線と色、禁断のハーモニー

舞夢宜人

第1話 再会の春、隠れた約束

第1章:『交差する視線、蘇る記憶』


四月上旬の春風が、希望に満ちた大学のキャンパスを駆け抜けていく。肌を撫でる風はまだ少し冷たいけれど、その中には確かに、新しい季節の息吹と、何かが始まる予感が含まれていた。桜の蕾が膨らみ始め、ごく淡いピンク色が、学舎の風景に彩りを添えている。柊は、今日この日が、自分の人生にとって特別な一日になることを、漠然と予感していた。それは、単なる大学合格発表の日、という以上の、抗しがたい予感だった。


東京郊外に位置する、歴史ある学び舎の合格発表掲示板前は、まるで生き物のように蠢く人波でごった返していた。期待と不安が渦巻くざわめき。合格を確信した者の歓喜の声、その場で親と抱き合って涙する姿。あるいは、番号を見つけられず、肩を落とす後ろ姿。様々な感情が、混然一体となって空間を満たしている。柊は、その喧騒の中心で、人々の間を縫うようにして、自分の受験番号が記された紙の束へと視線を走らせていた。彼の心臓は、まるで初めての原稿提出を待つかのように、ドクドクと高鳴っている。胸の奥には、鉛のような重さが、確かな鼓動となって響いていた。


自分の受験番号を探していると、ふと、隣に立つ、見覚えのある横顔に気づいた。肩まで伸びた艶やかな黒髪のボブカット。すらりとした背筋は、昔から変わらない彼女の代名詞だった。その横顔には、どこか懐かしさが漂い、そして、小学校時代にはなかった、柔らかな大人の女性の美しさが加わっていた。まさか、と柊は息を呑んだ。6年間、会うことのなかった、あの頃の面影。小学校の卒業式の日以来、一度も会うことのなかった、小さくて、いつも彼の後ろをついて回っていた従妹。そして、彼が誰にも言えずに胸に秘めていた、淡く、切ない初恋の相手。鈴だ。


鈴はまだ柊に気づいていない。彼女の丸みを帯びた優しい瞳は、掲示板の文字の羅列を一つ一つ丁寧に追っている。その瞳の奥には、柊と同じような緊張と、そして微かな希望が揺らめいているように見えた。柊は、心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。こんな場所で、こんな形で再会するなんて。彼の掌には、じんわりと汗が滲んでいた。小学校時代よりも、ずっと綺麗になった鈴の姿に、彼は再び、一目惚れしていた。初恋の相手との、あまりにも突然で、あまりにも運命的な再会だった。


第2章:『運命の再会、届く声』


「あった……!」


鈴の声が、人ごみの喧騒を縫って柊の耳に届いた。その声には、安堵と、抑えきれない喜びが、春の陽光のように滲み渡っていた。柊も慌てて視線を動かすと、確かにそこにあった。教育学部の合格者番号の欄に、自分の番号――『S3015』と、そのすぐ隣に鈴の番号――『S3016』が、まるで運命に導かれたかのように並んでいる。二人は、歓喜の声を上げることも忘れ、ただ互いの番号を、そして互いの顔を、信じられないというように見つめ合った。


鈴の瞳が、まるで春の光を吸い込んだ宝石のようにキラキラと輝いている。その頬は、喜びと安堵でほんのりと上気し、普段は控えめな彼女の顔に、心からの柔らかな笑みが浮かんでいた。柊の胸に、じんわりと温かいものが広がっていく。それは合格の喜びだけではなかった。この人生の節目となる瞬間を、一番大切だと、いつの間にか心の奥底でそう考えるようになっていた人と分かち合えているという、確かな幸福感だった。


「あなたも合格したの。良かったね」


鈴が、柊に声をかけた。その声に、柊はびくりと反応する。彼の心臓が、大きく、そして熱く跳ね上がった。鈴は、柊の瞳を覗き込むように顔を少しだけ近づけた。その時、彼女の瞳が、一瞬大きく見開かれた。その表情は、驚きと、そして懐かしさに満ちていた。

「もしかして……柊お兄ちゃん?」

鈴の声は、驚きと、そして信じられないという思いが混じり合い、微かに震えていた。


「鈴……!?お、お前……本当に、鈴なのか?」

柊の声もまた、動揺で掠れていた。6年ぶりの再会。小学校の卒業式の日以来、一度も会うことのなかった従妹が、今、目の前にいる。しかも、同じ大学、同じ学部に合格している。これは、偶然なのか。それとも、二人が再び巡り合うための、抗しがたい運命の糸なのか。柊の心臓は、激しく高鳴り続け、体中の血が沸騰するようだった。彼の目の前で、鈴の笑顔が、春の陽光のように輝いている。


第3章:『母の喜び、予期せぬ同居』


大学の喧騒を離れ、二人は大学近くの喫茶店へと移動した。店内の柔らかな照明と、コーヒーの香りが、彼らの高鳴る心を少しだけ落ち着かせる。向かい合って座ると、6年間のブランクが、ぎこちない沈黙を生む。しかし、互いの顔を見ていると、幼い頃の記憶が鮮明に蘇る。あの頃は、男の子と女の子という意識もなく、泥だらけになって公園で遊び回った日々。


