第4話 「見つけたよ」――黒薔薇の王子様は、哀しい裏切り者

「……アイツが、この学園にいるのか」


ルキが呟いたその言葉が、ずっと私の頭の中に重くのしかかっていた。次の日から、彼は人が(いや、植物が?)変わったように口数が少なくなり、温室の中にはピリピリと張り詰めた空気が漂っている。いつもなら「不器用だ」「そんなこともわからないのか」と口うるさく指導してくるのに、今はただ、窓の外を険しい顔で見つめているだけ。


(アイツって、一体、誰のことなの……?)


気になって、気になって仕方がない。でも、今のルキには、とてもじゃないけど聞ける雰囲気じゃなかった。彼の纏う空気が、あまりにも冷たくて、鋭くて。まるで、全身が近寄るなと叫んでいる硝子の剣みたいだった。


おかげで、私の『陽だまりの微笑み』育成計画は、完全に停滞してしまった。ルキの的確なアドバイスがもらえないまま、一人で試行錯誤を繰り返すけど、蕾はぷいっとそっぽを向いたまま。私の焦りや不安が伝わっているのか、心なしか、昨日よりも元気がなくなっているようにさえ見える。


(どうしよう……。このままじゃ、課題の提出に間に合わない)


でも、それ以上に、私はルキのことが心配だった。あんな顔、初めて見た。彼の翠色の瞳の奥に宿っていたのは、ただの不機嫌さなんかじゃない。もっと深くて、暗くて、凍てつくような……怒りの光。


一体、誰が、彼をあんな顔にさせるんだろう。


重たい気持ちを抱えたまま、私は学園へと向かった。教室のドアを開けると、いつもよりずっと騒がしい。みんなが興奮した様子で、誰かの席の周りに集まっていた。


「ねえ、本当に王子様みたいじゃない?」

「あの銀色の髪、地毛なのかしら……綺麗……」


そのざわめきの中心で、何かが起こっている。私が不思議に思っていると、始業の鐘が鳴り、先生が教室に入ってきた。


「はい、席に着きなさい。……今日は、皆さんに転校生を紹介します」


先生の言葉に、教室中の視線が一点に集まる。私も、つられるようにそちらを見た。

そこに立っていたのは、一人の男子生徒だった。


息を、呑んだ。

窓から差し込む朝の光を弾く、キラキラとした銀色の髪。雪のように白い肌。そして、その整いすぎた顔立ちは、まるで精巧な彫刻のようだった。制服を完璧に着こなし、その立ち姿には一点の隙もない。でも、彼が放つオーラは、ルキのそれとはまったく違っていた。ルキが『光』なら、彼はまるで『影』。ミステリアスで、どこか近寄りがたい、冷たい空気を纏っている。特に、その切れ長の瞳は、誰のことも映していないみたいに、氷のように冷たかった。


彼の左耳で、小さな黒い薔薇の飾りがついたピアスが、キラリと光を放つ。


「黒崎 荊(くろさき いばら)君です。家の事情で、今日からこのクラスに加わることになりました。皆、仲良くしてあげなさい」

「……黒崎、荊だ。よろしく」


低く、静かな声。でも、その声には感情というものが一切感じられなかった。彼は誰とも視線を合わせず、ただ淡々と自己紹介を終えると、先生に示された席へと歩き出す。それは、偶然にも、私のすぐ後ろの席だった。


彼が私の横を通り過ぎる時、ふわっと、不思議な香りがした。甘いのに、どこかスパイシーで、少しだけ毒を含んだような……夜に咲く花の香り。そして、ぞくりと背筋が震えた。彼のマナが、濃密で、強力で、そしてひどく冷たいことに、肌が粟立つのを感じたからだ。


(な、なんなの、この人……)


ルキとは違う種類の、圧倒的な存在感。綾小路 麗華さんでさえ、彼の前では霞んで見えるほどだった。



その日の学園は、一日中、黒崎荊くんの話題で持ちきりだった。彼がどこの貴族なのか、なぜこの時期に転校してきたのか、みんな興味津々だ。でも、彼は誰に話しかけられても、短く答えるだけで、決して笑おうとはしなかった。その態度が、ますます彼のミステリアスな魅力を際立たせているみたいだった。


