折られたツノ(後編)

 やむを得ず、俺――一ノ瀬 有紀いちのせ ゆき船出 道音ふなで みちねを連れて、違う山を探索せざるを得なかった。幸いにも隣接した位置に異なる山があったため進んで俺はそこへ登ることに決める。

 可能性はかなり低いが、俺は縋るように登ることしか出来なかった。

 ただ、ここでも想定外の事態が起きていた。


「……っぁ……きっつ……こんな山道昇るのキツかったっけ……」

 その山道は舗装も不完全な状態で、雑に石で作られた階段のみで構成された山道だった。俺はそれを男性の時の感覚で昇ろうとしたのだが、女性の肉体に変化したことで筋力も低下しているのだろうか。あっという間に疲弊ひへいしてしまった。

 傾斜を乗り越え、平坦な道までたどり着くまでに俺は既に汗だくになり、ただでさえ女性の肉体で早まった脈拍がより一層激しく鼓動しているのを感じた。吐く息から、血の味を感じる気がする。頭はぼーっとして、視界がかすむ。

 その傍らで道音が何事もないように身軽に石段を飛び越え、俺の先を行く。

「先輩、あんまりゆっくりしている時間は無いよ!日が暮れるまで頑張って探すんでしょ」

「ま……って……っあ……ぐ、今い……くから……」

 俺はよろよろと左右に揺れつつ、筋肉に響く痛みを堪え、歯を食いしばりながら道音に着いていく。

 震える視界で、木々の一つ一つを見ながら歩くが、どうにも金色に光るカブトムシは見つからない。


 登る。

 また、登る。


 ……どれほどの時間が経っただろうか、と道音に尋ねるとまだ一時間も経っていないらしい。俺にとってはもはや半日くらいぶっ通しで歩いたような感覚さえあったのだが、それだけ俺の体力が落ちていると言うことなのだろう。

 どれだけ多くの木々を眺めても、金色のカブトムシどころかそもそも普通の個体さえなかなか見つからない。

 というのもそもそもカブトムシは基本夜行性だ。昼間からそう見つかるものでは無いと頭の中では分かっていた。だが、探さずには居られなかった。

 道音も恐らく俺が諦め気味に探しているのは分かっていただろう。

 分かった上で俺のわがままを聞いてくれているのは、薄々感じていた。俺が納得するまで付き合ってくれるつもりだ。

 だから、今日だけは俺の気が済むまで……。


 ☆☆★☆☆


「っあー……ぐ、ぁ……はぁ……」

「さっすがに私も堪えるね……先輩、生きてる?」

「ぃ、ぎてぅ……ぁ」

 もはや返事をする余裕さえ無かった。俺は中腹地点に建てられていた休憩地点のベンチに倒れ込んだ。背中がじわりと己の汗で滲んで気持ち悪かったが、それを気にしている余裕は無い。

