後編②

「何か思い出したんですか」


 エトが尋ねると、アンはぎこちなく頷いた。


「私はあの日……和敏さんが殺されたあの日、犯行現場を目撃していました」


 まるで独り言のようにアンは訥々と話しだした。

 

「夜中でした。外はひどい雨で……和敏さんは、あまり寝つけないようでした。ご家族を事故で亡くした日も、雨だったんです。だから、落ち着かせてあげようと、私は一階のキッチンでホットミルクを用意していました」


 轟々と吹きすさぶ風が窓を揺らし、アンが雨戸を閉めようとスイッチに向かった時だった。二階からパリンと何かの割れる音が響いた。ドタドタと騒がしい足音が天井を揺らす。

 何事かと、アンは慌てて二階に駆け出した。そこで目撃した光景は、先程屋敷で見たものと同じだった。

 

「犯人に見られたら壊されてしまう。そう思って私は和敏さんの寝室に身を潜めました」


 数分ほど足音がした後、男は侵入口から逃走したようだった。

 残された和敏の死体と荒らされた部屋を見て、アンは暫くその場に立ち尽くしていた。

 

「それから警察を呼びました。……その後のことは、エトさんの言っていた通りです」

「どうして目撃していたことを隠したんですか? 話していたら、捜査は格段に早くなったはずです。あなたが壊されることもなかったかもしれません」


 エトは険しい表情でアンを問い詰めた。


「分からないです。……ただ、興味があった。和敏さんを殺した人がどんな人間なのか、知らなければいけないと思ったんです」

 

 アンの目はここではない、どこか遠くを見ているようだった。

  

「犯人の顔は、私の脳内メモリにはっきりと焼き付いていました。調べれば、すぐに名前も、場所もわかった。しかも……何度も強盗の前科があるって」


 ぎりっとアンが下唇を噛み締める。

 翌日、犯人の拠点まで足を運んだアンはそこで通報をしようとしたが、犯人が動き出してしまい咄嗟に後をつけた。

 向かった先は地下にある怪しい店だった。恐らく闇取引をしている場所で、奪った金品を現金に換える為だろう。


「犯人は同じような店を転々としていました。二時間か三時間くらいそんなことを繰り返して、嬉しそうに小さなバーに入っていきました」

 

 尾行していたアンもその店に入った。

 中は酒と煙草とカビが混じったようなにおいが立ち込めていた。 店内はガラガラで、アンと犯人の男を除けば二人ほどしか客はいない。閑散としていて、お世辞にも儲かってる店だとは思えなかった。

 アンはぎこちない動作で犯人のいるカウンター席からそう遠くない場所に腰を落ち着かせた。顎髭をたっぷりと蓄えたおじさんが、不愛想に接客してきたので適当にお酒を頼んだ。

 肝心の男は奪った金で酒を浴びるほど飲んでいた。アルコールには強いのか、いくら飲んでも酔えないと愚痴をこぼし、仕舞いには間隔を空けて座っていたアンに絡みついてきた。


「昨日、一山当てちゃってさ。なあ、あんたもちょっとくらい付き合ってくれよ」


 そう言って男は胸ポケットに突っ込まれた、皺くちゃの茶封筒を見せびらかしてきた。

 酒の匂いと下卑た笑い声。アンは男を見るだけで途轍もない吐き気を覚えた。

 心の内に蟠りを抱えながら、アンは男の執拗な誘い文句をのらりくらりと交わしていた。

 だがそれも長くは続かず、ついに痺れを切らした男はアンを強引に店から連れ出した。

 そして向かった先は、今アン達が立っている廃工場だった。


「デートに誘われていたんですよね? なぜこんな場所に?」

「犯人は、私が尾行していることに気づいていたんです」


 廃工場で男はなぜ自分をつけていたのかとアンに問い質した。乱暴に手首を掴まれ、 近くにあった鉄パイプを拾い上げた男にアンは恐怖を覚えた。


「それからの記憶データは曖昧ですが、自分の犯行を目撃された犯人が私を破壊したのは確かです」


 アンの証言に、エトは一拍置いて「そうですか」と呟いた。

 聞いている限り、矛盾はない。アンに犯人を殺す動機があること以外は、彼女を疑う余地はないだろう。

 ――――なのに、どうしてだろう、とエトはこめかみに指をあてた。

 犯人が言っていた、正当防衛だという証言がどうしても間違っているようには思えない。アンには確実に殺意があった。近くで見ていたからこそ、エトは身をもってそう感じていた。

 ただ、これを証明することは難しい。

 いくら殺意があったとしても、現実に起きているのはアンドロイドが破壊されたという事実だ。この事件自体、裁判でもそう大きくは取り上げられないだろう。

 つまり、世間的に見れば“どちらでも良い”ということだ。証明したところであの男は強盗殺人犯で余罪もつく。最悪、死刑宣告をされるだろう。

 ――――なら、どうして僕はこんなに拘っているんだ。アンドロイドが人間を殺そうとしたからなのか、或いは元来の性分なのか。

 エトはぐるぐると考えを巡らせたが、答えを出せないままアンに向き直った。


「アンさん」

「……はい」

「僕は正直、まだ納得しきれていません」


 エトの言葉を受けても、アンは表情一つ変えなかった。「そんな気がしていました」と、ポツリと呟くだけだった。


「状況も証拠も、アンさんに殺意があったことを示すものは何もありません。……でも、気にかかることはいくつかある」


 ピクリと、アンの指先が小さく反応を示す。


「一つ目は、アンさんが警察に犯行現場は目撃していないと証言したこと。二つ目は、アンさんが破壊される数分前に警察へ通報があったことです」


 アンがぐっと両手を握り締めた。


「女性が男性に乱暴をされている、という匿名の通報をうけて現場に向かった警察官が現行犯で逮捕したんです。……でもここは大通りから距離もあって人通りも少ない。おかげで運よく監視カメラもなくて、二人にしか状況がわかりません」

「……それが、何なんですか?」

「つまり、被害者の方が圧倒的有利に証言ができるんです」

「だから私が嘘をついていると?」

「僕は、そう思っています」


 素直に答えると、アンはふっと微かに笑った。


「エトさんも知っていますよね。私達にはセーフティー機能が備わっています。……だからいくら私が人の心を模倣したとしても、決して越えられない一線があるんです」


 アンドロイドには“セーフティー機能”という、一種のストッパーのようなものが存在する。人間に対して害を与えようとするとそれが作動し、全ての機能が停止、初期化されてしまうというものだ。

 介護用アンドロイドだけでなく、流通しているアンドロイド全てにこの機能が備わっている。例外はない。

 エトは反論の余地もなく、大きなため息を吐いた。


「そうなんですよね。破壊されたあなたのログからもセーフティー機能が作動したという痕跡は見つからなかった……」

「なら、どうしてそんなに疑うんですか?」

「わかりません。刑事ではありませんが、僕なりの勘です。……でも、今回は外れちゃったみたいですね」


 力なくエトが笑う。

 アンは俯いたまま、エトを見ようともしなかった。


「最後に、一つ質問してもいいですか?」

「……どうぞ」

「アンドロイドでも、人を愛せると思いますか?」


 アンは一瞬、表情を強張らせた。でもすぐにふっと笑って、首を小さく横に振った。


「そんなこと、あるわけないじゃないですか」

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