第43話 草子「これは大罪だ」
真っ赤、だった。
「雪之丞!」
悲鳴のように呼び掛けて、冬美さんは草履を蹴とばすように脱ぎ、濡れ縁へ上がり室内へ。
雪之丞さんは布団から上半身を起こし、オヤジさんに支えられていたが……。
「ど、どうして……? なんだってこんな、血が……!」
冬美さんが雪之丞さんの傍らに脱力するようにしゃがみこみ、涙声で尋ねる。
説明しようと雪之丞さんが口を開いたが、すぐにせき込みゴホッと血を吐いた。
「申し訳……ない。手で押さえてても……飛び散りますね……」
「無理してしゃべるな! あたいの着物なんてどうだっていいから!」
雪之丞さんが呼吸するたびに、ヒューヒューと隙間風が通るような音がする。
「あたい……あたい知らなかった。あんたがこんな……どうして言ってくれなかったんだい!」
「あなたには……知られたくなかった……」
雪之丞さんがつぶやき、チラとオヤジさんに視線を向ける。
「すまない。お前の意志を尊重するつもりだったが、やはり冬美くんにとっては酷に思えてな……」
オヤジさんが先ほどの女性に冬美さんを連れてくるよう頼んだのだろう。
「そうですか……」
雪之丞さんは消え入りそうに答えて目を閉じた。
私の心臓がどくどくと嫌な音を立てる。
この、病魔に憑りつかれた人間独特の匂いと……予感。
「雪之丞? ……雪之丞!」
冬美さんが雪之丞さんの両肩を握ってゆする。
雪之丞さんは細く……瞼を開けて……。
剣士とは信じられないほど瘦せ細り血色の悪い腕を伸ばして、てのひらを冬美さんの頬へと……。
「どうか……幸せに……」
雪之丞さんはその言葉とともに再び瞼を閉じ、冬美さんへと伸ばしていた手をぱたりと落とした。
冬美さんの頬には、指先がかすかに触れていたしるしの赤い三本線が残された。
それまで気配を消して見守っていた「雪之丞の細君」という触れ込みだった女性が室内に入る。
彼女は雪之丞さんの首筋や手首に触れてから「ご臨終です」と機械的な抑揚で宣告した。
あまりにも突然すぎて、何が何だかわからない。
ただ、冬美さんが声もなく涙を流している姿が痛ましかった。
***
死の宣告をした女性が雪之丞さんの遺体を整えている間、別室でオヤジさんはすべてを冬美さんや私たちに話してくれた。
「三か月前、出稽古先で雪之丞は血を吐いた。結核だそうだ。隔離され、そこで死を待つべきだったのだろうが、あいつは……冬美くん、君のことが気がかりだったんだそうだ」
「あたいのことが?」
オヤジさんは頷く。
「帰還したら結婚するつもりでかんざしを渡してしまっていたし、冬美くんも自分の婚約者であるつもりであろうと。だが、そうなると死んだ後も冬美くんは『死んだ婚約者』のことを気にしたまま、新しい幸せに踏み切れないのではないかと」
正座していた冬美さんはカッと怒りに頬を染めて立ち上がった。
「新しい幸せってなんだい! あたいは……」
涙ぐむ冬美さんに、オヤジさんが「そうだろう。そんな感じになると雪之丞は予想していた。だから『婚約した覚えはない』などと言い、医者の娘を『雪之丞の嫁』として誤認させ、最低な男を装って嫌われようとしたんだ」とため息交じりに説明した。
やっと泣き止んだのに、またポロポロと涙を流し始めた冬美さんを見て、私は内心でとても後悔した。
なんで、初めて冬美さんと雪之丞さんを目にしたときにすぐ気づかなかったのだろう。
結核なんて、現代の知識と東照大権現さまの生薬を持っている私なら治せたかもしれない。
着物のサイズに違和感を覚えた時点で、病的な細さだと気づき、異変を察知しなければならなかった。
冬美さんの円形ハゲなんかよりもよっぽど重要で致命的な病だったのに。
治せたかもしれない人を死なせた。
これは大罪だ。
薬箱をくれた東照大権現さまも、好きにしろなんてうそぶいていたけれど、なるべく多くの民を救わせるために私を遣わしたんだろうに。
ギリッと唇をかみしめていると、外から男性の声が飛び込んできた。
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