第二十話 交錯する炎、誇りの崩壊

 怒気が燃え盛る。


 ルクスの瞳は赤く染まり、全身を覆う紅蓮の魔力が遺構の空間を灼くように照らしていた。


 その怒りの前に立つのは、傲慢の継承者――黒衣の少年と、彼の背後に佇む巨大な魔像。


 その存在は、まるで“神”の具現。

 身を包む魔力は、ひとつの信念によって形作られていた。


「君の怒りは、確かに強い。だが所詮、下位の感情。誇りを持つ者には届かない。」


 少年の声は冷たく響き渡る。


 それに対して、ルクスは吠える。


「だったら、それを“力”でねじ伏せてやる!」


 彼の足元が砕け散る。地を蹴った瞬間、怒りが拳に宿る。


「《赫ノ牙スカーファング》──ッ!」


 放たれた拳は紅蓮の牙。魔像の胸元を直撃し、激しい爆裂を引き起こした。


 だが、魔像はびくともしない。

 攻撃の衝撃をそのまま吸収し、反動で腕を振り上げた。


 ゴオオオッ、と唸りを上げる一撃が迫る。


「カイ、危ないッ!」


 レアの声が響くが、ルクスは怯まなかった。


「《爆炎連撃ブレイズ・ラッシュ》!」


 右腕から左腕へ、交互に繰り出す拳の波。

 怒気が連鎖し、衝撃波と共に魔像を圧し返す。


 その一撃一撃が、ルクスの感情を映し出す。


 ――「お前は足手まといだ」

 ――「どうせ何の役にも立たない」

 ――「死んでくれた方が、都合がいい」


 心に刻まれた元パーティの言葉が、怒りの炎へと変わる。


「俺は……!」


 拳がさらに加速する。


「……お前らのために、生きてるわけじゃねえ!」


 最後の一撃が魔像の肩を砕く。

 爆風が巻き上がり、崩れかけた天井から瓦礫が降り注いだ。


 その中心に、ルクスは立っていた。

 炎のオーラをまとい、なおも前を見据える。


 だが――


「ふふ、なるほど。君の怒りは……本物のようだね。」


 少年の表情に、初めて“感情”の色が差す。


「だがそれでも、傲慢の力は折れない。なぜならそれは、“存在そのものを肯定する力”だからだ。」


 再び魔像が再構築されていく。


 瓦礫と魔力が混じり合い、今度は二対の翼を持つ姿へと変化していた。


「自己を絶対と信じる限り、僕の傲慢は無限に再生する。君の怒りがいくら強くとも、それを“否定”するには至らない!」


「……なるほどな。なら、“怒り”だけじゃ足りないってことか。」


 ルクスは静かに呟いた。


 その言葉に、レアが僅かに目を見開いた。


「カイ……?」


「俺は怒ってる。けど同時に、今の自分を……まだ信じきれてないんだ」


 怒りは燃え盛っている。だがそれは、いまだ“芯”を持っていなかった。


 ただ暴れるだけでは、傲慢に届かない。

 それを否定するには、自らの感情と意思に“誇り”を持つ必要がある。


 ──《怒り》と《誇り》の交錯。


 それが、継承者としての“次なる扉”だった。


 炎と傲慢の魔力が交錯する中、ルクスは静かに拳を下ろした。


「……怒りだけじゃ、足りないんだな」


 赤く光る瞳の奥で、揺れるものがあった。

 それは、怒りの核に隠されていた“己の弱さ”だった。


 ――本当に信じていた。仲間のことを。

 ――裏切られて、殺されかけて。

 ――でもそれでも、まだどこかで、自分を責めていた。


 俺が……役立たずだったから?


 怒りの根底にあったその感情を今、ようやく認めた。


 怒っていたのは、裏切られたことだけじゃない。

 自分を許せなかったから、燃えていた。


 だが――その瞬間。


「それでも、俺は……この力で、前に進む!」


 ルクスの魔力が再び沸騰した。

 今度は、炎が一層純粋に、まっすぐ燃え上がる。


 怒りは、決して後ろを向かない。

 過去に囚われるためではなく、乗り越えるために燃えるものだ。


「《終牙ジ・ファング》──!」


 地を蹴り、空間が揺れる。

 拳に宿したすべての魔力が、渦を巻いて一点に集中する。


「くだらねえ誇りなんて、俺の“覚悟”でぶち壊してやる!」


 紅蓮の牙が魔像を貫いた。


 咆哮と共に、傲慢の像が崩れ落ちる。

 その中枢を支えていた魔力の結晶が砕け、空間に亀裂が走った。


 少年の身体がぐらつく。


「ぐ……っ、ば、馬鹿な……僕の傲慢が……!」


 地に膝をつき、口元を拭ったその手が震えていた。


「フフ……。成程。君の怒りは、ただの暴力じゃない……誇りすら打ち砕く“信念”を帯びていた……!」


 ルクスは少年を見下ろし、ただ一言だけ呟いた。


「……お前の“傲慢”は、お前を守る盾にしかなってなかった。俺は、それを壊すだけだ。」


 少年は、悔しげに歯を噛んだが、やがて視線を逸らして呟いた。


「なら、次に出会うときは……もっと“誇れる自分”であることにしよう。継承者、カイ……。」


 少年の姿が、光に包まれて消えていく。


 ルクスはその光を見送りながら、心の奥にひとつの確信を得ていた。


 怒りは、力であり、誓いだ。

 自分を裏切った者たちへの憎しみだけでなく、自分の“これから”を選ぶための意志。


 それこそが、《原初スキル:憤怒》の真価。


「……行こう、レア。まだ、旅は始まったばかりだ」


 「うん。……でも。」


 「ん?」


 「今のカイ、ちょっと……いや、すっごくカッコよかったから……後で帳消しにならないようにしてね。」


 そう言って、レアは微笑んだ。


 仄かに残る遺構の光が、二人の背を押すように揺れていた。


 そして、その遥か遠く。


 廃都の塔の上、仮面の導師がまた一つの記録を書き留めていた。


「第二の継承者、覚醒。怒りに誇りを重ねた時、炎は真の牙を持つ。──さて、次は“怠惰”か……。」


 彼の仮面の奥に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る