後日談②
◆
エトがステライトでの内容を文章として音読し、それをソルがパソコンに打ち込む。そんな作業を始めて三時間が経過した。デカいくせにちまちまと横槍を入れてくる男のせいで随分と時間がかかってしまった。
ようやくデータを谷亀さんのパソコンに送り終え、エトは椅子の背凭れに力なく倒れこんだ。
「お疲れ」
白洲がプルタブを開けた缶コーヒーをエトの手に握らせた。
「ああ、ありがとう……」
じんわりと温かいそれを一口飲み込む。
エトは普段ブラックコーヒーしか飲まないが、ほんのりミルクの味がした。おそらく白洲の趣味だろう。
「今回の件、正直俺はうまくいくと思ってなかった」
白洲がエトのデスクに腰かけながら、呟くように言った。
「お前がステライトをアンドロイドに使うって言いだしたときは、ついに異常がでたのかと思ったよ。――まあ、お前は元々変な奴だがな」
白洲の言葉にエトがふっと笑う。
「俺は画面越しだが、お前と一緒にあの世界を見ていると……たまに何が“正しい”のか、分からなくなる。警察官なのに情けないけど、何一つ本当のことなんて見えてないんじゃないかって、思わされるよ」
「……どうしたんですか、今日はやけにしおらしくて、気持ち悪いですよ」
辛辣な一言に白洲は「お前なぁ」と声音に怒りを滲ませた。
「それに、正しさなんて意味はありませんよ。人の数だけ存在するものですし……そういう意味では、何一つないともいえます」
「難しいことはよくわからん」
「……まあ、簡単にいうと、白洲さんはそのままでいいってことです」
「そりゃどうも」
照れているのか、白洲の態度は素っ気ない。それでもエトはふふっと楽しそうに笑った。
「エト……お前は、あのアンドロイドに殺意があったって思ってるんだろ」
「まあね。でも証拠がないから、認めざるを得ません」
白洲は真剣な表情でエトを見た。
「本当にそうなのか?」
「何が?」
「お前は、何か心当たりあるんじゃないのか?……アンドロイドが殺人を犯す方法について」
「そんなものないよ。そうじゃなかったら世界はとっくにディストピア状態になってもおかしくないでしょ」
「でも――」
「アンさんは、機械は人を愛せないと言った」
エトの手に握られた缶コーヒーが形を変えていることに、白洲はそこでようやく気がついた。
「名前を与えられ、かけがえのない時間をあの屋敷でアンさんは過ごした……。きっと、人でさえ得るのが難しい大切な時間を、あんな形で失った」
エトは屋敷で見た、アンの姿を思い出した。
凄惨な事件現場を見つめるあの瞳を思い出した時、自分が求めていたのは“真実”ではなかったことに気づいた。
エトは彼女の殺意を証明したかったんじゃない。和敏への愛を証明しようとしていたのだ。
そして、二人の間にあった温かな心の繋がり――それを奪った犯人を、エト自身も許せないと思ってしまった。
「僕には機械のことはよくわかりません。人の気持ちだって全てを理解できるとは到底思えません。……それでも、ステライトで話せるほど、彼女の
「エト……」
「それだけの想いがあるなら――もしかしたら、彼女は自分のセーフティー機能を上書きすることだって、できたかもしれない」
その言葉に白洲は目を見開いた。
「そんなっ、それがもし本当だったら大ごとだぞ!?」
「……わかってます」
「わかってないだろ! 世の中にアンドロイドが一体どれだけいると思ってんだ!」
「でも証明はできない、ログも残ってない。だから僕に泣きついてきたんでしょ? あの男を起訴するのは最初から決まってた。だから彼女から証言を聞き出せって……そうじゃありませんか?」
「それは!」
つい大きな声が出てしまい、白洲はソルの方に振り返った。心配そうにエトを見つめるだけで、怯えた様子はない。
ほっと胸を撫で下ろすのと同時に、白洲は大きく息を吐き出した。
「なんで彼女にそれを問い詰めなかったんだ。そうすればもう少し、何かを引き出せたかもしれないだろ」
「そうかもしれません」
顔を俯かせ、エトは「でも」と続けた。
「アンさんは自分をアンドロイドだと認めたんです。和敏さんへの想いも、大切なものを奪った犯人への殺意も全て捨てて、自分はただの機械だと言ったんです」
その覚悟が、どれほどのものだったかはわからない。ただ、犯人を許すことがアンにはできなかったのだろう。だからアンは、嘘を吐いた。エトはそう考えていた。
「白洲さん」
「なんだよ」
「この事、谷亀さんに報告しますか?」
虚空を見つめる瞳が小さく揺れる。
白洲は少し悩んでから「いや」っと首を振った。
「証拠がないんじゃ、こんなこと話しても、まともに取り合ってもらえないだろ」
「……ありがとうございます」
アンに代わって、エトは頭を下げた。
「でももし、次も同じようなことがあったら黙ってはおけない。わかったな」
「はい」
「俺はそろそろ帰るぞ。お前も考え事はほどほどにして、飯食って寝ろよ」
エトの手でベコベコになった缶コーヒーを取り上げて、白洲が立ち上がる。
「白洲さん」
「ん?」
「僕、警察のことはそんなに好きじゃないですけど、白洲さんのことは気に入ってますよ」
そう言ってエトは微笑んだ。
「……黙って寝ろ、アホ」
小さく捨て台詞を吐いて、白洲は部屋を出た。
シンと、部屋の中が途端に静かになる。
「ソル、手を貸してもらえる?」
「は、はい」
ソルの小さな手に引かれ、デスクチェアからソファーに場所を移した。ゴロンと寝転がるエトの傍にソルが遠慮がちに座りこむ。
白洲にはああ言われたが、エトはどうしてもアンのことを考えずにはいられなかった。
エトが黙り込んだままでいると、ソルの囀るような声が部屋に響いた。
「エト様……」
「ん、どうした?」
あのね、えっとね、と言葉に迷いながら、ソルは小さな声で呟いた。
「エト様は……アンさんのこと、悪い人だったって思ってるの?」
ソルが不安そうに、エトの服の裾をぎゅっと握り締めた。
「どうして?」
「だって、アンさんのこと疑ってるって……言ってたから」
白洲との会話がそう聞こえてしまったんだろうか。エトはソルの誤解を解こうと慎重に言葉を選んだ。
「違うよ……違うんだ。アンさんは、とってもいい人だった」
エトがそう言うと、ソルはホッとしたように微笑んだ。
「ソルは、アンさんのこと、どう思った?」
「……わかんない」
「そうだよな」
まだ幼い子供になにを聞いているんだろうと、エトは自嘲的な笑みを浮かべた。
手探りでソルの頭を撫でてやると、ソルは「でもね」と続けた。
「アンさん、ずっと寂しそうだった……。だからね、ソルがエト様と同じように“すてらいと”の中に入れたら、いっぱいいい子いい子してあげるの」
「……そうだな。僕も、そうしてあげられたらよかった」
立場上、誰かに心を傾けることはできない。それでも、とエトは考えた。
ステライトから離れた今くらい、アンの為に何かを願ったっていいんじゃないだろうか。
きっとそんなことをすれば、他の人はエトを責めるだろう。
でもエトは警察官じゃない。犯人の味方でも、被害者の味方でもない。エトはエト自身の為に、アンのことを考えた。
そうして、エトはゆっくり目を閉じた。
光のない真っ暗な視界の先で、二人の眩しい笑顔が見えた気がした。
STL/オーバーライド 終
STL/レコード 東雲 @snnmr
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