「鈴、久しぶりだな。まさか、こんなところで会えるとは」

柊が、精一杯の平静を装って言った。しかし、その声は、内心の動揺を隠しきれていなかった。

「うん……私も、びっくりした。柊お兄ちゃん、全然変わってないね。でも、なんか、大人っぽくなったかな」

鈴は、少し照れたように微笑んだ。その笑顔は、昔の可愛らしさに、大人の女性の繊細な美しさが加わっていた。柊は、再び一目惚れしたことを、深く自覚する。胸の奥に、甘く、切ない感情が広がっていく。


近況を話し合う中で、鈴が親の転勤で東京へ引っ越してきたこと、そして下宿先を探していることを話した。

「そうなんだ……もしよかったら、うちの母さんに相談してみないか?うち、一戸建てだから、部屋がいくつか空いてるんだ」

柊は、衝動的に提案していた。母親のことだから、きっと喜んでくれるだろう。そして何より、鈴が自分のすぐそばにいてくれるなら。


柊が母親に電話をかけると、二人の大学合格に、母親は心から喜びの声を上げた。電話口から聞こえる、弾んだ声。そして、鈴が下宿先を探していることを伝えると、母親は間髪入れずに「ぜひうちに!空き部屋があるから、鈴ちゃん、うちに来なさい!」と、興奮した声で提案した。


「本当に?伯母さん、ありがとう!」

鈴は、心から安堵したように微笑んだ。親の転勤で慣れない土地を転々としてきた彼女にとって、親戚の家に預けられる安心感は、何よりも大きかった。柊も、鈴が自分の家に来てくれることに、高揚感を覚える一方で、従兄妹という関係性、そして初恋の相手がすぐそばにいるという事実に、内心は激しく動揺していた。それは、喜びと、そしてこれから始まるであろう「禁断の恋」への予感だった。


第4章:『引っ越し、触れる予感』


翌日。鈴の引っ越し作業が始まった。段ボールに詰められた荷物が、次々と柊の自宅へと運び込まれる。柊の部屋のすぐ隣の空き部屋が、鈴の新しい部屋となる。母親も手伝ってくれるが、重い段ボールは男手が必要だ。柊は、率先して鈴の引っ越しを手伝った。彼の心臓は、終始、高鳴り続けていた。


「鈴、これ持つよ」

柊が段ボールに手を伸ばすと、鈴も同じように手を伸ばし、二人の指先が触れ合った。奥手な柊は、一瞬びくりと体を硬直させたが、鈴は何も言わず、微かに顔を赤らめただけだった。指先から伝わる鈴の温もりは、柊の心を甘く震わせる。それは、小学校の卒業式以来、彼がずっと求めていた温かさだった。


狭い廊下で、大きな段ボールを二人で運ぶ。柊の広い肩と、鈴の華奢な肩が、微かに触れ合う。そのたびに、柊の心臓は小さく跳ね、掌にはじんわりと汗が滲んだ。しかし、鈴は何も言わない。むしろ、彼の腕に寄り添うように、段ボールを支えている。奥手な二人の、不器用な共同作業。その中で、微かな触れ合いが頻繁に発生し、言葉にならない感情が通じ合っていく。


鈴もまた、柊と荷物を運ぶ中で、何度も体が触れ合うことに気づいていた。彼の広い肩や腕が自分の体に触れるたびに、心がざわつく。彼の指が荷物を持つ自分の指先に触れるたびに、微かな電流が走るような快感。その熱が、肌を通じてじわりと心にまで染み渡るようだった。懐かしさだけではない、特別な感情が、彼の隣にいることで芽生え始めていた。彼の掌に、自分の指をわずかに絡ませてしまう。それは、奥手な彼女なりの、精一杯の「触れていたい」というサインだった。


第5章:『母の眼差し、厳命の夜』


引っ越し作業が一段落し、夕食の準備が始まった。リビングには、二人の大学合格と、鈴が家族の一員として加わったことへの喜びの声が響く。柊の母親は、鈴が来てくれたことを心から喜んでいた。

「鈴ちゃん、まさか柊と同じ大学に受かるなんてね!これでうちも賑やかになるわ!」

母親は、鈴の手を取り、満面の笑みでそう言った。その視線は、優しい伯母のそれだった。


しかし、食卓につくと、母親の表情に、微かな変化が見て取れた。彼女の視線が、柊と鈴に交互に向けられる。その目は、温かいだけではなく、何かを探るような、鋭い光を宿していた。