 道音は近くに配置された、あちこちに蜘蛛の巣が張った自動販売機でスポーツドリンクを二つ購入し、一つを俺へと手渡した。

「はい、先輩の分だよ。お疲れ様」

「……っぁ、りがと……ん……」

 俺はまるで乞食こじきだ。みっともなく縋るようにスポーツ飲料の入ったペットボトルを受け取る。それを首元へ当てると、ひやりとした感触が俺の感覚神経を刺激した。

 頸部動脈を介して、全身が徐々にクールダウンすると共に、思考が冴え渡っていく。

 ぼやけていた視界が徐々にクリアになり、周りが見えるようになる。それに伴い、徐々に彼女を無理にここまで連れてきた罪悪感が湧き起こる。

 ふと、回りを見れば太陽は徐々に沈み始めており、俺を含めた世界が青色から橙色へと変わろうとしている。時刻は夕暮れ時を示しているのは明確だった。

 ペットボトルの蓋を開け、口角から零れるのも気にせずに一気に飲み干す。口の中に塩味の混じった甘い液体が広がっていくのを感じる。

 それを飲み込んだ後、ふぅと一息ついてから……冴えた瞳で道音を見つめる。

「……道音、ごめんな。こんなことに着いてきてくれて」

「……本当に今更、だね」

 俺達の陰が、徐々に周りの世界を覆うように伸びていく。伸びた影は、木々へと重なる。

 俺の謝罪に、諦観ていかんか失望か、はたまた別の感情かを思わせるような彼女の苦笑が零れる。

「どうして、俺のわがままに付き合ってくれたの……?」

 怖ず怖ずと尋ねると、彼女はどこか遠くの景色を見やりながら答えた。

「先輩は、男性の頃からいつも私を助けてくれた。だから、今度は私の番なんだよ。どれだけ先輩が無理難題を言ってこようと、助けてあげたい。それだけなんだ」

「……道音……」

 わがままを言っている自覚は最初からあった。それも、自分が納得したいから.それだけの理由で。

 それなのに彼女は文句の一つも言わず、俺のわがままに応えてくれる。

 俺が返すべき答えは何だろう。

 元の男性の姿に戻ることか、それとも。

 返すべき言葉を見失い、ふと周りをぐるりと見渡す。すると、視界の端に何か光った気がして、それにピントを合わせる。そこには、キラキラと夕暮れの日差しに照らされた――。


「……あ」

「どうしたの、一ノ瀬先輩……あっ、あ!!」


 道音も驚いて大声を出した。そこには、ツノが折れた金色のカブトムシが樹液を啜る姿があった。

 俺はすかさずポケットから折れたツノを取り出し、片目を開きカブトムシのシルエットにそれを重ねる。距離により大きさこそズレるが、それはまるでジグソーパズルのようにピタリと当てはまった。

「……ついに、見つけたんだ……」

 半ば諦めかけていた希望に声が震える。先ほどとは異なる理由で動悸が止まらない。呼吸が荒くなる。

 折れたツノを持つ手が震え、それを片手でグッと押さえる。

 これを、金色のカブトムシに戻すことが出来れば、もしかしたら俺は……。

 そう思っていたが、金色のカブトムシを狙うものは俺以外にもう一人……というかもう一匹いた。

 別方向からやってきた、よく居る茶色の個体のカブトムシのオスだ。当然と言えば当然だが、刺叉のように立派なツノを持ち、金色のカブトムシを樹液のあるところから追い出そうとじりじりと近づいている。

 横やりを入れるべきか迷ったが、俺はツノを持った手を下ろし、その行く末を見守ることにした。

 傍らで道音も黙ってそのカブトムシ同士のやりとりを固唾を呑んで見守る。

 じりじりと通常個体のカブトムシが、金色のそれへと距離を詰める。

 そして、その瞬間は刹那に訪れた。

「あっ!!」


 金色のカブトムシが茶色のそれへと素早く潜り込んだかと思えば、短くなったツノですくい上げ、木から投げ飛ばしてしまったのだ。そして、なんてことの無いように再び樹液を啜り始めた。

 その姿を見て、俺は金色のカブトムシに自分の姿を重ねる。

 ……まさか、折られたツノで勝つなんて思っていなかった。

 ツノの長さで言えば、ほとんどメスのそれと変わらないはずだ。それなのに、ツノの有無なんて関係ないと言わんばかりに勝ったのだ。

 まるで、性別なんて関係ない。

 金色のカブトムシは、俺にそう言っている気がした。

 同じ事を思ったのか、道音は俺へ向けてポツリと呟いた。

「先輩。本当に男性のままじゃないと、先輩のやりたいことは出来ないのかな……?」

「……分からない。ただ、折られたツノで逞しく生きているこいつにツノを返そうとするのは、違う気がする」

「私も、そう思う」

「……帰るか……」

「……」

 俺は踵を返し、登ってきた道をそのまま戻ることにした。道音も小走りで後に続く。

 その後、帰路につくまで俺達の間に会話は無かった。


 続く

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