第一章 第五話「救われた者たち -スピカ②-」

これは記憶だ。

私の中の醜い星に、そっと手を差し伸べてくれた、強くて美しい星の記憶。

私があの日、全てに落胆したあとの出来事だ。



「ここは…夢?」


瞼を開くと、そこはベッドの上ではなかった。

地面の草原には乾いた感触があり、青臭さを含んだ土の香りがした。

夢にしてはどこか現実味があって、現実というには幻想的すぎる空間。

夢だけど違う。ただの夢じゃない。

見覚えのあるその場所に、既視感を覚えた。

間違いない。

これは、迷い夢だ。


けれど、夢術の書を開いた記憶もなければ、支度を済ませた記憶もない。迷い人だって見当たらない。

眠る前に、何をやっていたんだっけ?

何も、思い出せない…。


「とにかく、はやくここから出ないと…」


不意に何かに勘づき、天を見上げる。無数の星が瞬く夜空が、空一面を覆う絨毯のようにスピカの四方を取り囲んでいた。

まさに絶景というものだった。

けれど、その星を見るだけで、手足が麻痺したように動かない。

何故だろう。

美しい景色のはずなのに、とてもそうは思えなかった。

東のあの星も、北西の星も。あれも、それも、どれもが、まるでスピカ自身を監視するかのように鋭く光を放つ。


途端、人の声が木霊こだまし始める。

鋭い閃光がスピカの顔を覗き込む。目を合わせるのも恐ろしいほどの気迫が一瞬のうちに次々とスピカの心に入り込む。


「私とお前の二人でなければ誰に務まるのだ。責任と誇りを持て、スピカ」


お父さんの声。

お父さんを一人にはできない。お母さんを失ったばかりなのに。

でも、苦しい。私には無理だよ。もう、変わりたくない。やりたくない。できない。怖い。


お願い。私も見ないから、どうか私を見ないで。


『あのねスピカ、私好きな人ができたの』

この声…あの子だ。

『スピカ、スピカか…いい名前!うん、これからたくさん呼ぶよ』

これは…私の二人目の友達。


「いっっ…」

甲高いノイズが走る。耳に電流が流れるように痛くなり、咄嗟に手でおさえる。


『ねえ、聞いてる?』

ハッと我にかえり、音を探る。今度は、聞きたくないことばかりが響いた。


『スピカを見ると、嫌なことばかり浮かんでくるの』

『今度の休み、空いてる?話したいことがあるんだ…』

『ごめん、スピカとはもう、一緒にいられないの』

『どうして俺を避けるの?…なにか、悪いことした?』


「やめて!」

違う、違う違う違う。違うよ。みんな何も悪くないんだ。ごめんね。ごめんね。私がいなければこんなことにはならなかったね。私が最初から友達を欲しがってさえいなければ、失うこともなかった。

最初から判断を見誤っていた。


私さえいなくなれば–––––。


もう全てを諦めようとしたスピカの瞳に、光は存在していなかった。あるのは金色の深海だけ。

もう、終わりにしよう。そう思ったときだった。


「そんな悲しいこと、口にしちゃだめだよ」


暖かな光と温もりが、スピカの体を包み込む。誰だろう。温かい。人に抱きしめられるのは、いつぶりだろう。


「お母…さん?」

思わず声が溢れた。お母さんはもうここにはいないのに。

スピカはゆっくりと瞼を開く。

霞む視界の焦点を合わせると、そこにはお母さんではない、神秘的な女性が座っていた。

シルクのように艶やかな金色の髪。碧く吸い込まれそうな瞳。


この人が誰なのか、自分と父親以外にも夢救導士がいるのか。

本来であれば着眼点はそこのはずだった。

けれど当時のスピカにはそれすらも考えられないほど、心と脳内を占めている要因が多すぎたために、すぐに聞き出すことができなかった。


女性は器用に施術を始めた。

するすると気持ちが解けていって、楽になっていくのを感じる。


そうか。私は、迷い人になってたんだ。迷い人はみんな、こんなふうに苦しみ、助けられていたのか。


「気分はどう?」


女性は優しい眼差しで声をかけてくれた。


「ありがとう…えっと、お姉さん」


「いいのよ、誰でも苦しくて苦しくて、逃げ出したくてたまらないときはあるもの」


「お姉さんはあったの?そういうとき。」


少し考える顔をした女性は、施術をしながら話を続ける。


「うんうん、何度もあったわ。辛いこと、逃げたいこと、責任とかね。」

「だからね、そういうときはちゃんと自分の心と会話するのよ」


「会話って自分と?どうやって?」


スピカが問うと、女性は満面の笑みで人差し指を立ててこう言った。


「“今の自分が好き?”“一番大切なものは何?”って、自分に聞いてあげるのよ」


わたしは…。


「あっ」

スピカは少し考えてみたが、女性が上体を正したので、そのうちに施術が終わっていたことに気づいて我にかえった。


「さあて、終わり。気分はどう?」

掌をパンっと合わせてこちらを伺っている。


「あっはい!楽になりました、でも…」

言いかけたところでスピカの口に女性の人差し指が重なる。


「ねえ、まだ十二歳でしょう?まだ始まってすらいない。これからが面白いんだから。知ってる?小学校中学校なんて小さな世界とは比べ物にならないほど、世界は広いの。人の数だけ正義も夢もある。」


女性はスピカから指を離して、よいしょと立ち上がる。


「言葉はね、言霊とも呼ばれてるくらい、恐ろしい力を持ってる。寂しい言葉は自分自身をもっと寂しくするよ。君が一番わかってるはず。」


「だから自分にだけは、優しい言葉で味方になってあげてほしい。これは約束」


またしゃがみこんだ女性から、小指が向けられる。恐る恐る自分の小指を絡める。


「ゆーびきーりげーんまーんうそついたーらはーりせんぼんのーますっゆびきったっ!それじゃあ、元気でね」


最後まで笑顔のまま扉の向こうに消えていった女性を、ただじっと見つめ、不思議に思う。

どうしてあの人はこんなに元気なのだろう。

代償の克服なんて存在するのだろうか。


 起床するとすぐにノートに記録した。絶対に忘れてはいけない記憶。運がいいのか。何故か思い出すことができた。

次の日もその次の日も、考えに考えた。


あの人はだれ?お父さんなら知ってる?でも名前を知らないから聞けないし…。


学校の帰り道。友達はもういない。一人で街頭を歩いて帰宅していた信号待ちの最中、不意に流れた音楽に反応し、顔を上げた。

いつしかそこの場所に設置されたデジタルサイネージに、見覚えのある姿が映った。


「あ…!あの人!」


思わず声を出してしまい、恥ずかしながら青に変わった信号を確認し、横断歩道を渡り切る。その先にあるデジタルサイネージをもう一度凝視した。


やっぱり、あの人によく似ている。名前、名前は…。

「橘ゆり…アイドル、グループ…『レアリゼ☆ステラ』」


ええと、アイドル?一般人なの?どうみてもあの人に似てる…。気のせいかなあ。

確かめたかった。けれど、お金も何もかも自由が制限されたスピカにとって、一度でも会える手段は無いに等しかった。


帰宅後、父に画像を見せて、彼女を知っているかどうか確認をしたが、知らないの一言で片付けられてしまった。


でも、私は忘れない。

あの人に会いたい。会って夢のこと、代償のこと、夢救導士のこと。色々なことを聞きたい。

そして、恩返しがしたい。


それ以来、スピカの心の奥には、橘ゆりという小さな星が、いつまでも優しく輝き続けていた。


















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