「二人とも、もう高校生じゃないのよ。もう立派な大人。これから大学で、素敵な出会いもたくさんあるでしょうけど……」

母親は、そこで一旦言葉を区切った。柊の胸に、嫌な予感が走る。背筋に冷たいものが走るような感覚。母親の真剣な表情に、柊は唾を飲み込んだ。

「柊。鈴ちゃんは、預かった大切な親戚の子よ。親御さんからもしっかりと預かっているんだから。だから、くれぐれも、性的な問題を起こしたりしないように。 いいわね?」


母親の言葉は、リビングの空気を一瞬にして凍らせた。柊は思わず息を呑み、顔がカッと熱くなり、ただ俯くことしかできない。鈴もまた、顔を真っ赤に染め、俯いたまま固まっている。食卓には、重い沈黙が降りた。母親は、二人の様子をじっと見つめている。それは、優しさと、そして子供たちの将来を案じる厳格さが入り混じった、鋭い視線だった。二人の間には、重苦しい空気が漂った。


第6章:『秘密の重圧、隣の気配』


夕食後、柊は自室に戻り、ベッドに座り込んだ。母親からの厳命の言葉が、脳裏に響き渡る。壁一枚隔てた隣の部屋に、鈴がいる。初恋の相手であり、6年ぶりに再会した、かけがえのない存在。そんな彼女と、性的な問題を起こすな、と。その言葉は、彼の奥手な心に、さらなる重圧となってのしかかった。


柊の心は、鈴への特別な感情と、母親の期待との間で、激しく葛藤した。隣室という物理的な近さが、逆に、精神的距離の遠さを際立たせる。母親の目が光っているという現実が、奥手な彼に重くのしかかる。もし、自分の感情が抑えきれなくなってしまったら。もし、鈴を傷つけてしまったら。そして、何よりも、母親を失望させてしまったら。そんな不安が、彼の胸を締めつけた。


鈴もまた、新しい部屋で、少し落ち着かない夜を過ごしていた。隣の部屋から微かに聞こえる柊の気配に、心が安らぐが、同時に新しい生活への期待と微かな不安を感じる。柊が母親に何か言われたのではないか、と不安を感じる。母親の厳しい言葉が、鈴の耳にも鮮明に残っている。もし、自分たちが関係を持ったことが知られたら。彼は、母親から厳しく叱責されるだろう。そして、自分も、この温かい場所を失ってしまうかもしれない。胸の奥に、罪悪感が微かに芽生え始めていた。それでも、彼の隣にいたい。その思いが、不安よりも強かった。


第7章:『夜の静寂、交錯する想い』


深夜。柊は、ベッドに横たわり、天井を見つめていた。母親の言葉と、鈴の姿が脳裏を巡る。手を伸ばせば届く隣の部屋に、初恋の相手がいる。その事実に、胸が締め付けられるような切なさを感じる。奥手ゆえに、この感情をどうすればいいのか、答えが見つからない。母親に隠れて、この恋を育んでいくことなど、本当にできるのだろうか。このまま、何事もなく、ただの従兄妹として過ごすべきなのか。しかし、一度芽生えた感情は、そう簡単に消せるものではない。


鈴の部屋からも、物音はしない。彼女も、もう眠っているのだろうか。それとも、自分と同じように、この新しい環境と関係に戸惑っているのだろうか。カーテンの隙間から差し込む月明かりが、部屋の床に、淡い光の筋を描いていた。その光は、まるで二人の秘密を照らすかのようだった。


鈴は、布団にくるまり、隣の部屋の静寂に耳を傾けていた。新しい環境への不安と、柊が隣にいることへの安心感。彼が今日、母親に呼ばれたことが気になっている。彼も自分と同じように、この新しい環境と関係に戸惑っているのだろうか、と想像する。彼の母親の厳しい視線。もし、自分の感情が彼を困らせてしまったら。そんな思いが、鈴の心を支配した。それでも、彼のそばにいたい。彼の声を聞き、彼が書く物語を読み、彼が描く絵を近くで見たい。その思いが、不安よりも強かった。


第8章:『始まりの予感、新たな線と色』


眠りから覚めると、昨夜の感情の波が収まっているのを感じた。母親からの厳命の重圧は感じつつも、鈴との再会、そして同居という運命を受け入れる決意が柊の中で固まる。彼女がそばにいることで、自分の日常が、そして創作が、新たな線と色で彩られることを予感する。この禁断の恋が、彼の中で、新たな物語を生み出すだろう。それは、誰にも見せることのない、二人だけの、秘密の物語だ。


鈴もまた、目覚めると、彼の部屋の隣にいるという事実に、心が温かくなるのを感じていた。不安もあるが、彼がそばにいてくれることに、深い安心感を覚える。これから始まる大学生活と、彼との日々、そして新たな創作活動への期待が胸を満たす。母親の厳しい視線は意識しつつも、彼との間に育まれていくであろう、秘密の絆への甘い予感が、鈴の心を包み込んだ。二人の心の中で、新たなハーモニーが静かに奏でられ始めていた。


新しい大学生活の始まり。奥手な二人が、親の厳命という制約の中で、どのように関係を築いていくのか、その序章が、今、静かに幕を開けようとしていた。二人の物語は、新たな線と色で、ゆっくりと、しかし確実に彩られていく。


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