【本編は完結済み】えっ? 私はただの新米薬剤師ですよ! 『神徒』ってなんですか?【おまけあります】

音雪香林

プロローグ

第1話 神頼み「自分の努力だけではどうにもならない物事がこの世にはあるのだ」

 ついこの間まで、観光地に近い場所に自宅がある事実が嫌でたまらなかった。


 家から一歩出れば人込みで歩きづらいし、通勤に使う電車もぎゅうぎゅう詰め、外国人に道を尋ねられることもしょっちゅう。


 勤め先である薬局に着くころには既に疲弊している毎日で……でも、勝手だと理解しているけれど今こそは観光地の「日光東照宮」に祀られている「東照大権現」さまのご利益におすがりしたい。


 私は賽銭箱の前で二度お辞儀をし、硬貨を投げ入れ、パンパンとやはり二度柏手を打った。


 瞑目して心の中で祈る。


『どうか、大切な幼馴染である優馬ゆうまが早く目を覚ましますように』


 二十五歳になる現在まで、私は「神頼みなんてするより自分で努力した方が願いの叶う確率が高いし早い」とお参りをしたことがなかった。


 初詣だけはいつも優馬が誘うので来ていたけれど。

 でも今はお参りして神頼みをする人の気持ちがわかる。

 自分の努力だけではどうにもならない物事がこの世にはあるのだ。


『毎年初詣に来ていたのは優馬が誘ってくれたからです。どうか優馬を助けてください。私の命を代わりに持っていってもかまいませんから』


 本気でそう願いながら一礼して次の人に場所をあける。

 階段を下りながら、優馬こそ生きるべきだとこれまでの人生を思い返す。


 友達の少ない女児だった私と違い、優馬は明るく元気な男児で小学生の時点で友達が百人近くいたような人間だ。


一人一人きちんと顔と名前も覚えているコミュ強で、私は羨ましさを抱くよりも「よくできるな」と感心していた。


 そんな優馬だからこそ「地域の人が安心して暮らせるよう守る警察官になる」と決めたのだろう。


 高校の教師に「お前だったら全国トップクラスの大学に入学してキャリアになることも可能なのに」と惜しまれながら高卒で試験を受け見事合格し、優馬は念願の「交番のおまわりさん」になった。


 優馬は毎日楽しそうで、実際「やりがいがあるぜ!」とキラキラした笑顔でさまざまな話をしてくれた。


 ただ「くいっぱぐれがなさそうだから」と薬剤師の資格を取りに大学へ進学した私は、自分の志の低さが恥ずかしかったくらいだ。


 やがて私も女子大生から新米薬剤師になり自由時間が少なくなった。


 忙しい中たまにメッセージアプリで「俺も君も仕事が好きすぎて恋人がいたらきっとフラれてるよな」なんて軽口をやり取りする程度の交流。


 私は「なんだかんだいって私も薬剤師の仕事が好きなんだ」と優馬に言われて気づく鈍感ぶりだ。


 そんなある日、優馬から連絡があった。


「そういやまだ君と飲んだことはなかったな。奢ってやるから付き合ってくれ」


 私はお酒を飲んだ経験はほとんどないけれど、一杯目で泥酔するほど弱くはなかったし、ちょっと飲むくらいなら迷惑はかけないだろう。


 それに誘いは純粋に嬉しい。あれだけ友達がたくさんいるのに、まだ私のことを気にかけてくれているのだと自然唇が笑んでいく。


 幼馴染というのは私だけじゃなく優馬にとっても特別なものなのだろう。


 予定を調整し、店を選び、時間を決めて、着ていく服をさんざん迷いながら決めて当日。


 優馬は相変わらず細身で、学生時代からずっとひそかに憧れている艶々とした黒髪をキープしていた。


 早速店に入り、カウンターに並んで座って注文する。

 お酒を待つ間私は質問してみた。


「優馬ってパッと見はボーイッシュな女子高の王子様っぽいけど、見た目で舐められたりしないの?」


 優馬はフッとよそいきの上品なほほえみを浮かべ。


「俺のこの顔面で辛辣な台詞を吐かれたらどう思う?」

「心に大ダメージです」


 優馬は「そうだろ。ハッハッハ!」と大口開けて笑い、次の瞬間ニヤッと悪戯っ子っぽい表情をする。


「それに俺は学生時代から喧嘩に負けたことはないぜ。そこに正しい訓練で我流から矯正されて……今ではめちゃくちゃ強い!」


 そこにお酒が届いて二人とも飲み始める。お互いもう大人だというのに、会話しているうちに小学生の頃に戻ったかのようにくだらないことで笑い合った。


 内容は覚えていないけれど、楽しい時間だったのは覚えている。

 なのに、せっかくいい気分だったのに、運命は残酷だ。


 そろそろ帰ろうと店を出ると。


「誰か! 捕まえて! ひったくりよ!」


 叫んだ女の人がいた。一見してホステスさんとわかる外見だった。


 こちらに走ってくる黒づくめの男性のわきに抱えられているのは真っ赤な女性用のカバン。


 一目で状況を把握した優馬は、男性の前に躍り出て……顔面をぶん殴った。

 男性の身体は後に傾いで、地面にドンっと尻もちをついた。


 殴られたときに骨を折ったのか鼻は曲がっていて、穴からだらだらと血が流れている。


 優馬はそんな男性からカバンを取り上げてホステスさんへ返そうと足を踏み出したが……男性に足首をつかまれて前に転んでしまう。


 とっさに受け身をとったようだったが、酔いが回ってきたのか起き上がれない。

 形勢逆転とばかりに男性は立ち上がり、優馬の腹を蹴りつけた。


 それも、何度も何度も。


 私は『どうしよう。助けないと』と焦るが良い案が浮かばず、体も初めて現実で遭遇した「暴力」にすくんでしまって制止することもできない。


 周囲に野次馬も集まってきて「誰か、警察呼べ」という声が聞こえてきた。


 ようやくするべきことがわかり、私はスマホを取り出すが手が震えて落としてしまう。


 舗装された地面とスマホが接触する大きな音が、男性に私の存在を知らせた。


「このなよっちい男の連れか?」


 男性が私に手を伸ばしたその時。


「やめろ。そのは関係ない」


 優馬が苦しそうに血とともに声を絞り出す様子に、私は『スマホで助けを呼ぶどころか、またピンチに……ごめんなさい。優馬』と申し訳なくなる。


 ふらつきながらも立ち上がった優馬を、男性がドンっと突き飛ばした。

 後ろから地面に倒れこんだ優馬は……頭を強くぶつけて血を飛び散らせた。


 周囲がどよめきと悲鳴に包まれる。


「優馬……?」


 いつも名前を読んだら必ず「なんだ? 草子そうこ」と笑顔とともに歩み寄ってくれるのに。


 無言で地面におびただしい量の血液を流す姿に、私は恐慌状態に陥り「優馬、優馬!」と倒れている彼に駆け寄って体をゆすったが、いつのまにか来ていた救急車から人がおりてきて「ゆすらないで」と注意され、その人の指示で優馬はストレッチャーに乗せられ運ばれていく。


「あなたも乗って」


 私はなにがなんだかわからないまま言われる通りにして、その後のことはあまり覚えていない。


 ただ、その日からずっと優馬は昏睡状態で……私が日光東照宮にお参りするのも今日で十回目。


 一週間に一度の頻度で来てたから、もう約三か月になる。


 優馬、いつになったら目を覚ましてくれるの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る