第16話

 地下から戻ると、廃墟の隙間から差し込む光は大分斜めに傾いている。

 それでも日没までは時間があるからと、今度は階段を上っていって屋上へと上がる。

 鍵は何者かによって壊されていて、屋上の更に給水塔の上に上るには錆びついたはしごを上る必要もあって。今までとは違った恐怖を感じながら、廃墟の、かつてはホテルだった建物の一番上にたどり着く。


「絶景、だな」


 沈んでいく西の空を目を細めながら部長が言った。

 廃墟の周りは鬱蒼とした木々が茂っているけれど、この高台を遮るようなものはなく、ずっと地平までを見渡すことが出来る。

 湖に暮れゆく夕陽が映り込んでいて、揺れる水面に瞬いている。

 空は茜色に染まり、高い雲は赤に、低い雲は夜の影を纏って、暮れていく西の空を彩っている。


 ずっと向こうに合宿先のホテルがあって、梅雨時に花園が見頃な公園が見下ろせる。橙色と朱に染まっていく地平の町並みに、見知った建物が、自分たちの住まう街を一望に付す事が出来る。


「何で潰れたんですかね、このホテル」

「本当にな。でも、同業他社との競争に敗れてしまっただけなんだろう。あのホテルが出来てから、経営は傾いたって話だからな」


 あのホテル、と部長が合宿先のホテルを指差す。

 目を凝らして見れば、この廃墟ほどではないが少しくたびれた建物の様子が分かり、相応に年を重ねた建物なのだと分かる。


「流石に詳しいですね」

「研究対象だからな」


 幽子部長は欄干の傍で沈んでいく夕陽に目を細めている。決してもたれかかることはしない。我を忘れれば、ここが廃墟なのだということを忘れそうになる。

 夏菜子先輩が、落ちる夢を見た、というのは此処ではないかと勝手に思っている。日向が生き埋めにされた、という場所は分からない。


 いつまででも眺められていそうな夕陽を前に、欄干が崩れないかを確認しながら肘を置いて黄昏れてみる。


「幽子部長は、どうしてそんなにサクライヒナコの怪異に執心なんです?」

「どうした、藪から棒に」


 怪訝そうに、風になびく金髪を耳にかけながら部長が言う。


「サクライヒナコに執心なのは、お前や日向の方だろう」

「まさか。俺は言われたからやっているだけで、日向も……楽しんではいるでしょうけど、積極的に解き明かそうという感じではない。そもそも、サクライヒナコの怪異を取り上げたのは部長なんですよね」

「…………」


 幽子部長は黙っている。西日に照らされた表情は無表情にこちらを見つめていて、何を考えているかは読み取れない。元々、何を考えて何をしでかすかわからない人ではあるけれども。


「なぁ。トイレの花子さんや口裂け女の怪異は知っているか?」

「えぇ。そりゃあ知っていますよ。メチャクチャ有名ですからね」

「じゃあ元ネタは知っているか?」

「…………元ネタなんてあるんですか?」


 問いに問いで返した俺の言葉に、幽子部長がくしゃりと笑ってみせる。


「あぁ昔の怪異はあるんだよ。トイレの花子さんは、岩手で起きた一家心中事件がモデルとされている。口裂け女も岐阜で起きたバス転落事件がモデルとされている。確証はないがな」

「それが、サクライヒナコにどう関係あるんです?」

「さぁ、あんまり関係ないだろうな」


 幽子部長も、欄干の強度を確かめてから寄りかかり始める。


「トイレの花子さんは、女子トイレに花子さんの霊を見る。口裂け女は学校帰りに怪物が話しかけてくる。どちらも怖い怪異だが、どうしてここまで日本中に広がったんだと思う?」


 考えたこともなかった突然の問いに、少し面食らっている。

 何か気の利いたことを言おうとして、何もいう事が出来なかった。

  

「まぁ答えなんてあるはずがないよな。私達が生まれた頃には既に語られていたのだからな」


 幽子部長があっけらかんと笑いながら続ける。


「私が思うに「想像しやすかったから」だと思っている。特定のシチュエーションではなく、自分も遭遇するかもしれない。そんな想像のしやすさが怪異を生んだのだと思っている。或いは、「怪異自身がその様に語らせた」かと思っている」

「ん? 待ってください、「想像しやすかったから」はまだ分かるんですが、「怪異自身がその様に語らせた」ってなんです?」

「……鶏が先か、卵が先か。という話だ」


 8月の終わりではなく、夏至に近い7月の夕暮れはいつまでも夏が続くかのように夕陽が残り続けている。

 部長はじぃっと、湖の湖面や波に揺れる陽に目を細め続けている。


「もしも怪異が実在するものとして、そいつが生き続けようと思ったら、人の意志に残り語られ続けるしか無い。忘れ去られ知覚出来なくなってしまえば、意味の消失だろうからな。だから「怪異自身が語らせた」。トイレの花子さんが語り継がれることで存在するのではなく、存在するために語り継がれている」

「……もしも、というか。非常に願望が強い意見に思えますが」

「そうだな。だが、人間の意識や、アイデアの源泉はまだ未解明だ。肉体を持たない存在が人間に囁いて物理世界に器を得ようとしている。そんなロマンも捨てがたくはないか?」


 夕陽に部長の表情が鮮やかに染まっている。

 屈託なく笑う姿は魅惑的な人だと思わされる。そして、その笑顔に肝心なことを誤魔化されているとも。

 何故彼女がサクライヒナコの怪異を追いかけているのか。

 肝心な信念の部分を上手く煙に巻かれてしまった格好だった。


 陽が沈みきる前に、俺達は夕陽が絶景だった廃墟を後にするのだった。

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