昼休み、私は少しでも気分を変えようと、課題の『陽だまりの微笑み』の鉢を抱えて、中庭のベンチに座っていた。


(やっぱり、元気ない……。ごめんね、私のせいで)


しゅん、と項垂れてしまった蕾に、指でそっと触れる。どうしたら、君は笑ってくれるんだろう。そう途方に暮れていた、その時だった。


「……ふん」


頭上から、冷たい声と一緒に、嘲るような鼻息が降ってきた。はっと顔を上げると、そこに黒崎荊くんが立っていた。彼は、私の手の中にある鉢植えを、値踏みするような目で見下ろしている。


「そんな枯れかけの草に、まだ夢を見ているのか」

「な……っ!」


いきなりの、あまりにも失礼な言葉に、私はカッとなった。


「か、枯れかけじゃありません! まだ、これから咲くんです!」

「咲かないな」


彼は、あっさりと、事実を告げるように言った。その瞳には、何の感情も浮かんでいない。


「君のような、弱く、淀んだマナでは、その花を咲かせることなど永遠に不可能だ」

「よ、淀んだマナって……!」


デジャヴ!? このセリフ、どこかの誰かさんにも言われた気がする! でも、ルキの言葉にはどこか(ほんのちょっぴりだけ)愛のあるイジりっぽさがあったけど、この人の言葉は、純度百パーセントの侮辱だ。心が、ちくりと痛む。


「第一、その花は、君のような者に育てられることを望んでいない」


荊くんはそう言うと、すっと綺麗な指先を伸ばし、花の蕾に触れようとした。


「やっ、やめて! 触らないで!」


私は咄嗟に鉢植えを抱きしめて、彼から遠ざかる。すると、彼はつまらなそうに手を引っ込めて、その美しい唇に、冷たい笑みを浮かべた。


「……面白い。ゴミのようなマナしか持たないくせに、抵抗だけは一人前か」


その言葉が、私の胸にぐさりと突き刺さる。悔しくて、何も言い返せない。私が唇を噛み締めていると、そこに、救いの主(?)が現れた。


「あら、黒崎様。ごきげんよう」


やってきたのは、綾小路 麗華さんだった。彼女は、いつも私に見せるような高慢な態度は微塵も見せず、うっとりとした表情で荊くんに微笑みかけている。


「こんな落ちこぼれに構う必要なんてありませんわ。この方、学園でも有名な『咲かせられない令嬢』ですのよ」

「……そうか」


荊くんは私にも麗華さんにも興味を失ったように、ふいと踵を返して行ってしまった。残されたのは、勝ち誇ったような顔の麗華さんと、惨めな気持ちでいっぱいの私だけ。


悔しい。悔しい。悔しい!

私はその場から逃げ出すように、温室へと走った。


「ルキーーーッ!」


温室の扉をバンッ!と開け、私は中にいるであろう主に今日の出来事をぶちまけた。


「すっごい嫌なヤツが来たの! 転校生なんだけど、私のことも、この子のことも、全部馬鹿にして! 『ゴミみたいなマナ』だなんて、ひどいと思わない!?」


一息にまくし立てる私に、ルキは眉一つ動かさずに聞いていた。でも。


「その転校生の名前は、黒崎荊っていうんだけど――」


その名前を口にした瞬間、ルキの纏う空気が、完全に凍りついた。さっきまで窓の外を見ていた彼の顔が、ゆっくりとこちらを向く。その翠色の瞳が、見たこともないほどに、鋭く、細められた。


「……やはり、アイツか」


地を這うような低い声。それは、私が朝に聞いた、彼の独り言と同じだった。


「し、知り合いなの!? ルキ!」


私は、思わず彼の腕に駆け寄って問い詰める。ルキは、私の顔をじっと見つめると、やがて、諦めたように、重い口を開いた。



「……アイツと僕は、同じだ」

「え……?」

「僕たち二人は、同じ『親』から生まれた、幻獣花(プランツドール)なんだ」


衝撃の事実に、私は言葉を失った。あの、黒崎荊くんも、プランツドール? ルキと、同じ……?


