第12話 隠された扉の向こうへ
古民家カフェでの穏やかな時間は、予期せぬ問いかけによって一変した。
会計を済ませ、レシートを受け取ろうとした時、さららはふと、女性店員が自分の目をじっとまっすぐに見つめていることに気がついた。まるで何かを訝しむかのような、異様な視線に、さららの表情には困惑の色が浮かぶ。
「あの……」
さららが沈黙に耐えかねて言葉を発しようとした、その瞬間、女性店員は柔らかな声で問いかけた。
「あなた、もしかして、魔法使い?」
さららの瞳が驚きに見開かれた。女性店員は、その反応を見て、確信したように微笑んだ。
「少しこの奥で話さない?」
そして、二人にカフェの奥へと視線を促す。そこには、シンプルな木製の扉が、まるでそこにずっと昔から存在していたかのように、静かに佇んでいた。その扉の向こうに、このカフェの、もう一つの顔が隠されているのだと、予感させるかのように。
女性店員に案内され、カフェの奥の扉を開くと、一歩足を踏み入れた瞬間、空気そのものが変わるような感覚に襲われた。
そこは、カフェの明るく穏やかな雰囲気とは全く異なる、薄暗く神秘的な空間だった。
壁際には、見たこともない奇妙な形をした瓶や、不思議な文様の描かれた道具、生命力に満ちた珍しい植物などが所狭しと並べられている。
さららも奏雨も、見たことのない品々に目を奪われた。異空間に迷い込んだような感覚なのに、不思議と警戒をする気にはなれなかった。
そんな二人の視線の先に、奥の部屋から男性が姿を見せた。生まれたばかりであろう小さな赤ん坊を抱き上げていて、カフェの奥が自宅と兼用になっていることが自然と伝わってくる。
「おや?ミモリ、新しいお客さんかい?」
男性の声は、朗らかで明るい。女性店員――ミモリは、男性の問いかけに「そうよ。魔法使い。」と簡潔に答えた。そして、さららと奏雨に顔を向け、少しばかり気まずそうに自己紹介を始める。
「急にこちらに連れてきてごめんなさいね。私はミモリ。こっちは旦那と、私の子供。」
「おっと、自己紹介もせずに連れてきちゃったのかい? それじゃあミモリ、まるっきり不審者じゃないか!」
男性は、茶目っ気たっぷりにミモリをからかうように言うと、ミモリは「だから今自己紹介したじゃない。」と、少しだけ頬を膨らませた。
「まあまあ。お客さん、どうぞごゆっくり。」
男性はそう言って、さららに向かって片目を閉じ、いたずらっぽくウィンクをして部屋を出ていった。
男性の言葉が理解できなかった奏雨は、きょとんとした表情でミモリとさららを交互に見つめている。その様子に気づいたさららは、奏雨の肩をそっと叩き、彼に視線を向けた。意図を察した奏雨は、慌てて自身の連絡用端末を取り出し、先ほどカフェで使用した音声テキスト化アプリを起動させる。画面の準備が整うと、さららはゆっくりと話しかけた。
「この人はミモリさん。さっきのは、ミモリさんの旦那さんと、二人の子供さんだよ。」
さららの言葉が端末の画面に文字として表示され、奏雨はそれを読み取ってようやく状況を理解した。
その様子を見ていたミモリは、小さく息を吐くと、申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい。カフェであなたたちを見て、気がついていたのに……。」
奏雨は首をゆっくりと横に振り、問題ないことを伝えた。
ミモリはソファへ促すように手のひらを向けた。二人は素直に指示に従い、ふかふかとした座面に身を沈める。ミモリは二人の正面に座り、あらためて向き合った。奏雨は起動させたままの端末をテーブルの上に置く。
ミモリは仕切り直すように、パンと手を一度叩いた。
「さあ、本題に戻りましょうか!」
彼女は、改めてさららの目をまっすぐに見つめ、ゆっくりと、しかし確かな言葉を紡ぐ。口元がはっきりと動き、その表情は真剣だった。
「あなた、魔法使えるでしょ?……私もなの。」
さららの呼吸が止まる。言葉にならない驚きが瞳いっぱいに広がり、隣の奏雨もまた、その言葉に目を見開いていた。互いの顔を見合わせ、信じられない、といった表情を浮かべる二人。
ミモリは、そんな二人の反応を静かに見つめ、ゆっくりと続けた。
「この店、表向きはカフェだけど、本当は代々魔法使いをサポートする魔法道具を作っている工房なのよ。」
奏雨は、ミモリの淀みない口元と表情から、そしてさららの驚きに満ちた、しかしどこか納得したような表情から、その真実を理解した。
ミモリはさらに言葉を続けた。
「普段は、お得意さんか紹介されて訪れてきた人にしか相手にしていなくって、こちらから声をかけることはしないのだけど……。」
そう言って、ミモリはさららを診断するかのように目を細め、じっと見つめた。その視線は鋭く、さららの内側を見透かそうとしているかのようだ。
「魔法を使うようになったのは、最近なのかな?」
さららは小さく頷いた。ミモリは頷き返すと、心配そうに問いかける。
