第3話 仮初の婚姻を手にした赤毛の女
静津は、そこそこに大きな村で生まれた、平凡な
仲の良い父と母、それに八つ下の妹が一人。
男手が居ないのは困ったことだけれども、家は飯炊き屋で農家ほどの人では欲していなかったので、婿を取ればいいと両親は笑っていた。
普通、村に住む住人はすべからく地を耕して生計を立てる。
しかし、静津達の住む村は京へ続く大通りが近くを通るお陰で、そろそろ町と呼んでも良いくらいに活気のある村であった。故に、農業以外の職を手にした家も多く存在したのである。
不幸が始まったのは、静津が十五歳になったある日、父・
村からは弔慰金は出たものの、それだけでは女三人が食つなぐことはできない。
母・
静津も当然ながら、その家業を手伝って生活をしていた。
それはそれで楽しい暮らしではあったが、気苦労も絶えなかった。
なにしろ、母・多重は妙に美しかった。
顔立ちは整っている程度であるが、娘の目から見ても、どうにも色香が溢れている。
話しぶりが穏やかで優しいせいだろうか。
そのため、静津は母・多重への男避けのため、わざと活気を出し、男勝りな娘と呼ばれるようになっていった。
「おめぇさんは、黙っていれば母ちゃんみたいに色っぽいのによぉ」
「静かな
「赤い髪に赤い目をして、本当に火の神みたいな女だよ」
母への秋波を蹴散らす静津に、
しかし、静津はめげなかった。
日に透けると赤い髪も、赤みがかった目も、全て父から引き継いだもの。彼女は妹よりも明らかに父に似ていて、自分がこの家を守らなければと強く意気込んでいたのだ。
生前の父もそうした静津の強さを面白がり、彼女に色々なことを仕込んでいたので、技術が彼女の意思を後押ししていたところもある。
しかも、静津にはさらなる心配ごとがあった。
妹・八重のことだ。
稚い様子の合間に、母の血を強く感じる時がある。
静津は、家の仕事をしながらも、妹の寺小屋への往復には必ず付き添うようにしていた。
「八重の過保護な姉ちゃんが来たぞー」
「逃げろ逃げろー!」
そう言う
実は一度、八重が九歳の頃、男子達にからかわれるのが嫌だと言い、静津を待たずに寺子屋から勝手に家に帰ろうとしたことがある。
あの時は、息が止まるかと思った。
慌てて静津が八重を探しに行ったところ、八重は村の十代前半の若い男達に追いかけられているところで、羽織に手を駆けられて悲鳴を上げる八重を見て、静津は思わず男達を殴り倒してしまったのだ。
「私を待てと言ったでしょう」
肩で息をする静津に、八重は大泣きをしながら縋り付いてきた。
村の若い男達は、おそらく可愛い八重が珍しく一人で歩いているのを見て、遊び半分で声をかけたのであろう。そして、八重が怖がって逃げるので、追いかけて手をかけようとした。
しかし、非力な八重にとってそれがどれほどの恐怖を与える行為なのか、彼らには分かっていなかったのだ。
その後、八重を追いかけまわした男達は村長から叱られ、自宅で謹慎することとなった。
そして、静津は謹慎している彼らの元に行き、頭を下げた。
「私は怖かったのだ。だから手加減はできなかった。逆に、お前達が私や八重相手に手心を加えて向かってきていたことも知っている。それに付け込んで、私はお前達を殴り倒した。本当にすまなかった」
「……最後は単に、あんたの方が強かっただけじゃねぇか」
「あんなものは初見殺しだ。私はお前に腕相撲で勝てないし、この場で組み伏せられたら抵抗することは適わない」
二人きりの室内で、怯むことなく頭を下げる静津に、男は黙っている。
「お前達男の持つ力は、
「……」
「けれども、周りが思うほどお前達は大人である自覚を持っていないと思う。そういう年齢だ。それなのに、私は年下のお前達の気持ちを
暫くそのまま動かずにいると、男はもういい、と言った。
「もういい。やめてくれ」
「……
「あんたがそんなんじゃ、自分が最低野郎に思えてくる」
「そんなふうに思ってくれるのは、お前がいい男だからだと思うが」
頭を上げた静津が不思議そうに首を傾げると、
「今度はちゃんと、寺子屋で八重と遊んでおくれ。皆と一緒であれば、八重も構わないと言っているから」
その後、
しかし、それは運が良かっただけだ。彼らが子どもで、素直であったからこその奇跡。
次も同様になんとかなるとは限らない。
八重もそれをわかっているようで、あれから、静津の手を自ら放すことはない。
そうして、女三人で暮らしていたある日、母が病に倒れた。
うつる病ではないけれども、通常の医師の手では治せないと言われてしまい、静津も母も八重も愕然とする。要するに、不治の病ということなのだろう。
おそらく、通常の医師ではない奇跡の力を頼れば、母は治すことができる。
けれども、異能の力を持つ治療師を頼むには、とても沢山のお金が必要となる。
それを実現するには少なくとも、この大きな村の村長くらいには資産家である必要があるだろう。
(……金を、貯めるしかない)
それでも、静津はめげなかった。
金がないなら貯めるしかない。母の命を諦めることはできないのだ。
そして母が倒れた今、静津一人では飯炊き屋を続けることはできないので、どこかに奉公に出るしかない。
村長は、母が自分に嫁ぐのであれば、援助をすると言い出した。
母・多重は悩んでいたけれども、それは娘である静津と八重のためであり、母の心はいつでも父にあることを、静津は知っていた。
それに、村長とはどうにも馬が合わない。
彼は父・
