第21話 最後の祭と白い結婚
病院に言った八重の後姿を見送った後、しばらくして、崇詞が部屋にやってきた。
家令の善治を連れてのことだ。
「そなたは
「崇詞様」
「話があると言っていたのに、遅くなってすまない」
「いえ、お時間を作ってくださってありがとうございます」
静津がそう伝えると、崇詞は花のような笑みを浮かべる。
最近、崇詞が静津を見るとき、このような顔をすることが多いのだ。
なんだか胸の内がむず痒くて、静津は彼の顔を直視できなくなってしまう。
静津と崇詞が作るじっとりとした桃色の空気に、間に挟まれた善治が神妙な顔で呟いた。
「……何故私は此処に居るんでしょうね」
「善治様」
「部屋に戻っていいですか」
「今すぐ戻ると好い、善治」
「いえ、戻られては困ります善治様」
勝手に善治を追い出そうとする崇詞に、静津は慌てて善治を引き留める。
崇詞があまりにも不満そうな顔をしているので、善治は失笑しながら、炬燵に入ってきた。
「それで、話と言うのはなんだ、静津」
蕩けるような優しい微笑みでこちらを見てくる夫に、静津は目をしぱしぱさせながら、話を切り出す。
「
結局、
好き放題に癒しの力を使っていた術師と、その恩恵御受けていた一族の者達。
そして、それを放置していた皇族。
十八歳未満の子どもを除くこれら全員が、代償の呪いを受けることとなったのである。
「確か、二日に一度、三時間ほど全身に激痛が走り、のたうち回る呪いであったな」
「そうです。どのような鎮痛剤も効かず、ただひたすら痛みに耐えねばならないという呪いです」
それを聞いた時、真っ先に侍女達のことが思い浮かび、蛇神にその効果の範囲を尋ねた。
しかし、侍女達の母は家出中であり、どちらかというと神々の扱いに対して批判的であったことで異端扱いされて出奔した経緯があったため、今回の難を逃れたらしい。
その話を聞いて、静津も安堵したし、侍女達も安心して腰を抜かしていた。
「これがあと五十年は続くことでしょう」
「……長いな」
「はい。おそらく、あまりに長く続く苦行に、命を絶つ者が多く出るかと思われます」
「……。そうか……」
「そこで、蛇神様から妥協案の提示がありました」
「!」
驚く崇詞と善治の前で、静津の腕に絡みつく蛇神は、威厳のある素振りでこくりと頷く。
「静津により、我は解放された。代償の呪いにより、術師達は一族郎党、苦しんでいる。そして、この事実が、帝国中に知れ渡った。故に、代償なく癒しの異能の力を使う者は、今後五十年は現れぬであろう」
白蛇の言葉に、崇詞と善治は頷く。
代償の呪いについては、既に帝国中に広まっている。
なにしろ、今まで手軽にお金を払えば手に入っていた癒しの力が、手に入らなくなったのだ。
癒しの異能の力を使う
そしておそらく、皇族も
人に苦痛を与えて好しとする者は、己の苦痛には得てして弱いものだ。
「だが、狐の嫁の子ども達を滅ぼすことは、我の本意ではない。そして、我には己の力だけでは叶えられぬ願いがある。故に、そなたらが我の願いを叶えるならば、その代償として、もう一度だけ祭を執り行うことを許そう」
「!?」
驚く崇詞と善治に、静津は神妙な顔で頷いた。
「蛇神様は、他の神々を窮状から一年以内に救うのであれば、祭を執り行うと仰せです」
今回静津達が救ったのは、萩恒公爵家の祭る狐神と、
まだこの国には、
これを一年以内に救うのであれば、代償として、祭を行うと蛇神は宣じているのだ。
この話を聞いて目を輝かせたのは、意外なことに、崇詞だった。
「……祭を行うということは、静津の髪と左目も戻るということですか」
「そうだ」
「なるほど。では、俺個人としては、貴殿の言葉に乗りたいと思う」
「崇詞様」
「静津。お前のために、俺にも何かさせてほしい」
「そんな……でも」
「死んでいった萩恒公爵家の術師のことを思うと業腹だがな。……善治、好いか」
「止めても無駄なんでしょう?」
なんだかんだ嬉しそうに笑う善治に、崇詞は嬉しそうに頬を緩める。
