第16話 蛇と狐の戦いの傍らで


 静津が走っていた同刻のこと。


 大聖堂の中は金と火の異能の力がひしめき合っていた。


 聖堂の中は酸欠になるのではないかと思うほどの大量の紅蓮の炎が舞い、炎であぶられるたびに、白蛇から苦悶の叫びが上がる。

 白蛇がシャーと奇声を上げるたびに、蛇の周りにくすんだ小さな刃が大量に生じ、狐の男を射止めんと宙を走る。

 しかし、その刃も炎に焙られると呪力を失い、カランと音を立てて床に落ちていく。


 その様子を、経毘沼へびぬま公爵家の術師として呼ばれた経毘沼夜至斗よしとは、大聖堂の隅に身を寄せながら、その目に焼き付けていた。


(す、すごいぞ……目の前で、すごいことが起こっている……)


 正直、夜至斗よしとは萩恒崇詞のことを下に見ていた。

 おそらく、それは夜至斗よしとだけではない。

 経毘沼へびぬま公爵家の当主も術師も、ここまで数を減らした萩恒公爵家のことを侮っていた。


 けれども、目の前で起こっているこれはなんだ。


 ただ一人の萩恒の男。

 妻を娶ったばかりで異能の力を手にして間もないというのに、若き萩恒の当主は、経毘沼へびぬま公爵家の祭る蛇神と対等に向かい合っている。


 紅蓮の炎を操り、人の世に仇成す巨大な蛇と戦うその姿は美しく強く、正にこう呼ぶべきであろう。


(英雄――)


 世の人々は、萩恒公爵家の術師をそう呼んでいた。

 それに対して、他の四つの公爵家の術師達は嫉妬し、過大評価だの、調子に乗らせるなだの、好き放題にけなしていた。

 けれどもこれは別に、萩恒公爵家の男が彼らが敢えて流布した風評ではないのだ。


 ただ、人の目にそのように映っていた。


 そして今、英雄は白蛇退治を遂げようとしている。


 目を輝かせ、顔を紅潮させる夜至斗よしとに冷や水を浴びせたのは、同じ経毘沼へびぬま公爵家の術師である咲夜さくやだ。


「油断しない方がいい」

咲夜さくやさん」

「祭が始まり、四半刻しはんときつ。そろそろ、萩恒の当主も疲労が出てこよう」


 夜至斗よしとはその言葉に、ハッと顔を上げる。


 目の前で繰り広げられる異能の力による争いを見ていると、非現実的な世界を思わせるけれども、その術師たる萩恒の当主は人間に過ぎないのだ。


 異能の力というのは単発で使うだけでも、疾走した時のような疲労を体にもたらす。それをこうも続けて使い続けるなど、若く鍛え上げた術師である夜至斗にもできるかどうか。

 それだけではなく、萩恒の当主は、蛇の攻撃を避けながら戦い続けているのだ。


 それが四半刻しはんとき

 そろそろ、限界が来てもおかしくはない。


 目を細め、夜至斗よしとが萩恒公爵の様子を窺おうとしたところで、炎の余波が彼らの居る場所に飛んできた。

 萩恒の当主が放った炎を、白蛇が風圧で飛ばしたのだ。


(まずい、俺達では防げない!)


