第一章 第三話「救われた者たち-天野朔-」

 確かめねばならない。

彼女とあの人が本当に同一人物なのか、僕を覚えているのか、いったい何者なのか。

僕は、確かめねばならない。


 天野朔あまのさく十六歳。

昔見た夢の記憶。これはずいぶん古い記憶だ。たとえ彼女が覚えていなくとも、知り合っていないはずの僕らが夢で出会っているというのはどう考えても不可解だ。くそ…知りたくてたまらない。この謎が解けなければ、僕は他の燕の群れに遅れをとった、季節はずれの燕の子のように羽を上手く操ることさえできなくなってしまう。

どうしたら上手く話しかけることができるのだろう。


いくつか案を思い浮かべてみる。


「やあ、君は二組の望月さんだよね、僕ら、どこかであったことはないかい?」


違う違う、シチュエーションが大事なんだ。だから…えっと…。


「お昼ご飯いつも屋上で食べているんだね、いいな、僕も一緒にいい?」


だ、だめだ…。あまりにもキモすぎる。

仕切り直しだ…もう一度考えよう!


キーンコーンカーンコーーン。


あ。


考え込んでいるうちに、四限目のチャイムが鳴ってしまった。

ま、まずい。まだ何も考えついていないのに…。


僕は肩を落とし、机に突っ伏した。

行くのはやめるべきか?

でも…。

考え込んでたって仕方ないか。

今やらないで、いつやるんだ!


思い立って椅子から勢いよく立ち上がる。椅子がガタンと音を立てる。

周囲のクラスメイトが一瞬、こちらを驚いた目で見るのがわかった。

僕はその視線から逃げるように教室を飛び出した。

朔は教室を後にし、二組の方向へ足を進めた。


向かうのは二組。おそらく彼女は、いつものように屋上へ向かっているはずだ。


……それを、狙う。


我ながら考えが危ない奴すぎるとは思うが、これは致し方ないことなのだ。どうかスピカさんのお父様お母様、お許しください。


そのとき、教室から妖精の如く現れる人影を捉えた。いた!行動開始だ!

けれど、足がすくんで、なかなか踏み込みが効かない。

動け。何を…躊躇…しているんだ!この体は!

勇気を出すんだ!はじめてしまえば、そのあとはどうにでもなる!


「あ、あの!」


……初々しすぎて、自分でも笑ってしまいそうになるくらいの第一声だった。

そのあとの会話は、正直あまり覚えていない。


戸惑って敬語になるスピカさんと、

空気を読んで間に入ってくれたフレンドリーな真希さん。

そして、こちらを見つめていたあの宝石のようなスピカさん––––いや、スピカ様の瞳。


「か、可愛かったなあ…」


放課後、家に帰って布団に入っても、その場面しか頭に浮かばなかった。


よく思い返してみれば、聞きたいことは最低限聞けたし、

何より真希さんから「またお話ししようね」とお礼までいただいた。


……あれが、今日の僕が救われた唯一の瞬間だった。


「優しかったなあ……」


話題に出せたのは、夢の話だけ。

もし彼女に心当たりがなければ、僕はただの変なやつだ。突然現れた変態お花畑野郎だ。だが、ほんの少しでも覚えている素振りがあれば……これは––––秘密の共有になるんじゃ……?


髪の色も瞳の色も、夢で見た彼女とは全然違う。

それでも、似ていた。どうしようもなく、似ていた。


あの瞳の奥には、何が隠されているんだろう。

僕は、ずっと探している。

やっと––––十年越しの答えに辿り着けるのかもしれない。


ふと、彼女の声を思い出す。


「ごめんなさい……どこでお会いしたのか……」


自信のなさそうな、か細く優しい声だった。


あの頃、夢で出会った少女の姿と、目の前にいた彼女の姿。

どうしても重ねきれなくて––––。


僕は確信の持てないまま、曖昧な夢の中へ、静かに落ちていった。







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