そして、背筋を伸ばし、白蛇に向き直った。
「あい分かった。萩恒の当主として、蛇神殿の願いを叶えるため、力を尽くすことを約束しよう」
真摯な目で見つめてくる崇詞に、白蛇は嬉しそうに頷いた。
静津はそれを、複雑な思いで見ていた。
なるほど、事がここまで固まったのであれば、静津も話をしなければなるまい。
「ありがとうございます。では、私も崇詞様も、狐の嫁とその男としての立場を崩す訳にはまいりませんね」
静津の言葉に、意外なことに、崇詞がビクッと肩を震わせた。
善治も目を丸くして、静津と崇詞を見ている。
「そう……だな。故に、婚姻も同衾も続けねばならぬ」
「崇詞様。真実夫婦になった場合は、同衾は必要ないようですが」
「善治! いや、そうだな。うん。真実夫婦になった場合は、毎日床を共にせずとも、狐の異能の力は保たれる」
ゴホゴホとせき込みながら、これを言う崇詞に、静津は頷いた。
「そのことなのですが、崇詞様」
「なんだ」
「実は私、蛇神様に、子を五人ほど成してほしいとせっつかれております」
「ゲッホゴホゴホゴホゴホゴホ」
「崇詞様!?」
何もないところでせき込んだ崇詞に、静津は仰天し、善治はその場にあった湯呑に茶を注ぎ、サッと差し出している。
湯呑の茶を飲み干した崇詞は、キリッとした顔で、改めて静津を見た。
「子を……五人か。それは何故だ」
「崇詞様の、先ほどのお約束です。おそらく私は、神々を救う度に、その神官やら巫女やらになる可能性が高いと思われます」
「なるほど。そういうこともあるだろうな」
「一つの身に、五つの神の力を宿す。そうなればもう、五大公爵家は成り立たなくなるのではと、蛇神様に聞かれまして」
静津は白蛇に、この国を支配する気なのかと聞かれたのだ。
それはとんでもないことだと、静津は首を横に振った。
すると白蛇は、子を五人作って、それぞれに異能の力を割り振れば好いと言ってきたのだ。
蛇も狐も、静津に力を与えることは止めないし、他に力を余分に与えるつもりはないけれども、出産を介して子に力が分散することは十分にあり得ると。
「狐神様も蛇神様のお言葉に痛く共感されたご様子で」
「キュン!」
「狐神様……」
「先日から見えている、お狐様方ですね」
なんと、先日の祭の後、むやみに力を増した狐神達は、萩恒公爵家本邸の家の中でだけ、誰の目にも見える形で顕現するようになったのである。
理由は静津には良く分からないけれども、それを聞くと狐神達はキュンキュン嬉しそうに鳴くだけであるし、蛇神は「我は無粋なことはしない」と教えてくれないのだ。
「要するに、どうやら私は狐の嫁として、五人の子を産むことを望まれているようなのです」
「そ、そうか」
「そこで、お願いがあるのです」
静津が崇詞を真っすぐに見つめると、崇詞は赤い顔をして、息を呑んだ。
実は、静津と崇詞は、相変わらず床を共にしているだけで、何の触れ合いもしていない。
彼女達は契約結婚をした契約夫婦で、その内実は真っ白なままなのである。
祭が行われる直前は、崇詞の心を慰めるべく散々睦みあっていたような気もするけれども、それもあれきりのことで、祭が終わり、命を長らえてからというもの、静津はいつこの家を出ていこうかと考えていたところなのだ。
しかし、狐の嫁として、子を産まねばならない。
そうなると、選べる選択肢は少ない。
今のうちに、頼み込んでおかねば。
「このまま崇詞様との婚姻を継続し、半年後か十カ月後辺りに、善治様の子種を頂いてもよろしいでしょうか」
時が止まったかのように、シーンとその場が静まり返った。
崇詞も、善治も、なんなら狐達も、石造のように固まっている。
一柱だけ笑っているのは、静津の腕に巻き付いている蛇神だ。
「まあ、そうなるか」
「ど、どういう……ことだ……」
「狐の小僧。お前がヘタレだから、このようなことになるのだぞ」
「こら、白蛇さん。酷いことを言わないで頂戴。崇詞様は、己の矜持を守るため、私ごときに触れることはないのですから」
