久しぶりな気がする

 目が覚めた。カーテンの隙間から光が差していた。


 眩しくはなかった。けれど、どこか違和感があった。


 観葉植物はいつも通り元気で、時計の針は正確に時間を刻んでいるはずだった。でも、見た目は同じでも、“何か”が少しだけ違っていた。




 ノートを開くと、また見慣れない文字がいくつか書かれていた。



 どのページにも、自分の筆跡によく似た文字が並んでいたけれど、内容はどこか他人事のようだった。


 その中に、ひとつだけ異質な文字があった。


 「いつまでも続くわけじゃない」


 赤いペン。にじんだインク。慌てて書いたような震えた文字。



 誰が、なんのために——そう問いかけるより先に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。



 何かを思い出しそうになる気配と、それを押しとどめるようなざらついた不安。


 けどそれだけで、記憶にはつながらなかった。


 僕は立ち上がる。足元はしっかりしているはずなのに、どこかふわふわと頼りなかった。



 部屋の中は、昨日と同じ。観葉植物の葉がわずかに揺れている。時計は、遅れることも進むこともなく、黙々と時間を刻んでいる。


 シャワーを浴びて、無理やり朝食を用意する。トーストは少し焦げて、コーヒーは薄すぎた。



 だけど、それが今の僕にはちょうどよかった気もする。



 窓の外を見下ろすと、通学中の学生やスーツ姿の誰かが、他人の時間を歩いているようだった。


 午前中は、本を開いてみた。内容は頭に入らなかった。



 スマートフォンを触る。通知はない。誰とも繋がっていない感じが、逆に安心でもあった。


 昼になっても、食欲はなかった。食べるべき理由が思い浮かばなかった。



 それでも、カップスープだけは温めた。意味のない作業のはずなのに、湯気が立ちのぼるだけでなぜか———。




 午後、少しだけ外に出た。



 風がやわらかくて、空には薄く雲が流れていた。近くの公園のベンチに座り、ぼんやりと人の流れを眺めていた。



 小さな子どもを連れた母親、イヤフォンをした高校生、鳩に餌をやる老人。



 そのどれにも混ざれず、ただひとり、世界の端っこでじっとしているような気がした。


 ふと、カバンの中のノートを取り出してみた。ページをめくると、また別の文字があった。



 今度は青いボールペンで、小さな字だった。


 「——————」


 意味はわからなかった。時計を見ると、針はもう午後四時を過ぎようとしていた。
 太陽が少しずつ傾き、影が長くなっていく。


 身体が、少しだけ重くなる。眠気というよりも、引き寄せられるような感覚。
 視界の端にちらつくノイズのようなものが、じわりと現実を溶かしはじめている気がした。


 「いつまでも続くわけじゃない」


 ノートの赤い文字が、頭の中で響く。
 けれど、その警告めいた言葉にも、もはや抗えなかった。


 まぶたがじんわりと熱を帯びていく。



 世界の輪郭が、柔らかくほどけていく。



 深呼吸をひとつして、僕はベンチの背もたれに身を預けた。


 まどろみの中で、川の音が聞こえた気がした。

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