最後尾

林涼穂

第1話

この街には巨大な行列があった。それは蛇のように街を縦断している。そんな行列にとある1人の男が並んでいた。男が行列に並び始めてから、かなりの時間が経った頃、男はふと後ろにもう一人の男が並んでいたことに気づく。柳色のフィッシングベストに、薄汚れたジーパンを履いた年寄りだ。見るからにくたびれた格好をしている。――もっとも、自分も大して変わらない年寄りなのだが。


「あんちゃん、並んでどれくらいだい?」

笑みの隙間から覗くその爺さんの歯は、うっすらと茶色く染まっていた。タバコとコーヒーの香りが、かすかに鼻をかすめる。

「そうだねえ…もう数えていないがかなり並んだよ。先を見て御覧なさいよ。並んでどれくらいかなんてどうでも良くなるくらいの列ですよ」


男は行列の先頭があるであろう遙か先を指を差した。指差す先、行列の先頭はこの街を抜け、山を1つ越えるとも2つ越えるとも言われている。


「ほぉ…こりゃ凄い。長くご一緒する事になりそうですなぁ」

爺さんは蓄えた髭を撫でつける。


「ところで、爺さんいくつだい?」

男が年齢を聞いたことに意味はなかった。年齢を気にしない性格であったし、年齢は意味を成さないとも考えていた。ただ何となくその場を埋めるために出た質問であった。だが爺さんはまさか年齢を聞かれるとは思っていなかったのか少し驚いた様子だ。


「珍しいお人だな。年齢を聞くなんて」

男は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「申し訳ない。昔の癖でなんとなく…世代が同じなら話も合うかと思いまして」 


爺さんは気にするなという様子で手を振って笑った。


「昔はあえて若めに言って『あらお若い』なんて言われたもんだよ。たまにな、30代にも見えるし50代にも見える人が居たんだがあれは困ったね。若く言ったら言ったでちょっと不機嫌になるんだ。歳を重ねてることを誇りに思っている人も居るからね。ああ…失礼話が逸れた。おれは63歳だ。あんたは?」

「私は55です」


歩道の両端には行列客目当ての露天がズラーっと軒を連ねている。この街では行列がちょっとした観光資源になっているという訳だ。


「兄さんたち、チョコバナナは如何ですか?」


黒いTシャツに白いタオルを頭に巻いた露天商の男から声がかかる。店にはチョコバナナが10本程度並び、すぐ後ろには溶かしたチョコレートと皮の剥かれていないバナナが置いてある。店頭のチョコバナナは、茶色いチョコバナナからピンクのチョコバナナ、青いチョコバナナと男の記憶にあるチョコバナナよりもカラフルであった。その色味に誘われ列を離れ店の前に立つ。


男は少々興味があったが隣の爺さんは「そんなガキ向けのもん食うわけないだろうが。タバコはねぇのかタバコは」と鬱陶しそうに文句を言いっているが着いてきた。


「あ…いや、ウチにタバコないっすねえ。近頃吸ってる人居ないもんで。ただ、あと100Mくらい行くと何でも屋とかいう人が居るんでそいつに頼めば買ってきてくれるかもしれませんよ」