静津が自慢げにそのように述べると、崇詞は真っ青な顔でこちらを見ていた。
不思議に思いながら、善治に向き直ると、善治は唖然とした顔で崇詞を見ている。
「崇詞様、あの」
「何も言うな、善治」
「いえ、無理ですよ。……何もしていないのですか?」
「……」
「祭が終わってから、一週間が経ちますが」
「……善治、頼む」
「何がどうなったらそうなるのですか」
口をぱっくり開けたまま唖然としている狐達を背景に、狐の男達はなにやら不思議な会話を繰り広げている。
「善治様、聞いてほしいのです」
「いえ、私が聞く訳には!」
「いいえ、お聞きください。……此度の子作りの件、狐神様が大変乗り気でいらっしゃいます」
「それは……そうでしょうね……」
「ですので、事を成せば百発百中。狐神の加護により、強制的に子ができる仕組みとなっております」
「それを私に伝えてどうするつもりなのですか」
「たった五回です」
ぱっと右手を広げる静津に、善治は血の気が引きすぎて白い顔をしながら、崇詞を見ている。
崇詞は、頭を抱えたまま、黙って話を聞いている。
「一年以内に神々を救わねばならないので、臨月で動けなくなるのは避けねばなりません。よって、この半年間は、何をすることもできません」
「キュン!?」
「狐神様のお力は偉大ですね。とはいえ、子は早めに成した方がいいと思いますので、半年後辺りに試運転をさせていただければと思いまして」
「試運転……試す? 運転?」
「キュ、キュン!?」
「それまでは、崇詞様と床を共にしつつ、白い結婚を継続いたします。その後もまあ、床さえ共にしていればおそらく崇詞様の狐火の力も、なくなることはないでしょう。多分、その。多分」
「何故その大事な部分が曖昧なのですか」
「キュン……」
「半年後にまた善治様を口説きますので、お考えいただきましたら」
「――その必要はない」
おどろおどろしい声が聞こえて、静津は声のした方を振り仰ぐ。
そこには、白い顔をした崇詞が居て、頭を抱えながら、長いため息を吐いていた。
「静津は俺の妻だ。他の男には触れさせぬ。子が必要なら、俺の子以外に選択肢はない」
その言葉に、静津は震えた。
それはつまり。
「子を成すことは許さないと」
「どうしてそうなる!?」
「だ、だって、その。崇詞様は」
静津のことが特段好きではないではないから。
思わず口にしたそれに、崇詞は目を丸くして驚いている。
「あの、違うんです。ちゃんと予定どおり離縁して、この家を出ていこうと思っていました!」
「……」
「今はその、母がまだ病み上がりで、お見舞いとかもあるし、急に追い出されたら困るなって思っていたりはしましたけど」
「……」
「……あの、やっぱりちゃんと、好きになった人を奥さんにした方がいいです。私は身を引きますので、狐さん達とも相談しますし、その……」
良く分からないまま、どんどん目線が下がっていく静津に、崇詞は顔を上げる。
「皆、出て行ってくれないか」
「はいはい」
「キュンキュン」
「このヘタレ小僧が!」
一人と二柱は、それだけ言い置くと、あっさりと部屋を出て行ってしまった。
残されたのは、契約夫婦である静津と崇詞である。
「崇詞様、あの……」
「静津」
優しく呼ばれて、静津は言葉を失くしてしまう。
それから静津は、崇詞から正式に求婚され、愛を告げられた。
あまりに意外であったため、動転しながらそれは嘘だと否定したけれども、否定すればするほど崇詞は静津に甘い言葉を囁き、祭の前にした行為の記憶が吹き飛ぶほど、静津を腰砕けにしてしまった。
「崇詞様、ま、待って」
「待たない」
「半年は、だめです」
はたと我に返った様子の崇詞に、静津は真っ赤な顔をして俯く。
狐神の力は偉大だ。
百発百中なのである。
その場に崩れ落ちた夫に、静津はあれだけ夫を煽り散らかしておきながら、意外と心の準備ができていなかったなと、内心安堵したのだった。
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