第14話 祭(さい)


 崇詞たかしはその時、帝国神社の中央に位置する大聖堂に足を踏み入れていた。


 金色こんじきのその空間は広く高く広がっており、中心部に祭壇さいだんが存在する。


 その祭壇の上には、呪符で厳重に封印を施された宝石箱が置いてあった。


 屋根型のふたに、象牙ぞうげの柱が四隅に立っている、小さな屋敷に見立てた漆器しっきの箱である。

 象牙の柱には経毘沼へびぬま公爵家の使う封印のじゅが彫り込まれており、側面はつやめいた黒の中に、金で白蛇しろへびおぼしき模様が描かれている。


 その周りに集まったのは、五人の男だ。


 白を基調とした雅な明衣みょうえまとった、三十路ぐらいの男が三人。

 これは経毘沼へびぬま公爵家の術師だ。


 紺色の羽織袴に身を包んだ、覆面頭巾ふくめんずきんの男が一人。

 これは、帝の側近を名乗る謎の男である。


 そして最後の一人は、緋色の明衣みょうえに身を包んだ崇詞だ。


 最も年嵩としかさ経毘沼へびぬま公爵家の術師は、祭壇の上の宝石箱を眺め、その場に居る五人を見て、口火くちびを切った。


供物くもつは全て揃っておる。準備は好いか」

「……経毘沼へびぬま家の公爵本人がおらぬではないか」

「我らが当主の手をわずらわせるまでもない。帝の手配した見届け人も呼んでおる」

「それに、そなたがしくじるかもしれぬではないか」

「この期に及んで、経毘沼家は未だ、萩恒公爵家を侮辱するか!」

「萩恒の当主よ。虚勢を張るべきときと、そうではないときが在ろう」


 温度のないその言葉に、崇詞は経毘沼へびぬま公爵家の三人を睨みつけた後、時間の無駄とばかりに顔を背けた。


 さいは本来、萩恒の男が複数人で行うものだ。

 相手は他家の祭る神の具象である。

 しかし、ここ数回は、一人だけで行うこととなってしまっていて、実のところ、経毘沼へびぬま公爵家にも怪我人が出ているところだ。


 祭で負った傷を、天秤てんびん白蛇しろへびの力で癒すことはできない。


 それは天秤の白蛇の怒りの具象であり、天秤の白蛇が治すことを許さないからだ。

 それで、諸悪の根源たる経毘沼へびぬま公爵家が人手を出すのを嫌がり、結局のところ、このような少人数で対応することとなってしまっている。

 そしてとうとう、当の経毘沼へびぬま家の当主までもが、この国で最重要と言っても過言ではない神事であるにもかかわらず、欠席する事態に至ったのである。


 経毘沼へびぬま公爵の、同じ当主とは思えない怯者きょうしゃぶりに、崇詞は内心舌打ちする。


(今このとき我が身可愛さに引き籠ったとて、先はないというのに、なんと愚かな)


 そも、崇詞が行うこの祭が上手くいかねば、後がないのだ。

 傍系の善治ぜんじが一人で祭を行うことはおそらく難しい。その母佳乃よしのは女で、弟の聡詞さとしは童にすぎない。

 荒ぶる天秤の白蛇を抑える者は居なくなり、経毘沼へびぬま公爵家はこれまで、制限なく治癒の力を使い続けた代償を支払うこととなるだろう。

 これまでのように治癒の力を使わぬ経毘沼へびぬま公爵家に対する民の怒りと呪いは蓄積される。


 そうして、国が滅びてもおかしくないほどの災いの期が訪れる。


 事がそこまで至れば、当の経毘沼へびぬま家の当主が、無事で済むはずがない。


 しかし、来ていないものはどうしようもない。

 経毘沼へびぬま家の当主が居ないからといって、祭を引き延ばすことはできないのだ。


 目の前の宝石箱からはおぞましいほどの邪気じゃきただよっており、張り付けられた大量の呪符は、今にも千切れとびそうな様相を呈している。


(……かようにみすぼらしいこれが、帝国で一番の術師の執り行う祭か。我が国も落ちぶれたものよ)


