第19話 白蛇の過去


「こんにちは、白蛇さん」


 呼ぶ声が心地好かった。


 最初は、それだけだったのだ。


 あの赤い女は、いつも楽しそうで、おかしな女で、そのおかしさは、蛇にとっては愉快であった。

 そもそも、蛇の姿が見えるのも、声が聞こえるのも、全部おかしい。


「あら、そうなの?」


 山菜を摘みながら、女は楽しそうに蛇の話に耳を傾ける。


「だったら、あたしはとても幸運なのね。蛇さんとお話しするの、とっても楽しいもの」


 そう言った女の周りには、蛇だけでなく、沢山の異形が集まっていた。


 亀、人神、狐、猿。

 他にも有象無象が居る中、目立っていたのは蛇以外だと、この四者であったか。


「好きな人ができたの」


 在る日、女は嬉しそうにそう告げた。

 蛇は胸の内がざわつくのを感じた。


 女の心が、その男に奪われてしまうように感じた。


 蛇に向いている女の意識を、全て男に取られてしまう。


 そのように怯えた蛇に、女は目を丸くして、けらけらと笑った。


「白蛇さんたら、もう。男とお友達は別物よ。お友達の方が長く続くものなんだから!」


 女は言ったとおり、今までと変わらなかった。

 変わったことと言えば、狐が大はしゃぎで喜んでいたことだろうか。


 そういえば、狐が司るものは心であった。


 義と愛を司る――情熱の大狐。


 女と男が仲睦まじくするほど、狐の炎が燃え上がり、炎を操るようになった女は、世間で狐の嫁と呼ばれるようになった。

 ついでに、男は女を守る剣となるべく、攻撃するための炎を狐から授かっていた。


 それを見た蛇と亀と人神と猿は、自分も自分もと手を上げた。


 皆でこぞって女に力を授け、なんだか訳が分からないことになったところで、女が笑って「こんなものは必要ないのに」と言った。


「あたしは、白蛇さんとずっとお友達でいたいの。みんなとも、仲良しでいたい。それが一番の贈り物だわ」


 そう言った女は、六十年程生きた後、あっさりと死んでしまった。


 白蛇は、全ての力をふしりぼり、猿神を滅ぼして死を遠ざけると息まいたけれども、それを女が止めたのだ。


「ちょっと、白蛇さん。あんまり私の猿神様をいじめたらだめよ」


 泣いてるじゃないと言う女の視線の先には、しくしくと泣き荒んでいる猿神が鎮座していた。


 いや、あいつが泣いてるのは、我がいじめるからではない。

 お前が死んでしまうからだ。

 我らの前から、消えてしまうからだ……。


 そう言う蛇に、女はけらけらと笑いながら、白蛇と猿を抱きしめた。


「大好きよ。みんな、大好き! 生きている間も、死んだ後も、消えてしまっても、ずっと変わらないよ」


 こうして、女はこの世を去った。


 蛇達の力は、女の子ども達に引き継がれた。


 そのうちに、子ども達はこの場所に、国を興した。

 そして、全てを収める帝の家と、それぞれの神を祭る五つの家に分かれていった。


 白蛇は女の子どもを見守りながら、ただ、この世に飽いていた。


 こうして見守っていても、白蛇の近くに女は居ない。

 ただその名残を、ひたすら見つめているだけ。



   ~✿~✿~✿~


「異能の力の効用は欲しい。代償は要らぬ。であれば、狐に蛇退治をさせればよいではないか」


 全てが形だけとなり、忘れ去られていく中、在る日、白蛇を祭る神官の一人がそのように言い始めた。


 最初は、何を戯言をと、白蛇は相手にしていなかった。


 しかし、人々はその言に賛同した。


 その時、ちょうど狐の下に、が居たのだ。

 彼女の夫の力を使って、白蛇の神官はいともたやすく、蛇を宝石箱に封じてしまったのである。



 白蛇は、信じられなかった。



 癒しの力は、天秤の力だ。

 何かを直せば、何かが崩れる。

 だからこそ、代償があるからこそ、奇跡を起こすことを世界が許すのだ。


 それは世の理で、これを崩せば、世界の均衡が崩れてしまう。

 生き物が増え、死が遠ざかり、実りを食い尽くし、廃墟が世界を覆いつくすだろう。


 確かに白蛇は、赤い女を生きながらえらせるために、それを実行しようとしたことがある。

 けれども、それを止めたのは、ほかならぬ赤い女であったはずだ。


 なのに、赤い女の子どもが、私利私欲のためにそれを崩そうとしている。

 白蛇を宝石箱に閉じ込め、痛めつけ、膨れ上がる代償の呪いをため込む廃棄場ゴミ捨て場にしようとしている。


 周りを見渡すと、そのように扱われているのは、蛇だけではなかった。

 亀も、人神も、猿も、使い潰すように酷い扱いを受けている。

 そして、狐は小さく擦り切れ、その炎が、蛇を痛めつけてくるのだ。


 白蛇は、もう好いと思った。


 このままこれが続けば、いつか狐の男が絶え、白蛇は解き放たれる。

 そして、野に放たれた白蛇の中には、傾きを最大限にし、どす黒く汚れた天秤が存在するのだ。白蛇が何をしようと思わなくとも、天秤は代償を求めて暴れ狂うことだろう。世界はそうして滅びるのだ。

 だから、おそらく最後となるであろう狐の男が現れたときも、白蛇は内心、全てを諦めていた。


 もうすぐ、全てが終わる。


 そう思っていた矢先に、現れたのだ。


 なんだか楽しそうで、飄々としていて、普通じゃない、不思議で謎めいた赤い女だ。


 彼女は絶対におかしな女で、そのおかしさが蛇にとってはとても愉快で、だから蛇は彼女を――。



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