」


 気を取り直して吾妻は竹刀袋を肩にかけると、公園の出入り口に向かって歩き出す。


「え、もう?」

「もう暗いだろ。公園で遊ぶ時間じゃない」

「りゅーかはりゅうだよ。ひとのこじゃないよ。よめもきくし、あぶなくないよ」

「だとしても、周りから見れば普通の子供だ。人の目のある場所で遊んでたら怪しまれるぞ。それに、またあんなのが出たら嫌だろう。家に帰って休むが吉だ」

「もう、あずまのけち」


 そう言いながらも龍華は走って吾妻に並んだ。


 西の空が赤く染まる中、二人並んで家路につく。


「りゅうか、がんばったよね。きんのもののけにはひがきくって、ちゃんとわかってた」


「ああ、偉い。被害が出る前にちゃんと倒せた」


「おうまがときはもののけがでやすいから、りゅーかちゃんとけはいをさがしてたの。すごいでしょ?」

「ああ、すごいよ」


 俺にはできない、という言葉は飲み込んだ。きっと彼女は喜ばないから。


 逢魔時、夕暮れはあの世とこの世の境が曖昧になる時間。だからこそ、人のことわりを外れたもののけたちの行動が活発になる。


 もののけは、普通の人には見えない。俗にあやかしや神霊などと呼ばれる存在だ。


 もののけは普段は大人しく幽世というもののけの世界に存在するが、たまにその境界を超えて人を害する。


 そんなもののけを退治するのが、退魔師と呼ばれる連中だ。吾妻も一応その一人である。


「あと、あずまもすごかったよ。かたなすごかったよ。ひがばーんってなってたよ」

「そうか?」

「うん。どんなたいましより、あずまはりゅーかをつかいこなせるよ」

「……そうか」


 吾妻は一応、フリーランスの退魔師、という位置付けだ。退魔師が集う組織には所属していない。しかし、吾妻は時折組織から援護を求められる。吾妻が優れているのではない。龍華が優れているからだ。


 龍華はもののけの中でも最上位に位置する龍だ。龍は各地の伝承神話に登場し、時に信仰さえされる神聖な生物だ。龍は優れた退魔師ですら手をこまねくほど強い。


 しかし、龍たる龍華は吾妻に従っている。龍華は吾妻と契約を交わした。その力を、人に仇なすもののけを退治しする為に吾妻にかす、と。


 だから吾妻は退魔師から頼られ、また警戒されている。強きもののけをしたがえる、弱き人間だから。


「ねーねーあずま、かえったらあいすたべていい?」

「いいぞ」

「やったー」


 小さな拳をあげて喜ぶ姿は、とても恐ろしいもののけには見えない。けれどその口から覗く尖った歯も、珍しい金の眸も、薄縹色の長い髪も、麦わら帽子で隠した千草色の角も、彼女が人外であることを証明している。


 強大な力を持った少女が懐にあること、その少女がまっさらで純粋だということ。どれも吾妻にとって怖いことだった。


「でもな、龍華。さっきも言ったが、もののけの気配を感じたらまず俺に言え。次から気をつけないとアイスなしだからな」

「えー、あずまのけち!」


 だが今はこれでいい、と吾妻は思う。少なくとも今、自分も龍華も笑えているから。


「嫌だったらちゃんと言えよ?」

「わかった、わかったから!あいすたべたい!」


 仲良く並んだ二つの影は、やがて一つの家に消えていった。

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