 崇詞は己を落ち着かせるために、長く息を吐く。


 すると、意外な人物から声が上がった。

 帝の側近を名乗る謎の男である。


経毘沼へびぬま公爵家の術師じゅつしよ。貴殿らは口は慎まれるが好い」


 一方のみを制する覆面頭巾の男の言に、経毘沼へびぬま公爵家の三人は眉根を寄せる。


「立会人が、口を出すか。顔も見せぬ臆病者が」

「我は帝から立会のお役目を拝命したが故に、ここに居るのだ。この祭における要は萩恒公爵だ。萩恒の力は、心の力。それを折るような真似は控えるがよろしかろう」


 鋭く冷たい視線を向けてくる覆面頭巾に、経毘沼へびぬま公爵家の面々は苛立ちを隠さぬ様子で、彼から目を逸らした。


「……手順を確認する」


 祭の仕組みは、単純なものだ。


 経毘沼へびぬま家の術師が目の前の宝石箱に封じている怒りと呪いを、萩恒家の男が打ち破る。

 ただこれだけである。


 人に奇跡の癒しを与える蛇神へびがみ――天秤の白蛇。


 経毘沼へびぬま公爵家は本来であれば、蛇神に授けられた異能の力を使うに当たり、その代償を支払うこととなる。

 しかし、経毘沼へびぬま公爵家はここ数十年に渡り、一切の代償を支払わぬまま、その力を使い続けてきた。


 天秤の白蛇の怒りにより、代償は何倍にも膨れ上がり、経毘沼へびぬま公爵家の術師や一族の者に降りかかるはずだった。


 それを、経毘沼へびぬま公爵家に生まれ出でたある男が、秘術を開発し、白蛇の呪いを箱に封じたのが全ての始まりだった。


『異能の力の効用は欲しい。代償は要らぬ。であれば、狐に蛇退治をさせればよいではないか』


 その男の言に、あらゆる者が乗った。

 人は調子に乗り、その力で傷をいやし、不治の病から生還し、死を遠ざけた。


 しかし、力を使われ、天秤を崩された白蛇の怒りは、ふくれ上がるばかりだ。

 今やその怒りは頂点に達し、蛇の天敵である狐の手にも負えない破壊の力を生み出し、封印を打ち破ってこの世に出てこようとしている。


「この大聖堂には、目の前の宝石箱と同じ封印を施している。我ら三人がこの呪符を剥がす。そうすると、天秤の白蛇が顕現するので、公爵がこれを成敗すれば、祭は完了する」

「では、祭が完了するまで、この場からは誰も出ることができないのか」

「そうだ。故に、我らが当主はこの場に現れなかった」

「……念のために聞くが、俺が仕損じた場合はどうなる」

「我ら三人が箱に怨念を再度封じ込める手筈となっている。公爵が弱らせた後になる故、封印事態を仕損じる恐れはないであろう」

「なるほどな」


 どうやら、この四人は、自分達の身の安全だけは確保しているらしい。

 崇詞がこころざしなかばで討ち死にしたとしても、一旦この場は収まるということだ。


「では、始める」


 崇詞は祭壇の正面に立つと、腰に佩いていた刀をすらりと抜いた。


 祖先から受け継いだ情報は、全て頭に入れてある。

 聡詞に引き継げるよう、紙にも残し、善治にも口伝で伝えておいた。


 後は、成るように成るだけだ。


 たとえ崇詞がこの祭を遂げることができなかったとしても、呪いを少しでも削ぐことで、を少しでも遅らせることができる。


(善治と侍女達には、いざというときには聡詞を連れて逃げるよう、伝えてある。成長した聡詞が祭に立ち向かわず、逃げてくれると好いのだが)


『本当は、逃げてほしい?』


 脳裏に浮かぶ妻の言葉に、崇詞は苦笑する。


『そのやり方は、きっと好くない。一人で抱え込む必要はないはずです』


(怖い女子おなごだ。何も知らない顔をしていたが、本当は全てを知っていたのではないだろうか)


 きっと、今の崇詞の内心を知れば、妻となった謎の女は、「自分は逃げなかったくせに」と崇詞に文句を言うのであろう。

 それを思うと、なんだか愉快で、胸の内に炎が燃え上がるようだった。


(あれの母も、これで治ることだろう。……それならば、好い)


 くすりと笑った崇詞に、目を見開いたのは、覆面頭巾ふくめんずきんの男か、それとも経毘沼へびぬま家の者であったか。


 呪符じゅふはががされ、屋根の形をした宝石箱が勢いよく開き、中から黒い瘴気しょうきが吹き出してくる。



 そこに顕現けんげんしたのは、世にも巨大な白蛇しろへびだ。



 金色こんじきであると伝えられるその眼は、瘴気しょうきで真っ黒に染まっている。


「よくもまあ、ここまで我を閉じ込め続けたものよの」


 おどろおどろしいその声を聞きながら、崇詞たかしは刀のつかを強く握り締めた。



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