「それにしては力が大きくて大変なようね。魔法を使った後、倒れちゃったりしない?」
「その通りです。この前も……」
さららは、思わずといった様子で、廊下の迷宮で起こった出来事を話し始めた。ミモリは親身になって、その話に耳を傾ける。途中で奏雨が不安そうにさららを見つめると、ミモリは優しい眼差しを向けて「大丈夫よ」と小さく首を振った。
話をすべて聞き終えたミモリは、「それは、大変だったわね。」と心底からねぎらうように言ってから、おもむろに立ち上がった。そして、壁際に並べられたネックレスや指輪がディスプレイされているショーケースの中から、一つのブレスレットを手に取ると、再び奏雨とさららの前に座った。
ミモリが取り出してきたブレスレットが、テーブルの上に置かれる。
そのブレスレットは、細い銀の鎖に、透明感の高い丸みを帯びた石が等間隔に連なり、それぞれの石の内部には、まるで小さな銀河を閉じ込めたかのように、繊細な白い輝きが揺らめいている。光に照らされると、その輝きはさらに増し、静かで優しいオーラを放っていた。決して派手ではないが、見ていると心が安らぐような、不思議な魅力を持つブレスレットだった。
ミモリは「これをつければ、多少は力を扱いやすくなると思うわ」と優しく言いながら、そのブレスレットをさららの右手首につけてくれた。
その瞬間、ブレスレットからブワッと星が瞬くような光が放たれ、さららの全身を優しく包み込む。光はすぐに落ち着いたが、奏雨の耳には、先ほどよりもさらに淀みのない、鮮明で穏やかな「零れ星の音」が届いた。その劇的な変化に、ミモリは目を見張ると、驚きに満ちた表情で小さく息を呑んだ。
光が完全に落ち着くと、ミモリはにっこりと、心底から嬉しそうに笑った。
「相性も良いみたいね。」
さららは、驚きと同時に胸に広がる安堵を感じながら、おずおずと尋ねた。
「これ、おいくらですか?」
すると、ミモリはふっと笑みを消し、静かに肘をついて腕を組んだ。まるで何かを深く考え込んでいるかのような、しかしどこかからかうような、独特の雰囲気を纏う。その声のトーンをぐっと下げて、ミモリは言った。
「うちの店、未成年は全員、出世払いなの。」
その言葉に、さららと奏雨は思わず顔を見合わせ、ムンクの叫びのように青ざめた。予想だにしなかった返答に、二人の間に凍り付くような空気が流れる。
次の瞬間、ミモリはたまらず大笑いした。からかうような、しかしどこか温かいその笑い声に、二人は呆気にとられる。
「嘘よ。これは私からのプレゼント。不必要になるまで、きっと力になってくれると思うから、それまで大切にしてね。」
ミモリからブレスレットを受け取ったさららと奏雨は、深く頭を下げた。言葉にならない感謝を込めて。二人はカフェを後にし、夕暮れの色に染まり始めた道を並んで歩き始めた。手首に輝くブレスレットが、まだ少しだけ現実離れした出来事だったことを物語っている。
そんな二人の後ろ姿が角を曲がるまで、ミモリは店の入り口でじっと見守っていた。そして、その姿が見えなくなると、彼女はゆっくりとスマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
その頃、街のどこか。
旭の連絡用端末から、穏やかな着信音が響いた。彼は律と並んで歩いていたが、気にする様子もなく画面上の応答ボタンをタップし、電話に出る。
「もしもし〜?やっぱり俺の仕業って分かっちゃった?」
旭は、まるで子どもがいたずらを見破られた時のように、どこか楽しげに、電話越しの相手に問いかけた。すると、受話器からわずかに怒鳴るような声が漏れ聞こえてくる。
「ごめんって……でも、ちゃんとやってくれたんだろ?サンキューな。」
旭は口元に静かな笑みを浮かべ、そのままどこか掴みどころのない雰囲気で、相槌を打ちながらフランクに会話を続けている。
そんな旭の様子を、隣を歩く律は、少し不満げな表情で見つめていた。まるで、自分以外の誰かと親しくしている彼を、独り占めしたいかのように、その視線は旭に注がれる。
短い会話を終えた旭に、律はむくれたように尋ねた。
「誰から?大丈夫?」
「ん?ああ、元カノから。」
旭はあっけらかんと答える。その言葉に、律の顔色は一瞬にして青ざめ、まるでムンクの叫びのような表情になった。
次の瞬間、旭はたまらず大笑いした。律は「俺と一緒なのに最低」と、憤慨し、プイと顔を背けて早足で先を歩き出す。
旭は少し駆け足で律に追いつくと、彼の頭を軽く叩きながら、いつものように穏やかな声で語りかけた。
「元カノはもう結婚して子どももいるよ。それに、もう終わったこと。俺は今もこれからも、律が大事だよ。」
その真摯な気持ちが込められた言葉に、律はわずかに頬を緩めた。だが、照れ隠しのように旭の脛を静かに蹴ると、少しだけ先を歩き始めた。
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