19話 信用の果て(後編)
千草が“家”に戻ると、“家”の前には子供たちが彼を待っていた。子供達の表情は、いつもの温かい笑顔ではなく、
「みんな……っ」
「お前」
声をかけようとしたのをアキに遮られる。
「今まで俺たちを騙してたのかよ」
「ぇ?? なんの、こと……」
「シラを切っても無駄だぜ。俺はお前が国防軍の基地から出てくるのを見た。りーだーが死んだってことも……聞いた」
「なら、なんで」
「国防軍の関係者なんだろ? お前も、りーだーも。孤児の俺らを見て、優越感に浸ってたのか!? 楽しかったか!?? いままで何を思って俺たちといたんだ!? あ"ぁ!?」
「騙してなんか、ない、俺を信じて……え?? みんな、なんで何も言わないんだよ!?」
アキは必死に訴える千草に詰め寄り、呟いた。
「ここに来て2年かそこらのお前なんか……誰も信用できねぇよ。裏切り者は、出ていけ」
脳が揺れる。
彼らからの信用はなくなったのだと、悟る。
「あっ、あ、ぁ、あぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
現実を振り払うような慟哭。自分の口から発せられたとは思えないほどに激しいものだった。
逃げるように、また、走る。
(なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!?
なんで誰も俺を信じない?? 俺の居場所、俺たちの家、あいつらの家、もう戻れない、帰れない。なら、もういっそ……)
足がもつれ、コンクリートの地面に倒れる。
(ああ、水たまりで、滑ったのか……)
重たい体を手で持ち上げ、起きると、そこは自分の本当の家。気づかない内にここまで走ってきていたのだ。
視界が、霞んでいる。
(明かりがついてる……?? でも、人の気配がない)
目を擦ると、信じられない光景が広がる。
赤、オレンジ、黄色、様々な色が混じり合う。ゆらゆらと揺れるソレが界を強引に現実へ引き戻す。
家は燃え盛り、庭には血の跡が残っていた。
「あいつらの仕業か……!? なんで……!? 綾!!! 杏!!!」
2人の妹の名を叫び、その跡を辿った。
「しっかりしろよ、なんの冗談だよこれ!!!」
裏道に踏み込んだ瞬間、地面にうずくまる小さな影が目に入る。息をのむ。
血に濡れた細い腕──妹の、綾だった。
「杏、が、向こうに……早く行って、あげて」
「杏も……!?」
「すぐに杏と一緒に病院に連れて行ってやるから、ちょっと待ってろ!」
綾が視線を向けた方向に進むと、廃倉庫のような場所に入る。杏は、2人の女子生徒に暴力を振るわれていた。
「正義のヒーロー、遅っ」
「何道草食ってんの?? ……千草」
「なんでお前らがいる……江山、黒滝」
名を呼んだ2人は彼のクラスメイト。
千草は愕然とした表情で彼らを見つめる。
「そんなの決まってるわよ。アンタが殴った貴族の息子、
「はぁ……?? じゃあ妹は関係ないだろ!?」
「いや、だってアンタ全然学校来ないし、私、不良のアンタに真っ向勝負で勝てるなんて思ってないからさ。貴族狩りの千草、だっけ?? ダッサい異名もあるわけだし」
「家族を使った方が効率がいいでしょ?」
そこからの話は耳に入らなかった。
(全部全部全部、俺のせいだ)
自責の念が渦巻く。
(俺が貴族に反抗しなければ!! 俺が、南本サンに会わなければ!! 俺が、家族を巻き込まなければ!! もう取り返しが……)
「1つ、良い提案があるんだけど。高校を卒業するまで、私たちのオモチャになってよ。そしたら、今後一切、家族には手を出さないって約束する」
普段の千草なら即座に断り、妹を取り返しただろう。しかし、絶望で脳が正確な判断を下せなくなった今、彼は悩んでしまった。
それどころか、魅力的な提案に思えた。
ほんの少しの屈辱で、妹たちが助かるのなら──。
「なんちゃって〜、アンタがそんな条件呑むわけ……」
「お……、い、し……ます……」
掠れた声で、何かを呟く。
ゆっくりと跪き、地面に手をつく。
「まじ?」
「あの千草が、土下座、なんて」
「お兄ちゃん……?」
地面に蹲る杏も千草を見上げた。
「お願いします、どうか、家族は助けてください」
(何やってるんだ、俺は……?)
