水怪 猿河童

ロムブック

水怪 猿河童

 人里離れた、山奥に其の者は住んでいた。

 其の者は誰からも忌み嫌われていた。

 その風体ゆえに。

 成人しているというのに、子供くらいの背丈しかなく、いつも身からは何かが腐った臭いが漂っている。頭頂は河童のように円を描くように頭髪がなかった。

 なので其の者が道行けば、誰もが避けて通っていた。


 世界大戦も終結して大分経つ昭和の時代だとというのに、薄汚れた甚兵衛をいつも着ている。身よりもなく、父母も兄弟もいない。猿のように木に登っては柿を食べたり、道に生えた草花を食べているのを見ている者がいる。たまに風呂に入るわけでもなく、冬でも河原で身体を洗っていた。


「オラに近寄るとたべちまうぞぅ」というのが其の者の口癖だった。それは他の村民と合わぬ故の言葉なのだが、誰もそうは思わぬのだ。


 懲らしめてやろうと大人たちが追ったこともあるが、これまた猿のように逃げて捕まえられぬのである。別に人様に迷惑をかけるわけではないのだが、その人並み外れた風体と頭髪、滝や河原に良くいることから皆に猿河童と呼ばれるようになった。


 ただの猿河童ではない、妖怪猿河童と。




 ◆




 山は海を欲して、そびえていた。海も山を欲していた。

 相なれないこの二つの怪物は天を仰ぎ、伏している。



 ◆



「山頂付近にはあまり行きたくねぇ。猿河童に会いたくねぇもん」


 見たら目が腐ると専らの評判なのだ。


「そう言わず、婆さんにつける薬草を取ってきておくれ。深志。取ってきたら何か美味いもん食わせてやるけんのぅ」と深志の母親が言う。深志の祖母は襖を開けた先の部屋で静養していた。深志はもう年だから長くないのかと心配していた。爺ちゃんに続いて婆ちゃんまでもいなくなっちまうのは、心許ない。もっと小さい頃は孫じゃ孫じゃと深志少年は祖父母に可愛がられ、育てられたから尚のことではある。


「深い志を持つと書いて深志だ」出稼ぎに出ている父親は深志の顔を見る度に口癖のように言っている。


「わかった暗くならねぇうちに行ってくるから、母さん」


「そうかよろしくたのんだぞ、深志」


「おう」


 しかし声が震えていた。猿河童がいなくても山奥は怖い。まむしやら熊もでるから注意が必要だ。婆ちゃんの体を良くするためだ、ひと踏ん張りしようと深志は運動靴ではなくて迷ったが草履を履いた。


 ここで深志が学校に履いていく運動靴を選んで履いていたら難は逃れたかも知れない。しかしこれも深志の運命なのだ。


 深志は山を登る。

 深志の家も山の麓にあるのだが、さらに上だ。

 持ってきた薬草を入れるための布袋は邪魔にならないように肩にかけて、移動していた。


 深志当人からすれば、案外必死だった。脚を交互に動かし山の急な斜面を上がっていた。

 深志の母親が言っていた薬草を取りに行くのは、二度目なので、順路は覚えていた。天候も悪くないので、いずれ目的地に着くだろう。深志は途中で滝つぼのある場所を通過した。大きくはないが、ここには何がいるのだろうと思う。


「これで良しと」

 深志は地面に生えていた草を束にして肩にかけた袋にいれた。


 その帰り道、深志は脚の指の先に痛みを感じた。


 どうやら蛇に噛まれたらしい。深志が気づいた時は蛇は茂みの中に消えようとしているところだった。何の対処方を知らない深志にはまた家に戻り母に傷をみてもらうしかなかった。だから靴を履けば良かったのだ。


 今度は斜面を下るわけだが、蛇に噛まれた傷口が腫れているようで、痛みが増してきた。体からは汗が流れ、体が発熱するのを感じた。あと五分もするまえに 深志はその場に倒れた。意識を失う瞬間、深志は人の気配を感じた。



 ◆



 部屋の中は、異臭がした。


 物凄く、古い作りの部屋で深志は横になっていた。脚の蛇に噛まれた傷口には包帯が巻かれていた。誰かが手当てをしてくれた?と深志は思った。


 そうこうすると、背丈の低い男が現れた。


「山のもんにしては不用心だ」


 噂の猿河童である否、妖怪猿河童だ。


 深志は驚いて飛び上がった。逃げなくては、と同時に思う。


「まだ、横になっておれ。別にとって食ったりせん」


 自分で近寄ると食べちまうぞという本人から言われても信用が出来ない深志であったが、意識が朦朧としていて脚の傷口も痛かったので、じっとしていることにした。

 部屋には他に誰もいない。部屋の中央には囲炉裏がおいてあり、とても近代的とは言えない。懐かしい田舎の日本の風景とでも言おうか。アニメ日本昔話の世界がそこにはある。


 暫くして傷口の痛みが和らいだ頃、深志の方から、丁寧にお礼を言い「おいとましました」といって猿河童の住む家を出た。家を出ると山頂あたりなのが、深志にもわかった。ここまでおぶって連れてこられたのだろうか。そうだとすれば見かけによらず、体力があると深志は思った。何にせよ、蛇に噛まれ、一大事を救ってくれたのだから恩ができてしまった。あとはまるっきり悪い人ではないという、以前の薄汚いだけの先入観が深志の頭から消えた。




 ◆




 我が家に着いた深志は、母にお礼を言われた。あれだけのことがあったわりには、気分が良かった。


 月日は経ち、数日後。


「水の気にあたられぬよう、気をつけろよ」

「何それ、母ちゃん」

「私が小さい頃にも猿河童はいてね。山の滝つぼに行った頃、そう言われたのを思いだした。あぁ昔からいたんだねぇ。もう猿河童なんて言ったら失礼になるかい?」

「猿河童で良いんじゃない?わしをそれ以外の名前で呼ぶなだってさ」

「猿河童がそう言ってたのかい?」

「皆からもらった名前は大切にするべきだってさ」

「あら、まあ」


 深志の祖母の容態も良くなり、一緒に御飯を食べられるくらいには回復した。深志が中学に上がる前に深志の家族は山を下りた。同県の平野部に引っ越しをしたのだ。新しい家はまるで妖怪猿河童に守られるように嵐でも洪水でもびくともしなかった。驚いたことに、学校に言って猿河童の話をすれば簡単に人気者になれることが深志には誇りだったのだ。






『水怪 猿河童 』おわり




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