爺さんの無礼な態度にも店主は快く教えてくれた。これだけ行列があれば1人2人くらい逃しても売り上げがあるという余裕だろう。


「100Mも先かい。一体買えるいつになるのやら…」

「しかしタバコも珍しいですね。今生産している会社はあるんでしたっけ?」

男は尋ねる。

「ほとんどねぇな。物好きの社長が細々と作っちゃいるがたいして出回らねぇんだよ」

「そうですか。それでしたらこちらの店主が言う何でも屋とやらにお願いしたらいいんじゃないでしょうか?」

実のところ男は『なんでも屋』というのが気になっていた。

「あー、いやしかしなあ…これを期にやめようかと思ってるんだ。金の無駄だからね。」

残念ながら男の目論見は失敗に終わった。自分で頼めば良いのだが男は万全の準備をしていたので特に欲しいものも無かった。

「まあ、それも良いでしょう。実は私も止めた口なんです。なんだかこう…昔の方が吸いがいがあったんですよ。きっと命を削っている感じが好きだったんでしょうね」

「昔はあれでストレス発散できたんだがな。最近ではめっきりよ。ついものに当たり散らしちまって妻とも別れてよ。これでこの列に並んだ訳だ、それにな─」


大学生のグループが列の近くを通り過ぎた。男は突然抜かされるのではないかという不安に襲われる。『最後尾』だとか『離席中』といった看板を置いておいた方が良かったのだろうか。男はチラチラを後ろを見ている。話し始めてからしばらく経つ。爺さんが話に夢中で店の前を動かない。意を決して列に戻ろうとした矢先再び店主から声がかかる。


「お二人さんやっぱりバナナはどうですかい?バナナはねぇストレス解消にも良いんですよ。何でもビタミンが豊富でそいつがストレスを抑えてくれるんだとか」

「あんたもしつこいなあ。じゃあそうだな…」

爺さんは髭を撫でつけしばし思案する。

「この行列いつからあるんだい?教えてくれたら勝ってやるよ」

店長の顔が待ってましたとばかりに輝いた。恐らく何度も聞かれて手慣れているのだろう。売り上げの見込みが立ったので嬉々として話始めた。

「初めは小さな行列だったんですよ。お二人もご存知の通り今では何でもオンラインで予約できますからね」

「そうだな。見てくれおれのこのスニーカーもな─」

「いや、素晴らしいスニーカーですが、ここは一旦店主の話を聞きましょう」

男は手で軽く爺さんを制す。店主は爺さんが喋る間にに水を飲み、店の裏からパイプ椅子を取り出し座った。

「ああ、よろしいですか。オンラインです。始めは皆さんオンラインで予約していたんでこの行列も無かったんですよ。それがある日突然こんな巨大な行列になったんです。」

男は手で口を覆い考える仕草をした。店長は男が口を開くのを少し待つことにした。

「店長、おれの椅子は無いのか?」

爺さんは店主が座る椅子を指す。この爺さん列に戻れば自分の椅子があるのだが、店長が自分だけ椅子に座っているのが気に食わないようだ。


「ああ、すみません。用意がなくて。よかったらこれ使ってください」


店主は軽く頭を下げて自分のパイプ椅子を爺さんに譲る。男が何も話さないので店長は立ったまま話を続けた。

「理由はシステム障害です。といっても障害そのものよりも事後対応が良くなかった。ある日突然予約システムに不具合があり繋がらなくなったんです。そこまではよくある事です。ただ、数時間後こうアナウンスされました。『いま行列に並んでいる方を優先的に案内させて頂きます』」 

「それは良くないな」

男は腑に落ちた顔をする。

「ええ、そうなんです。ただでさえ予約数年待ちでしたからね。急いで並べば数時間で案内されるとあればたちまち行列になりますよ。システムが復旧したあと行列を排除しようとする動きもあったんですが、既に並んでいる人が反抗してちょっとした騒ぎになりまして、そこにどさくさに紛れて割り込もうとする輩も現れて大変な騒ぎでした。それが何度か繰り返され、そのたびに規模が大きくなり結局行列はそのままにしておいたほうがお互いの為に良いだろうということでこうなったんですよ」

「なるどな」

話を終えた店主は爺さんにどのチョコバナナがいいか聞いた。


「奢りだ」


店主はマイクロチップリーダーを取り出し、爺さんの手首にかざす。すると聞き慣れた決済音が鳴り自動的に支払いが完了した。

「まいどありー」


チョコバナナを2個抱えた爺さんと男は列に戻った。


「便利になったもんだ。当時はこんなもの付けるかと暴れていたんだがね、病院の売店がこれでしか買えねえっつうのよ。じゃあどこで埋め込めれるんだ?と聞いたらウチの病院でやってますだと。ありゃ脅迫だね」


