1話 記憶喪失(後編)


「というわけで、一応状況説明と、僕の名前を言ったところです」



 坂が、後から現れた男に向かって言った。

 男は大柄だが、その性格の明るさのせいか不思議と威圧感は感じない。



「いやぁ、すまんなぁ。もう目を覚ましとったんか。俺ぁ、国防軍総隊長の、鬼谷西海キタニ サイカイや。で、これパンと水やで」



 話をしながら鬼谷は持っていたビニール袋を坂に手渡した。



「ありがとうございます。

それでこの子、記憶喪失みたいなんです」


「なるほどなあ」



 その軽々としたやりとりを見ていたアオは、話がどんどん進むのに業を煮やし口を挟んだ。



「待った、待った。鬼谷、だっけ? 総隊長って名前からしてすごそうだけど、部下にパシられてるって大丈夫なの?」



 唐突な指摘に鬼谷が目を丸くし、坂が思わず吹き出し咳き込んだ。



「パシられてる? 俺が?」


「ははっ、面白いこというね、君」



──これ、私がおかしいのか?



 アオは思わず呆れた表情でため息をつく。



「まぁ、俺ぁ立場とか形式ばったもんはあんまり気にせん性質でな」



 彼はまた豪快に笑ったが、アオはその答えに納得したふうではなかった。もうひとつため息をついて、声のトーンを落とす。


「それは私に関係がないとして」



「結局、君たちは何者? さっきから言ってる国防軍だの言ってるけど、それが何かもわからないし。見たところ私に害意があるわけではなさそうだけど、なんで私を助けたの?」



 今度は真剣な眼差しで坂と鬼谷を見据えた。



「なんで、って……。別に、怪我をして倒れている子供がいたら助けるのは当然だよね?」


「せやせや。俺たちゃ、そんな子を見捨てるほど薄情な人間じゃないで?」



 質問の意味がわからないとでも言うように、

彼らは首を傾げた。



「いや、善人ぶらなくてもいいから。何かしらあるよね?」


「そうはいっても、なぁ?」



 鬼谷は心底不思議そうに首を傾げる。



「まぁ、いいや。じゃあ一つ確認なんだけど、国防軍ってそんなに有名なの?」



 アオが不思議そうに訊くと、鬼谷が身を乗り出してきた。



「もちろんや!! 

もしかして、国防軍の事気になるか!?」


「ま、まぁ」



 突然饒舌になった鬼谷に圧倒されながらも控えめに答えるアオ。その様子に坂が苦笑を漏らした。


──オイ、坂、なんか言えや。


「よっしゃ、そんじゃ、教えたるわ。国防軍が有名な理由やな」



 アオは何か説明が始まるのか、と姿勢を正す。



「…この世界はその昔、もっと文明の栄えとったんや。でも30年前に戦争が起きてな、生活は一変してもうた」


「……戦争?」


「魔界の魔物が東京に攻めてきてね。それがきっかけだったんだけど」



 坂がそう補足した。アオは、信じられないという顔で2人を見つめる。



「本当の話やで。当時子供だった俺も、正直腰を抜かしたよ。ゲームの中ぐらいでしか見たことがなかった魔物たちが現実にいて、魔法まで使いはるんやから。俺の家族はみーんな大阪に逃げ込んだよ」



 鬼谷は懐かしむように語る。



「……じゃあ、人間はどうやって生き延びたっていうの?」


「魔法や。最初はな、銃やらミサイルやらの武器でなんとか応戦しとったんやけど、それだけじゃあ全然勝てへんかったんや」


「そこから人類は魔物を研究してね。戦争が始まってから5年後に、ついに魔法を手に入れたんだ」


「そんなことが…」



 興味が出てきたのか布団を静かにベッドの奥に押し寄せて驚く。



「人間は徐々に有利になったもんや。ただ、魔物も焦ったんか、それまで襲うだけやった魔獣だけやのうて、人みたいな姿をして知性を持った魔族や魔人まで出てきたんや」



「戦争が進むにつれて、研究も進んで、全員が扱える“基礎魔法”や、個々人に合わせた“個人魔法”が開発されたんだ。それで設立されたのが」



 坂が話を区切り、鬼谷が繋いだ。



「世界防衛共同戦線。これが今の国防軍の前身やで」



「なるほどね。魔物の脅威が減って世界規模から国家規模に変わっていった、っていうわけか。で、君が総隊長だと」



 アオが理解した、というふうに頷き、額に手を置いた。



「……世も末かぁ」


「初対面ていうの忘れてへんか、この子!!?」


「まあまあ、鬼谷さん。初対面なんですよ。子供ですし、気にしないであげてください」


「あ、あぁ、せやな。アオちゃんは、他に質問はあるか? 何でも聞いてええよ」



 アオは一瞬考え込んだ後、視線を鬼谷に戻した。



「1つ、聞いていい?」

「もちろんだよ。何だい?」


 坂が微笑みながら尋ねる。



「君たちが敵じゃないっていうのはわかった。

そこはひとまず信用しよう。で、質問なんだけど、これから私をどうするつもり? 保護、って何をされるの?」


「そのことか。基本的に子供を保護した場合は家族がいるなら無事に家に帰れるようサポートするよ。孤児だったら国防軍が運営してる施設に送ることになるかな。君は……、家族のことを何か、覚えているかい?」