「だが、僕とアイツは、光と影。決して相容れない存在だ。僕は『生命』を育む光の属性。対して、アイツ――荊は、『死』を司る、闇と毒の属性を持っている」


ルキは、遠い昔を思い出すように、ゆっくりと語り始めた。その声は、静かだったけど、深い哀しみが滲んでいるように聞こえた。


「僕たちを生み出した魔法園芸師――僕たちの『親』は、偉大な人物だった。だが、親は、荊の持つ強力すぎる闇の力に魅了されてしまった。意のままに植物を枯らし、毒を生み出し、自然の摂理さえも歪めてしまう、禁忌の力に……」


ルキの拳が、ぎゅっと固く握られる。


「親は、道を誤った。荊の力を使い、決して手を出してはならない研究を始めたんだ。僕は、何度も止めようとした。でも、親は僕の言うことなど聞き入れず、荊もまた、親に与えられる歪んだ愛情に、喜んで応えていた」


そして、ルキは一度言葉を切り、私をまっすぐに見た。


「そして、ある日……僕は、二人によって、裏切られた。僕の光の力を恐れた親と荊は、僕の力のほとんどを奪い、この温室の奥深くに、封印したんだ。永遠に目覚めることのないように、と」


「そん、な……」


嘘でしょう?

じゃあ、ルキが何百年も、この冷たいガラスケースの中で一人で眠っていたのは……。


(この人を、こんな風にした張本人が……あの、黒崎荊……)


胸が、ぎゅうっと締め付けられるように痛い。ルキの長い、長い孤独。その始まりにあった、信じていた者からの、あまりにも残酷な裏切り。それを知ってしまったら、もう、彼がたまに見せる不機嫌さや、人間嫌いな態度を、責めることなんてできなかった。


「荊が、なぜ今になってこの学園に来たのか……。目的はおそらく二つ」


ルキは、静かに続けた。


「一つは、まだ僕の中に残っている、この光の力を完全に奪い取ること。そしてもう一つは……この学園そのものを利用して、かつて親がやろうとしていた禁忌の研究を、完成させることだ」


その言葉に、私はぞっとした。事態は、私が思っていたよりも、ずっと深刻で、危険なものだったのだ。


恐怖で、体が震える。でも、それ以上に、私の心の中に、燃えるような、熱い感情が湧き上がってきた。


こんなの、あんまりだ。

やっと目覚めたルキを、また一人で戦わせるなんて、絶対にさせない。


「……私が」


震える唇で、私は言葉を紡ぐ。


「私が、あなたを守る……!」


それは、自分でも驚くくらい、はっきりとした声だった。

落ちこぼれで、マナも弱くて、何の力もない私だけど。でも、この人だけは、私が守りたい。そう、心の底から思った。


私の突然の宣言に、ルキは驚いたように、翠色の瞳を大きく見開いた。そして、次の瞬間、いつもの彼らしく、ふいっと気まずそうに顔をそむける。


「……馬鹿を言うな。お前のような、ミジンコ並みのマナしか持たない人間に、何ができる」


いつもの悪態。でも、その声が、ほんの少しだけ、震えているように聞こえたのは、きっと私の気のせいじゃない。


その、時だった。


ぎぃぃ……。


古びた温室の鉄の扉が、不気味な音を立てて、ゆっくりと開いた。

夕暮れの赤い光を背負って、そこに立っていたのは――黒崎荊。


心臓が、凍りついた。

なぜ、彼がここに。どうして、この場所がわかったの。


荊は、温室の中をゆっくりと見回し、やがて、中央に立つルキの姿を捉えた。そして、その美しい唇に、ぞっとするほど冷酷で、そして歓喜に満ちた笑みを、ふわりと浮かべた。


「――見つけたよ、ルキ」


その声は、甘く、ねっとりと、空間に響き渡る。


「久しぶりだな……僕の、愛しい『光』」


最悪の、タイミング。最悪の、再会。

ルキが、ぴくりと肩を震わせ、荊を睨みつける。その体から、パチパチと翠色のマナが火花のように散った。


考えるより先に、私の体は動いていた。

私は、ルキと荊の間に割って入るように、走り出す。そして、ルキを背中にかばい、小さな体で、精一杯、両腕を広げた。


「させない……!」


震える足で、しっかりと床を踏みしめる。

もう、この人を、一人にはさせない。

私が、絶対に、守ってみせるんだから!

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