 火は金の相剋にある。

 経毘沼へびぬま家の力で、神を退治すべく本気で放たれた萩恒家の炎を防ぐこと難しい。


 夜至斗よしとは目をつぶり、衝撃に耐えようと身構える。


 しかし、熱も圧も、何も襲い掛かってはこなかった。


 不思議に思って目を開けると、夜至斗よしと達三人の前には、帝の側近を名乗る謎の覆面頭巾ふくめんの男が居た。

 彼の前に展開されている結界術は青く光っており、それが水を司る稼目咲かめざき家の物であることが見て取れる。


 水は、火を制する。


 萩恒公爵家にとって、相剋の関係にある、水を司る稼目咲かめざき公爵家の術師。


「助かった。手を煩わせてすまない」

「いえ。気を付けなされませ」

「貴殿は稼目咲かめざき家の術師であったか」

「……帝の側近というだけでございまする」


 最も年嵩の術師である経毘沼癒乃介ゆのすけの言葉に、覆面頭巾の男は、ついと目を逸らした。

 どうやら男には、身分を明かす気も、顔を見せる気もないらしい。


「しかし、まずいですね」

「……貴殿もそう思うか」

「四半刻が経つというのに、蛇が半分にしかなっておりませぬ」


 会話の内容に、夜至斗よしとは青ざめた。


 癒乃介ゆのすけ咲夜さくやからは、天秤の白蛇はおそらく、大聖堂の三分の一のを占める大きさであろうと言われていた。

 前回の祭の時の大きさが、そうだったからだ。

 そして、その大きさが五分の一まで小さくなれば、再度宝石箱に白蛇を封じることができると聞いていた。


 しかし、今回の祭では、天秤の白蛇は広い大聖堂の半分を超えるほどの巨大な邪蛇じゃじゃとなって現れた。


 そして今、その大きさはまだ半分までしか縮まっていない。


 この状態では、白蛇を宝石箱に封じることはできない。


「ここで萩恒の当主が倒れたときは、共倒れでございますね」

「……」

経毘沼へびぬま殿」

「それはその時に考えることだ」


 煮え切らない癒乃介ゆのすけに、若い夜至斗よしとは目を瞬く。


「……どういうことですか、癒乃介ゆのすけさん」

「……」

咲夜さくやさん」


 答えを返さない先輩術師二人の代わりに話しかけてきたのは、謎の覆面頭巾の男だ。


経毘沼へびぬまの若君。萩沼の当主がこの場で倒れた場合、この大聖堂の扉が開くことはございませぬ。このまま五人はこの場で討ち死に。あとは外の者達がなんとかするが早いか、天秤の白蛇が封印を打ち破るが早いか、二択でございます」


 夜至斗よしとは後ろ手に頭を殴られたような衝撃を受けた。


 どういうことだ、聞いていない。

 大聖堂の中で五人が討ち死に?

 そんな心中に同意した覚えはない。


「そ、そんな。俺は嫌です」

「白蛇を打ち倒さず、宝石箱に封じることもなく、この大聖堂の扉を開けば、呪いを帯びた天秤の白蛇が世に出てしまいまする」

「嫌だ! 何故俺が、こんなことのために、そこまでしなければならないんだ!」

「貴方様は人一倍、裕福に暮らしていらっしゃいましたでしょう」


 は、と声を漏らす夜至斗よしとに、癒乃介ゆのすけは眉根を寄せ、咲夜さくやは目を逸らし、謎の覆面頭巾の男は一つ頷く。


「兄分の皆様の方がご理解いただけているようですね」

「ど、どういう……」

「萩恒公爵家は常々、経毘沼へびぬま公爵家に対して通告していたはずです。無尽蔵に癒しを使うのは止めろと」

「だ、だが! 人々を癒すは、経毘沼へびぬまの責務だ! 病に倒れ、傷付いた民を見捨てるなど」

「代償のない癒しは、人には分不相応なのですよ。にもかかわらず、貴方がたは好き放題にその力を使い、私腹を肥やし続けた。白蛇は何故、その理屈すら分からぬ愚か者に、このような力を渡したのか」

「……言葉が過ぎるのではないか、帝の使いよ」


 顔を真っ赤にしている夜至斗よしとに代わり、咲夜さくやが謎の覆面頭巾の男をたしなめた。

 しかし、覆面頭巾の男は三人の様子を見ながら、ふ、と鼻で嗤う。


経毘沼へびぬまの皆様の愚かのせいで、私も命の危機に在るのです。このぐらいは許されましょう」

「お前! 稼目咲かめざきの――亀ごときが、我らが経毘沼へびぬまを侮辱するのは許さぬぞ!」


 食って掛かろうとする夜至斗よしとを羽交い絞めにしたのは、咲夜さくやだ。


 それを見ながら目を細めた謎の覆面頭巾の男は、三人から一歩下がる。


「覚えておくがいい。白蛇を封じることなく大聖堂を開き、この場から逃げようとするのであれば、我がそれを許さぬ。白蛇と我と、双方を打ち倒さねば、ここから出ていくことは叶わぬものと知るがいい」


 呪いの言葉を述べる男に、経毘沼へびぬまの三人は青い顔をして黙った。


 水を操り、亀神を祭る稼目咲かめざき家。

 人の心を操るこの男が敵対してきたならば、血が流れることは避けられない。


「……すべては、萩恒の当主が討ち死にした時の話だ。あれが祭を完遂すればよいのだ」


 それだけ言うと、癒乃介ゆのすけは黙って祭の様子を見始めた。咲夜さくやもだ。

 夜至斗よしとは、二人の反応に、愕然としていた。


(どういうことだ。……我が家は、これほどまでにもろく……恩知らずで、矮小わいしょうだと……)


 青ざめる若き経毘沼へびぬまの術師は、彼を眺める覆面頭巾の男の視線に気がつかない。


「不思議なのは、経毘沼へびぬま家の者が公爵家の中で最も、萩恒公爵家を下に見てさげすんでいることだ。……誰のお陰で無事で居るのか、今際いまわきわにおいてぐらいは知っておいてほしいものだな」


 そして幸運なことに、男の呟きが夜至斗よしとの耳に届くことはなかった。


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