『青の帳(とばり)亭 冒険譚』 ——今日も誰かが爆発寸前、それでもだいたいなんとかなる不思議——
渋谷重國
第1話 『汁まみれの運命』
「依頼書の文字が、かすれてるんですけど!?」
石造りのギルドホールの一角。
広げられた地図と酒の染みがついたテーブルを囲み、エルフの少女——リム=テスカが羊皮紙をペチペチと叩いた。
風に揺れるような銀髪に、軽装のハードレザー。
16歳だが見た目はまだ子ども、けれども態度は立派な大人だ。
「それに〝北の森に現れた怪物をなんとかして〟って、ふわっとしすぎでしょ。せめて種類かサイズくらい書いてるやつもって来て?」
「だから、北の森で怪物を倒せばいいってことだろ?」
そう言って豪快に立ち上がったのは、ブラン・ブラッド——人間の戦士だ。
分厚いチェインメイルに包まれたその体は、戦場でも街でもよく目立つ。
「なにが出るのかは、行ってみてからのお楽しみだ!」
「それで前回、アンデッドに囲まれて〝わー!〟ってなって斧振り回したの誰だっけ?」
リムが鋭いツッコミを入れる横で、椅子にあぐらをかいたホビットの男——ティボンが、そっと手を挙げた。
山育ちの盗賊兼料理人、身の丈140cmに満たないが、声は無駄に通る。
「いやー、あれは楽しかったよ? ゾンビに囲まれ、泥まみれになってサバイバル……あれぞ冒険って感じだった!」
「ティボン、楽しいと危ないは違うんだぞ」
ブランがティボンの頭をどんと軽く叩こうとするが、彼はひらりと回避した。ホビットらしい素早さだ。
「でもさ、あの時のクレアの〝塩ふり〟は本当に神がかってた。ゾンビがフライドポテトみたいにカリッと!」
「神の御業です」
静かに答えたのは、清楚な装いの神官——クレア。
人間の女性で、白と青の僧衣をたなびかせ、椅子に背筋を伸ばして座っている。金髪の胸元からちらりと見えた聖印は、知識と秩序の女神ラメリアのものだ。
「ついでにティボン、貴方の舌にも塩をまきましょうか? 多少は引き締まるかと」
「ヒッ……」
ホビットのティボンが口をパクパクと開けたまま石化した。
「はいはい、じゃあもう満場一致で依頼受理ってことだね。早いとこ怪物倒して、夕飯にしちゃおう」
リムがスッと立ち上がる。腰に下げたショートソードの鞘が軽く鳴った。
「そういえば、そろそろパーティ名を決めようと思ってたんだが、〝血まみれブランと愉快な三人〟とかどうよ?」
戦士ブランが笑顔で提案した瞬間、返ってきたのは「却下」「おバカ」「検討の余地なし」という、三者三様の冷たい返答だった。
こうして〝お楽しみ要素〟しかない依頼は、説明もなしにあっさりとギルドで受理された。
パーティが向かった北の森は——思っていたより、ずっと静かだった。
「え、これ本当に〝怪物出没〟の森ですか?」
盗賊兼料理人のティボンが小声で言う。
腰を低くして歩くホビットの姿は、周囲の下草にすっかり溶け込んでいた。後ろから見たら、ただの歩くマントである。
「静かすぎるのも、それはそれで怖いね……」
リム=テスカが眉をひそめる。エルフの耳が、鳥が鳴かない森の静けさを的確に捉えていた。
「……虫の音すら聞こえてこねえ」
ブラン・ブラッドが立ち止まり、斧を肩に担ぎ直す。鎖の
がさり、と音がしたのは、その直後だった。
「……いた。あれ、ゴブリンじゃない?」
リムが木陰で目を細める。
そこには、ちょろちょろと動く影。土けた緑色の肌、よれよれの革鎧、腰にはボロ布を巻いただけの姿。
小柄な人型が、森の中を警戒するように素早く動いている。
「ああ、間違いねぇ、ゴブリンだ」
ブランが斧を握りしめるが、すぐにリムが手で制止した。
「ひとりだけ。しかも動きに目的がある……」
「追うか?」
「うん、あとをつけよう」
パーティは慎重に足音を殺し、ゴブリンの後を追った。やがて木々が開け、苔むした石の階段が現れる。
「……あれ、遺跡?」
クレアが小さく
森の奥、
そして、そこに飛び込んだゴブリンの背後から、別の気配が
まず現れたのは、鉄片を接ぎ足した鎧を身に着けた、大柄な影。
続けざまに、ゴブリンたち数体が、遺跡の暗がりから
「こっちは……ホブゴブリン!?」
リムが息を呑む。ティボンが、背中のナイフにそっと手をかけた。
「なるほどね。依頼文の〝かすれた字〟がまさかホブの部分だったとは……」
次の瞬間、何かがぶん回される音がした。
「って、一人で行くなブラーーーーン!!」
叫んだ時にはもう遅い。
ブラン・ブラッドは、駆けながら一歩前へ、そしてもう一歩。
まるで狩猟本能にスイッチが入ったような勢いで、遺跡の影から姿を現したゴブリンたちに向かって突っ込んでいった。
「血まみれブラン、ただいま参上だコラァァ!!」
いざ、戦闘開始である。
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