「家族は、……っ!?」



 息が詰まる。唐突に殴られたような感覚。


「アオちゃん!?」「どうした!??」


 アオが急に頭を抑え始めたので、鬼谷と坂が驚きながら声をかける。


 激しい頭痛が走る。まるで記憶がアオに思い出されるのを拒否しているようだ。

 頭の中にかかった霧の中に、アオよりも少し年齢が下であろう少女の影がぼんやりと映る。



『ずっと、ずっと、友達だよ』



脳裏に焼きついて離れないその姿。

しかしノイズがかかったように彼女の声は不明瞭で、顔の輪郭も背丈も確認できない。







──私の大切な、⬛︎⬛︎⬛︎。






「……わからない。でも、知らなきゃいけない。

私は何か、大事なことを忘れている……」



「思い出さなきゃ、いけないんだ」



 彼女の瞳孔は開いていて、何かに囚われたように呟く。その姿にその放つ威圧感に2人は思わず息を呑んだ。



「……そう、か。それなら、俺たちの国防軍に入るってのはどうや?」



 突然の提案に、坂とアオは目を見開いた。



「鬼谷さん、何を言って!?」

「国防軍に……私が……?」


「危険です、鬼谷さん! 記憶をなくして魔法も知らない子供が就くにはいくらなんでも荷が重いでしょう」



 坂は必死で止めようとする。

 今日会ったばかりのアオを心配している。


 気に障ったのか、アオは横目で坂を見た。



「わかってる。力不足の者は実践には不要だ。

けど大丈夫だよ。私、戦闘で負ける気しないし」



「あー、根拠はあるんやな?」


「ない」


 アオが即答したので、坂は「なおさら駄目じゃないか!!」と叫んだ。



「鬼谷さん、この子の家族と記憶探しは僕たちでやりましょう。死なれでもしたらこちらが困ります!!」


「え、なんで?」


「君は黙ってて」



 アオが口を挟むと坂はピシャリと言い放つ。それに鬼谷が冷静に答える。



「落ち着くんや、坂くん。まずは、魔力感知でアオちゃんを見てみ」


「魔力、感知?」


「せや、アオちゃんは知らんよな。

魔力感知っちゅうのは、基礎魔法の1つや。

精度は人それぞれやけど、他人の纏う魔力が見えるようになる魔法っちゅうわけやな。丁度いい機会やし、坂くんの目を見ておくとええよ」


「目……?」


「【魔力感知】」



 坂が呟く。

 すると、彼の焦茶色の瞳が、次第に明るい黄色へと変わっていくのが見えた。



「すごい……!」



 アオは目を輝かせて、その変化に見入る。

 坂は魔力感知でアオの魔力を “視“ ると、あまりの結果に口元に手を当てた。


 一切の揺らぎがなく、アオの周りはもちろん、部屋が魔力で覆われるほどの量。



「こんな、魔力……。僕の魔力感知がバグってるわけじゃないですよね……?」


「俺も少し驚いたが、そう視えてるで」

「普通の人間の持っている量じゃない…」


「元から膨大な魔力量があって、尚且つ小さい頃から魔法を行使していなきゃこれほどには育たないでしょうね……」


「………どういうこと?」



 1人、状況が把握できていないアオが顔を顰めながら訊く。



「アオちゃん、君はとんだ逸材ってことや。この魔力量ならそこらの魔物で敵うもんはそういない。どうや、坂くん? これでも危険か?」


「いえ……。僕が見誤っていたようです」


「入隊するってだけじゃぁ難しいけど、君が副隊長、隊長になった暁には国の殆どの情報を閲覧することができるようになる。記憶を取り戻す手助けになるだろうと、俺ぁ思うよ。

この世界で生きていくための力も教えたる」



 鬼谷はそこで一度言葉を切り、

まっすぐにアオを見据えて手を差し伸べた。



「……国防軍に、入ってくれんだろうか?」



「わかった。申し出を受けよう」



 アオは、強く鬼谷の手を強く取る。



 そして──、



「何をすればいいの? 鬼谷そうたいちょー」



 自信に満ちた、不敵な笑みを浮かべた。









 一方その頃──。


 吹き荒れる冷たい風が激しくその姿を踊らせる。黒いローブを纏う何者かが、高層ビルの屋上に立っていた。


 アオが落ちた跡に、魔力の残穢を“視“た。



「………んふふふ…………」



 口を両手で抑え、頬を紅潮させる。唇にゆっくりと指を沿わせて掌は顔の輪郭を首へなぞっていく。首から肩へ腕を交差して俯いた。


 その者の黒い魔力は制御しきれずに、強く狂いながらその体を覆い渦巻く。





「ふふふ………っあぁ……ついに…………」




 ソレは歓喜した声で、異常な程に高揚し叫んだ。




「ついに、ついに、ついに、ついに、この時がきましたか……!!!!」





「あのお方が、こちらへいらっしゃった!!!!」





 自身の存在を隠すように、込み上げる笑いを殺しながらも体を細かく振るわせ、捩らせ、拗らせる。

 月光に照らされたフードの隙間からは、滑らかな川のように光り反射する、銀色の髪が覗いていた。

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