勇者様に襲われたい!
白澤光政
プロローグ 運命の出会い
「はぁっ、はぁっ……!! どうして、どうしてこんなにたくさんっ……!!」
全力で走ろうとするけど、すぐに息が上がってしまう。元々運動はそんなに得意ではない上に、すでに私は疲労困憊していた。足は痛いし脇腹もずきずきと痛んでくる。全身が悲鳴を上げ、息を吸うだけで肺が引き裂けそうになる。
だけどそれでも足を止める訳にはいかない。後ろからはたくさんの足音に混ざってギャァァァァとかグガァァァとか、不気味な魔物の声がいくつも混ざり合って聞こえてくる。あれだけたくさんの魔物の群れ、追いつかれれば一瞬で餌にされてしまうだろう。
ちらっと遠くを振り返ると、先ほどまで魔族を防いでいたはずの砦にはうじゃうじゃと魔族が満ちているのが見えた。
視線を降ろせば先頭にはゴブリンだろうか、小柄な魔物が何体か先行して私のすぐ後ろへ迫ってくるのが見える。
「はぁ、はぁっ……」
どうにか人がいるところまで逃げないと。出来れば王国軍と合流したい。
しかしそんな私の気持ちに身体はついてこない。肺が痛くなり、足は重くなる。それでも懸命に足を動かそうとした時だった。
ばたっ
「きゃああっ!?」
どうやら最初に限界を迎えたのは注意力だったらしい。私は足元にあった小さな根っこに足を引っかけると、バタンと勢いよくその場に倒れこむ。体が思いきり地面に叩きつけられるが、もはやその程度の痛みはどうでもいい。
キヒッ!! キシシシシシッ!!
振り返ると、不気味な笑い声とともに数体のゴブリンが迫ってくる。体長は人間の半分ほど、淀んだ色の肌に意地の悪い笑みを浮かべている。単体では大した強さではなく、魔物の中では最下級の存在であるゴブリンだが今の私にはどうすることも出来ない。こいつらに食べられるぐらいならいっそ自害でも……と思った時だった。
「今助けるっ!」
え? 遠くから声が聞こえた気がした。年齢は私と同じぐらいだろうか、二十歳にはなってないぐらいの少年の声。そちらに目をやっても声の主は見えないし、第一この辺りにまともに戦える人が残っている訳もなく、一瞬幻聴を疑ってしまう。
が、次の瞬間まるで矢のような速度で一人の人間がこちらに近づいてくる。いや、飛んでくるといった方が正確だろうか。私はとっさに彼の進路を邪魔しないようその場にさらに低く身を伏せた。
「喰らえっ……ブレイブ・スラッシュ!!」
人影は私の身体を飛び越えながら剣を薙ぐ。叫び声とともに剣から見えない斬撃のようなものが繰り出されたかと思うと、次の瞬間ゴブリンたちの首は胴と離れていた。
「すごい……」
そのありえない速さに私は思わず見とれてしまう。
一体どんな高名な戦士だろうと思ったが、彼は目にかかりそうな黒髪に中肉中背という目立たない容貌をしていた。彫の浅いその顔はこの国の人とは違う。さらに黒い上着と黒いズボンもこの国でよく見る服装ではないし、剣士のようなのに防具の一つもつけていない。
「大丈夫だった?」
そう言いながら彼は私の身体をそっと抱き上げる。
大柄な訳でも筋骨隆々としている訳でもないのに私はあっさりと抱えられた。
「あっ、えっ、えっとっ……」
な、何これっ!?
あの颯爽とした登場と鮮やかで正確な斬撃。
それなのに私の身体を抱き上げる手つきは優しげでどこか儚い。
上半身を助け起こされると、彼の顔が近づいてくる。
人間離れした活躍に見合わない、地味で目立たない顔立ち。
それなのに間近で見ると心臓のどきどきが止まらない。命の危機は脱したはずなのに、むしろどんどん鼓動が激しくなっていく。
もしかして、これが運命っ……!?
「はっ、はい、大丈夫ですっ……」
私は必死に平静をたもちながら答える。
他人と話してこんなにしどろもどろになったのは初めてかもしれない。
「それは良かった」
そう言って彼はほっと息を吐く。私を助けたことを誇るでも恩に着せるでもなく、本当にただほっとしただけという感じだ。はぁ、その自然体の様子も格好いい……!
今まで私は愛とか恋とかにうつつを抜かすのはやめようと思ってたけど、そんな考えは一瞬で打ち砕かれた。まさかこんな素晴らしい方に出会えるなんて。きっと私にこれまで恋人が出来なかったのは彼と出会うためだったのだろう。
その声と同じように、背中に触れる彼の手は細くて優しい。
あぁ、このままその細くて優しい手で……
私のことを強引に襲って欲しい!
手始めに片手で私のあごに手を伸ばして、力強く唇を奪って欲しい! 抵抗なんてする訳ないけど彼の人並外れた力で唇はあっさり奪われてしまう。初めてのキスに私は戸惑ってしまうけど、彼はそんな私を離さないどころかぎゅっと身体を抱きしめて逃げられないようにしてしまう。その手にはさっきまでの優しい彼とは別人のような力強さがこめられていて、私はすぐに逃げられないと悟ってしまう。そしてそんな私の唇の中にゆっくりと舌が入ってきて、「お前は俺の物だ」と示すように口の中を執拗に……
「そうか、それは良かった」
が、そんな私の妄想は他ならない彼の声で中断される。
「えっ、えっと、あのっ……」
妄想だけは饒舌なのに現実には何を言えばいいのか分からず戸惑っている私を、彼はゆっくりと地面に降ろした。
「この先の砦には魔物がたくさんいるようだ。僕はそれを倒しにいかなければならない」
「は、はい……」
いや、それはそうなんだけれども……と思ったところで私は我に帰る。
何を考えてるんだ私、こんな優しくて格好いい方があんなことする訳ない。これこそがあるべき対応じゃないか。
妄想通りにならなかったことへの寂しさと、やっぱりこの人はいい人なんだというどきどきが混ざり合い複雑な気持ちになる。
あれ、そう言えば私そもそもお礼すら言ってなくない?
「あの、ありがとうござっ……え?」
が、私がそう口にしようと思った時にはすでに彼の姿は現れた時と同じように、風のように消えていたのだった。
私を助けてくれた運命の人が、魔王軍の侵攻で危機に瀕しているエルメニア王国を救うために異世界から召喚された勇者ハルトであることを知ったのは、私が王国軍と合流した後のことであった。
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