静津はそのような村長の態度を嫌悪していたし、母・多重も妹・八重も同様に彼を嫌がっていた。
だから、静津は奉公先を探し、間もなく静津は仕立て屋の社員として奉公に出た。
しかし、それだけでは母の治療費が工面できない。
なので、静津は昼だけでなく、夜も飯炊きの奉公に出ていた。
深夜に帰宅し、朝早くに出勤する毎日。
流石の静津も、先行きの見えない生活に疲労を感じざるを得なかったところで、妹の八重がこんなことを言いだした。
「静津姉様。私をどこか、好いお家に嫁がせて」
「八重?」
「お金が要るんでしょう」
八重は家の仕事を一心にこなしていた。
母の看病をし、家事をこなし、家の庭で野菜を育て、内職をしてくれている。
静津が外に出て働くことができているのは、八重が家を守ってくれているからだ。
しかし、静津の稼ぐ金では、三人の糊口をしのぐので精いっぱい、多額の治療費を少しずつ貯めてはいるものの、母の命が尽きる方が早いかもしれない。
「でも、私は外に働きに行くのは難しいと思うから」
八重はわかっているのだ。
彼女は本当に、美しく育った。
年はまだ十歳。
しかし、それでも男の目を惹いて止まない。
戸締りをするように厳重に注意し、静津が父から引き継いだものをすべて与え、八重を以前からかった男達が逆に守ってくれている状況なのだが、それでも用心が不足していると思わせるような、匂いたつ色香がそこにはある。
これで外に奉公に出ようものなら、その日のうちに奉公先で
そして、幼い妹にこのようなことを言わせてしまった静津は、心の底から悩んだ。
好い家――裕福な家に、嫁ぐ。
それは、事態を改善させる最強の一手ではある。
しかし、その
父の居ない静津の家には、その手の伝手がないのだ。
両親からは親戚の話はとんと聞いたことがなく、病に伏す母も、その手のことは一切口にしない。
このままだと、村長に母が嫁ぐことになってしまう。
そしておそらく、村長は母だけでは満足しない。
彼の目はいつだって、妹の八重のことも捉えている。
(私が何とかしなければ)
睡眠時間を減らし、ますます金稼ぎに専念する静津に、多重と八重の心配する目が痛い。
しかし、止める訳にはいかないのだ。
静津は、決して強くないから。
母・多重と妹・八重を犠牲にした豊かな生活を手にしたとしても、きっと一週間も耐えられない。
そんな折、村の大広場に告知があったのだ。
国の官吏が掲示板に告知状を張り出し、そして去って行った。
『赤毛、赤い目の女を求む』
何が書いてあるのかと、掲示板にたかる村人達に、村の官吏はそれだけしか教えてくれなかった。村人の大多数は、文字が読めないのだ。そして、文字が読めない者のために、掲示板の横には、村の官吏が常駐している訳なのだが、赤毛で赤い目の女を見つけたら村長に言うようにと、それ以上のことを読み上げる節が見受けられない。
けれども、静津は文字が読めた。
それは、飯炊き屋を運営するために必要な知識であるからと、亡父が仕込んでくれたものだ。
(……嫁を、探している。
その後の褒章金という文字に、静津は息を呑んだ。
とんでもない金額だ。
この報奨金があれば、母・多重の治療を
静津はすべてを悟って、すぐさま国の官吏の居るであろう宿へと走った。
村長はきっと、この褒章金を独り占めするつもりなのだ。
赤毛、赤い目の女を差し出し、そして利はすべて自分のものとする。
文字の読めない赤毛の女達は、真実を知ることはない。
けれども、静津は文字を読むことができた。
(父様、ありがとう!)
そして、この村において赤毛の女と言えば、静津のことなのだ。
静津の知る限り、静津ほどに髪が赤く目の色が赤い女子は、見たことがない。
(きっと、家に来る。母様と八重を人質にして、私を売り渡す)
であれば、迷うことはない。
自分から売り出しに行けばよいのだ。
村長の手を介さず、自ら身を差し出す。
村で一番の高級宿に行き、顔見知りの受付の女に、静津は息を切らしながら話しかける。
「おやまあ、静津ちゃん。そんなに息を切らして、どうしたの?」
「ここに、国のお役人様が泊っているでしょう」
「……客のことは話せないのよ、静津ちゃん」
「もし泊っていたらでいいの。赤毛赤目の女がやってきたって、そう伝えて。それだけでいい」
「静津ちゃん」
「大事なことなの。家族の身がかかってる」
宿屋の受付の女は何かを察したのか、一つ頷いて、にっこりとほほ笑んだ。
「疲れているようね。そこの椅子で休んでいて」
「姐さん」
「あんたはここに、あたしと茶飲み話をしに来た。それだけよね?」
それだけ言うと、受付の女は茶を出して、奥へと下がっていった。
出されたお茶に口をつける余裕はない。
じりじりと手に汗をかきながら待っていると、奥から国の官吏の制服を着た男達が足早にやってきた。
先頭を歩いていたのは、後に
「――赤い」
その喜びの色を帯びた言葉を聞いて、静津は右手を握り締めた。
彼女は、賭けに勝ったのだ。
きっとこれで、母と妹は救われる。
こうして、静津は身売りのような形で、
どのような目に合おうとも、そこに後悔はなかった。
殴られても、生贄にするために命を使われても構わない。
しかし、意外なことに、静津は丁重に扱われた。
夜中に気が付くと夫が隣で寝ていること以外は、上げ善に据え膳で、そこでようやく静津は、理由もなくちやほやされ続けることに自分が耐えられない性分なのだと気が付いたのである。
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