第11話 出陣


 そして師走しわすのその日がやってきた。

 崇詞がさいを執り行う日だ。


 場所は、帝国神社の大聖堂で行う予定らしい。


「ていこくじんじゃ?」

「そうですよ、聡詞様。すっごく大きくて、綺麗な神社らしいです」

「大聖堂は黄金に輝いていると聞いたことがあります」

「水を司る稼目咲かめざき家への配慮で、池の上に浮かぶ茶席があるという噂ですよ」

「それを言うなら、火を司る萩恒家のために、毎日聖堂で焚き木をすべきだわ」


 けらけらと笑う侍女達に、聡詞は目を輝かせている。


「静津! 静津は、ていこくじんじゃ、見たことあるの?」

「いいえ。私は田舎育ちで、住んでいた村から直接このお家に来たので、帝都のことはあまりよく知らないんですよ」


 この萩恒公爵家はもちろん、帝都の中に存在している。

 しかし、契約上、この家の外に出ないこととなっている静津は、帝都に足を踏み入れたことがないのだ。


「僕も! 僕も、あんまりお外にいったことがないんだ」

「そうなのですか」

「行ってみたいね。静津、今度一緒に行こうよ」

「そうですねえ。でも、まずはお庭の探索の方が先かもしれませんね」

「お庭?」

「まだ雪だるまを作ってませんもの」


 静津は今日を最後に、この家を出る身だ。

 一緒に外に遊びに行くという約束を叶えることはできないだろう。


 けれども、雪だるまを作ることくらいならできるかもしれない。


 あの完成された美しい庭に素人の雪だるま作品を作るのはばかられたけれども、それくらいは許してほしいと侍女達を見ると、侍女達はニッコリとほほ笑んでくれた。


「そうですね。一度くらいなら、中庭に雪だるまを作っても崇詞様も怒らないでしょう」

「!」


 跳ねるようにして喜んでいる聡詞に、静津達の目じりが下がっていく。


「楽しそうだな」


 低く柔らかい声がして、その場の全員がパッと顔を上げる。

 声の主はもちろん、崇詞たかしだ。


 この萩恒はぎつね公爵家の若き当主。


 御年二十歳の貴人は、神事を行うための明衣みょうえに身を包んでいた。


 赤い生地に金色の模様が刻み込まれた闕腋袍けってきのほうが美しいそれは、火を司る萩恒はぎつね公爵家のであればこその装いなのであろう。

 ほうすそをひらめかせながらこちらに来る様は、人の世の者とは思えないほど優美であった。

 それは彼の弟の聡詞さとしの目にも同様のようで、彼は目を丸くしながら自身の兄の姿をまじまじと見つめている。


「にぃさま! 綺麗!」

「こら、聡詞。綺麗というのは、男に対する誉め言葉ではないぞ」

「ええと、すごいの。にぃさま、すごい!」

「そうか、ありがとう」


 膝を折って頭を撫でる崇詞に、聡詞はそわそわとした様子で固まっている。

 どうやら、兄にいつもどおり抱きついてしまいたいのに、美しい装束に気を使って、それができないでいるらしい。


 崇詞の後ろを付いてきた善治が室内に入ってきたところで、崇詞が皆に向かって語りかけた。


「皆、聞いてくれ」


 その場に居るのは、崇詞に聡詞、静津に、家令の善治、侍女の壱子いちこ弐千果にちか参瑚さんご肆乃しのだ。


「俺はこれから、祭を執り行う。そのために、帝国神社へと向かう」

「はい」

「故に、この家のことは善治、お前に任せる。聡詞、お前は善治と壱子達の言うことをよく聞くんだぞ」

「はい、にぃさま!」

「こちらにおいで」


 膝を突いた崇詞が呼んだので、聡詞は嬉しそうに近くに寄っていく。

 やってきた小さなわらべを、崇詞は慈しむように抱きしめた。


「最後にお前の笑顔が見られてよかった」

「……にぃさま?」

「祭はな、大変な仕事なんだ。聡詞、兄さんの背中を押してくれるか?」

「背中をおすの?」


 崇詞の背中をぺたぺた触る幼子おさなごの愛らしさに、崇詞は声を上げて笑った。


 そして、崇詞は静津を見た後、ふわりとほほ笑んだ。


「静津も、今までありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」

「背中を押してほしいところだが、そなたは全力でこの家に私を縛り付けてきそうだな」

「そう思うのであればおやめくださいまし」

「恐ろしいことを言う女子おなごだ」

「行ってらっしゃいませ」


 膝を突き、三つ指を立ててふわりと頭を下げると、聡詞の傍らで膝をついていた崇詞は、一瞬固まった後、「うん」と一つ頷いた。


「行って来る」


 静津達は、玄関まで出て、崇詞を見送った。

 善治は崇詞の付き添いで、共に馬車に乗り込んでいった。


 きっと、これでもう、静津と崇詞が会うことはないのだろう。


 それを思うと目頭が熱くなるけれども、聡詞の手前なので、必死に心を落ち着けて涙をこらえる。


 しかし、馬車がとうとう見えなくなり、玄関の戸を閉めたところで、侍女達がその場で泣き崩れてしまった。

 お陰で聡詞が仰天して、「わぁ!?」と声を上げた。


「いちこ!? にちか、さんご、しの。どうしたの!?」

「なんでも……なんでもないのですよ、聡詞様」

「ただ、崇詞様のお姿が、ご立派だったから」

「素敵な装束でしたね」

「崇詞様はきっと、立派にやり遂げてくださるはずです」


「――何をやり遂げるの?」


 怒気をはらんだその声音に、泣いて座り込んでいる侍女四人は、静津を振り仰いだ。


 事情を知っている侍女四人が、こうまで泣き崩れるとは、尋常ではない。


 苦行に行くのだとは、分かっていた。

 崇詞が覚悟を決めていることも。


 大人である彼が決めたことを、静津が止める権利など、どこにもない。


 けれども、彼がとしたら?


 仁王立ちをする静津に、聡詞はその服の裾をそっと握り締める。


「大事な聡詞様にも何も言わず、あの人は何をしようとしているの」

「お、奥様」

「私達は何も」

「私に隠すのは、狐の嫁――生贄いけにえには、何も話す必要はないから?」


「ちがうよ、静津」


 否定する幼い声に、ぎくりとしたのは静津だけではなかった。


 振り向くと、そこには不思議そうな顔をした聡詞さとしが居て、その瞳は、赤色に輝いている。


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