爺さんは普通のチョコバナナとブルーハワイのチョコバナナで少し迷った後、ブルーハワイの方を男に渡した。男は普通のチョコバナナが欲しかったが奢られた手前言うわけにもいかず人工的な青色のバナナに齧りつく。あまり美味しくなかったようで顔をしかめた。30秒ほどで食べ終えた男は手首を太陽にかざしてみる。すると薄っすら1センチ四方の黒い物体が透けて見えた。


「あの頃はまさかこれが義務化されるとは思いませんでした」


爺さんはフン…と不満そうに鼻を鳴らした。1番反発していたのはこの爺さんくらいの世代だ。今から200年くらい前の事だ。まず始めにマイクロチップが義務化された。これは国民を管理するためでもあり、利便性の為でもあった。始めは国民の抵抗も大きく、普及率は上がらなかったが、業を煮やした政府が公的機関を利用する際の必須要項にマイクロチップの埋め込みを追加するとあっという間に広がった。あらゆるサービスが受けられなくなるので当然だ。だが当時の総理大臣の人気は低迷し政権交代が起きるなどしばし混乱が続いた。


次に導入されたのがナノロボットだ。マイクロチップの前列があったからかこちらはスムーズに行った。その頃の国民はマイクロチップの便利さを実感していたし、既に体に異物を埋め込んでいるため抵抗感が少なくなっていた。


「便利なもんですよ。財布も持ち歩かなくなりましたし、病気も身体に注入したナノロボットであっという間に直しちゃうんですから」

「そうだ」

爺さんは逡巡するように一拍置く。

「でも代わりに死ねなくなった」


爺さんの言い方には悲哀が含まれている。導入されたナノロボットの初期ロットには致命的な欠陥があった。病気だけではなく老化までも修復し続けてしまうのだ。本来の設計では癌などの病気を自動で治療したり、怪我を治すことで健康寿命を延ばすものだった。だがナノロボットはあらゆる不具合を勝手に治療し細胞を入れ替え、果てには老化まで治療してしまっていた。当初その現象に気付く人はいなかったのだが、150歳まで生きる老人が続出し国が調査した所この欠陥が発覚した。この時既にナノロボットが導入されてから50年、導入率80%であった。メーカーは直ぐにパッチの配布を宣言したが意外にも国から待ったがかかる。この欠陥を修復してしまうと長生きする国民とそうではない国民が出てきてしまうからだ。ナノロボットを入れれば長生き出来るのにパッチを当ててしまうのは殺人ではないかという議論がありなかなか進展せずにいた。結局未だに初期ロットの不具合は修正されずにいる。つまり今現在手術した時点で老化は止まり、寿命で死ぬことは無いということだ。


「あんちゃん、仕事は何をしてたんだい?ここに並ぶまで大変だったろう」


爺さんはようやく食べ終えたチョコバナナの割り箸をしゃぶっていた。


「私はエンジニアです。といってもただAIが暴走しないか監視しているだけでした。暴走しそうになったら緊急停止ボタンを押すんです。でも暴走を制御する機構もAIで作られているので結局1度も押す機会は訪れませんでした。つまり私は画面の前に座っていただけなんです。あなたは?」

「大工をやっていたんだ。おれは頭が悪いしこれしか出来ないからね。ナノロボットを入れた時から老化が止まるとはいえ60の肉体だから辛かったよ。朝から晩まで働いてようやくだ」


列が一歩進んだ。まだ先は見えない。会話も尽きた頃、1人の会社員風の男が列に近づいてきた。何やら既に列に並んでいる人と話し込んでいるようだ。割り込みかと心配になり行列からヒョコっと顔を出す人たちが続出する。

