第十三話 揺らぐ境界、交差する二つの意思

 廃坑の奥で触れた魔力の結晶。

 そこから発された“共鳴”の波動は、ルクスの中の《原初スキル:憤怒ラース》と微かに反応し合い、残響のような余波を彼の精神に残していた。


 街へ戻る道すがら、彼の胸中には静かな違和感が渦巻いていた。


 あの声……。

 記録だの、干渉だの……。

 ただのスキルじゃない。

 あれは何か、“上”の存在に近いな。


 単に大罪のスキルを継承しただけではない。

 力の裏には、まだ明かされぬ仕組みと意思がある。


 だが今、問題なのはそこではない。


「……ロカが、この街にいる。」


 情報屋キュロスの報告は確かだった。

 姿は見ていない。

 声も聞いていない。だが“匂い”だけでわかる。


 ロカ……あの時、笑っていたな。

 俺を“殉職扱い”にして、裏切った時。


 ルクスの胸に、小さく、だが濃密な怒気が灯る。

 自動的に《怒気解放ブレイズギア》が作動し、筋肉の奥で熱が跳ねた。


 まだ暴発には至らない。

 だが、彼の内で“感情と魔力の融合”が静かに進行していた。



 その頃、市街区の中央広場では、ちょうど貴族主催の“魔導市”が開かれていた。


 魔導具や古代遺物、冒険者向けの装備などが並び、いつも以上の賑わいを見せている。


 ルクスも、情報を探るためその場に足を運んでいた。


 そして――そこで、“出会う”。


 赤いフードを被り、金糸を織り込んだ上質な装束を身に纏った一人の女。


 ロカだった。


「……!」


 一瞬、周囲の音が遠ざかった。


 正面からではなかった。

 だが、横をすれ違ったその瞬間、視界の端で彼女の“金の瞳”が見えた。


 そして、彼女の方も──


「今の気配……?」


 小声で呟き、僅かに眉を動かした。


 二人とも、一瞬だけ歩を止めた。

 だが、振り返ることはなかった。


 振り返れば、すべてが崩れる。

 そんな確信が、互いの背を押していた。


 まだだ。

 今は、動くときじゃない。


 ルクスは呼吸を整え、人混みに紛れた。


 ロカもまた、背後に漂う“怒りの匂い”に一瞬だけ目を細めた後、静かに笑った。


 やはり、いるのね……。


 微かな《強欲》の波動が、彼女の周囲に伝播する。

 まるで、餌を目前にした捕食者のように。


 そして――それを、遠くから見ていた第三の存在がいた。


 黒い外套を羽織り、気配を完全に消して広場の屋根に佇む人物。


「……二人目、か。」


 その者は、ルクスでもロカでもない。

 だが、確かに“継承者”の気配を纏っていた。


「これで、揃い始めたな。原初の器たちが……」


 風が流れ、姿は霧のように消えた。



 すれ違っただけだった。

 互いに名を呼ばず、視線すら交えなかった。


 だが、確かに“互いの力”は感じ取っていた。


 魔導市を離れたルクスは、路地裏の静けさの中で壁にもたれかかり、深く息を吐いた。


 間違いない……ロカだ。

 姿も、気配も、あの頃のままだ。


 だが、ただの再会ではない。

 彼女の纏う魔力は、あの頃とは比べものにならないほど強大で、どこか“濁って”いた。


 強欲の匂い。


 それは魔力の性質に宿る“異物”のようなもので、感じ取った瞬間に胸の奥で本能が警鐘を鳴らした。


 ――あれは、確実に《原初スキル:強欲》だ。


 ならば……奴も継承者。

 俺と同じ、“選ばれた”ということか。


 反吐が出る。

 誰よりも“他人を利用し、捨てる”ことに長けた女が、力を得たというのなら、それは神の皮を被った悪意に他ならない。


 指が震える。

 拳が自然と握り込まれていた。


 《怒気解放ブレイズギア》の力が、呼吸と連動して暴れ出す。


 怒りが、形を取り始めていた。


「──やめろ。」


 低く、自分に命じるような声が漏れた。


 今、ここで発動すれば――街を、周囲を巻き込む。

 そして何より、彼女に“正体”を悟らせてしまう。


 深く吸い込んだ空気は熱を孕んでいた。

 けれど、ルクスはゆっくりと呼吸を整え、憤怒の魔力を沈めていく。


 自制。

 それこそが、《原初スキル:憤怒》を制する唯一の鍵。


 まだだ……今は、動く時じゃない。

 あいつと戦うのは、“すべてを取り戻す時”まで取っておく。


 拳を開き、そっと空を仰ぐ。



 その頃、街の高台にある旧貴族区。

 ロカは自室で一人、日記のような魔導書に筆を走らせていた。


『第三の継承者の存在を仄かに感じる。まだ顔も、力も不明。ただし、昨日の共鳴の余波は記録済み。』


『ルクスは生きている可能性が高い。“カイ”という偽名は、記録上でも確認。行動範囲が一致。』


『次、接触すれば正体を暴ける。』


 淡々とした筆致に反し、ページの端は微かに焦げていた。


 彼女の《強欲》の魔力は、感情に呼応して干渉対象を焼く性質がある。


 ルクス。

 今度は“私のもの”として手に入れてあげる。


 彼女の視線は、執着に染まっていた。


 裏切りではない。処分でもない。


 欲望が求めたのは、“支配”だ。


 《棘抱く者ソーンベアラー》と呼ばれる者が言った、“黒剣の継承者”という噂にも、既にロカは辿り着いていた。


 全ての原初スキルを掌握すれば、この世界の“運命”に干渉できる。

 それが《強欲》の真価なのだ。


 一方その夜、再び動き出した影があった。


 古びた教会の地下、誰も知らぬ祈祷室にて。


 ひとり、祈る者がいた。

 顔は見えない。声もない。


 ただ、掲げられた七つの石碑に、手をかざしている。


「……憤怒と、強欲、交わったか」


 その声は、誰にも届かない。


「次は――嫉妬、か。あの娘が、鍵を持っているのなら」


 闇が、静かに動き出していた。

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