(でも、本当に、俺が少し我慢をするだけで済むのなら……それで)
「はは、」
「み、蜜世!?」
腹が捩れるように笑う、江山。黒滝が驚いた様子を見せる。
「あは、はははは!!!! まじ笑える、!!
じゃあ、明日からよろしくね?千草くん。
学校来なかったらどうなるか、わかるよね?」
「あぁ、わかった」
江山、黒滝が去った後、妹2人を抱えて病院へ走る。
足が悲鳴を上げている。もう限界のはずなのに、止まることだけは許されなかった。
病院の受付へと駆け込む。
(誰にも信じてもらえない。
もう、誰も俺を信用しない。なら…)
「っ!!?? その子たち、血が……!!?
緊急ですね!! すぐに手当て致します。
あなた、お名前は……」
そう名前を訊いた受付の看護師が千草の目を見た瞬間、ゾッ、と鳥肌が立った。
何も映さない紺色の瞳が、数千の針のように静かに看護師を目を突き刺したのだ。
「妹は杏と綾。僕は千草界といいます。
2人をよろしく、お願いします」
(僕も、もう誰も信じない)
☆☆☆☆☆
「なるほどね、事情は大体わかる。大方、そこの3人に妹を傷つけられて、君自身が身代わりになれば助けてあげるとでも言われたんでしょ。
ありきたりだなぁ……はぁぁ」
アオは千草に向かってため息をつくと、首を振った。冷静でいて淡々とした口調に千草の表情が歪む。
「な……んだと……!?」
「図星? まぁその程度で揺らぐほど君は馬鹿じゃないだろうし、他にも色々あったんだろうね……頼れる人もきっといなかったんだろう」
アオがはは、と軽く笑った。
それは同情ではない。
「でもさ、これじゃただのペットだ」
「あははは!! アンタ、どっちの味方なわけ?
キッツイこと言うじゃん」
蜜世が可笑しそうに笑う。
「そうやって壊れるほど辛いことがあったなら、わかるはずだよ……この世は弱肉強食。
勘違いと嫉妬、戦いの世界だ」
千草は、瞳が揺らぎ叫んだ。
「だから………!! お前に何がわかる!?
金持ちで恵まれてて上からものを言って!! お前もどうせ!!」
「私に、君の気持ちなんかわからないよ………」
だから、と続ける。
「抗え。信じなくていい。理不尽が君の前に立ち塞がるなら突き破ってぶっ壊せばいい。
君にはそれをする力がある」
「そんなことしたら、僕の家族が……」
葛藤する千草の前で、アオは────
吉川をノールックで思い切り蹴り飛ばした。
「哀羅!????」
「え」
──人材確保のためではあるけど、苦しんでいるこいつを、放っておくわけにはいかない。
「これからは私が君の味方だ。君が私を信じなくても、私が信じてあげる」
信じる。その言葉に千草の胸がチクリと痛む。
(こんな僕を信じる?? 冗談じゃない。
何度、僕が裏切られたと思ってる…)
葛藤する千草を見たアオは軽く口元を緩めた。
「あぁ、あと私は国防軍の隊員なんだよ。
理不尽を見逃すわけにはいかないからね」
「えっ、国防軍……!?」
(南本サンと、同じ)
唐突に暴露したアオは、静かに千草に手を差し伸べる。
「私も手伝うからさ。世界に、一緒に抗おうよ」
彼女は優しく微笑んでいた。
その手を取れば、何かが変わる気がした。
(どうせまた裏切られる。僕が信用なんかされるわけがない。また、何もかも失ってしまう)
千草は顔を上げて拳を強く握る。
(だけど僕……いや、俺にはもう、何もない)
(それなら……)
彼はゆっくりと覚悟を決めたようにアオの手を握った。それに彼女は、満足気に頷くと、怯える江山と黒滝に目を向けた。
「よし。まずはこいつら、片付けちゃおうか」
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