「おいおい、あんちゃん。あれは割り込みでねぇのか?」

同様に心配になった爺さんは会社員風の男を指さした。声がデカくて本人に聞かれるのではないかと不安になるがかなり遠くなので大丈夫なはずだ。


「あれは恐らくお金を払って順番を代わってもらっているんです。つまり…並び屋みたいな人を雇って自分は後から来るんですよ」

「じゃあこんな後ろの方じゃなくてもっと先頭の方になってから列に入ればいいじゃないか」

「まあ…それもそうなんですが長く並ばせるとその分お金がかかるんです」


しばらくすると大事そうに手首を見つめて男の横を駆け抜けていく男がいた。並び屋の男だ


「あの表情を見るとだいぶもらったみたいだな」

「ええ…そうかもしれません。いまや列に並ぶということは何よりも価値があるとされていますからそれなりに払われたはずです」

「なるほどな…おれなんか金があっても退屈しちまうんだが─もしくはギャンブルですっちまうからなぁ」

「あの男はギャンブルしないでしょうね…行動はある程度読める気がします」

爺さんは何も言わず目で先を促した。

「身辺整理をするんじゃないでしょうか。そしてそれが終わったら─この列に並ぶんです」

「また金かい。いくらあっても足りないってか」

「いえいえ、そうではなく今度は自分の為にです。並ぶのにも生活費がかかるでしょう?場所代は掛かりませんが食費だったり服代だったり排泄にもお金が掛かりますから」

「まあな。俺もためるのに結構時間がかかったよ」


改めて列を観察すると家族連れは少ない。ほとんどが1人で並び、本を読んだりゲームをしたり思い思いに過ごしている。ニュースでは長く生きるうちに家族の繋がりが希薄になった頃、ある日ふとここに並ぶと言っていた。並んでいる誰の顔にも絶望感は無い。人生は長い何度でもやり直せる。そうやってやり直し人生に満足した人が並んでいるのだ。

「あんちゃん、将棋でもしようや」

爺さんは登山用の大きいリュックから将棋盤を取り出した。ショッピングモールにある安い将棋盤ではなく、きちんとした木材で作られ重量感のある4つ脚の将棋盤だ。


「いいですよ」

男も将棋盤の前に腰を下ろした。小学生の時、放課後のクラブで習ったのでルールと最低限の戦法は知っている。振り駒で先行は男になった。


2六歩、パチンと小気味よい音が響く。爺さんも駒を進める。勝負が進み男が返しの手を考えていると爺さんはいつの間にか急須にお茶を入れていた。急須に茶葉をスプーン3杯ほど入れ電気ポットで沸かしたお湯を注ぐ。蓋をして


「こうしてな、少し蒸らすんだよ」


蒸らし終わるとリュックから湯飲みを取り出し2人分のお茶を注いだ。爺さんから受け取りズズッとお茶啜った男はホッとしたような顔で肩の力を抜いた。まるで昔からの友人が晩年を共にしているようであった。


「おじさん達何してるの?」

小学1年生くらいの、青いキャップを被った子供が立っていた。手には近くのショッピングモールで配られる風船を手にしている。母親は近くに居ない。迷子だろうか。


「見ての通り列に並んでいるんだ」 

爺さんが迷惑そうに顔をそらしたので代わりに男が答えた。

「ねっとで予約すれば?ままはそうしてるよ」

「確かにそうなんだが─」

遠くで名前を呼ぶ声がした。大きめのハットにワンピースのシルエットが近づいてくる。この子の母親だろう。

「ほら、早く行きな。お母さん呼んでるよ」

「うん。あ、そうだ。おじちゃん達これは何の行列なの?」


男と爺さんは顔を見合わせると吹き出して笑った。

「なんだか可笑しいな改めて言われると」

爺さんはお茶でびちゃびちゃになった将棋盤を吹いている。

「ええ、なんだか馬鹿らしくなってきましたよ」

男も涙を指で拭っていた。そして2人で顔を合わせ示し合わせたように同時に答えた。

「これは、安楽死施設の行列だよ」




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最後尾 林涼穂 @koyoi_0318

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