第三章 第七話


 翌日は、数日続いていた雨が嘘だったように、空が晴れ渡っていた。


 朝起きると隣に伊智いちの姿はなくて、すでに仕事に向かった後のようだった。

 昨夜は伊智いちの寝顔がすぐ近くにあってなかなか寝つけなかった。それでも、仕事の疲れと布団の温かさから眠気が少しずつやってきて、気が付いたら眠りに落ちていた。寝心地はよかったのか、起きたときには心も体もすっきりしていた。


 庭の掃除を終えたところで、なつめはぐっと体を伸ばして朝の新鮮な空気を吸い込む。

 待ちに待った青い空に、両手を広げて日の光をたっぷりと浴びた。

 今日は倫太郎りんたろうたち夫婦の見送りが控えている。二人に朝食を運び廊下に出たところで、文鳥のぴーすけが飛んできた。肩にとまるとぴーすけは、ふわふわの毛並みに包まれた体を小さく揺らして、用件を伝える。


「事務室にキテネ、事務室にキテネ」

「事務室? 兆司ちょうじさんが呼んでるのかな」


 ぴーすけは肯定するようにぴぴっと鳴くと、パタパタと飛び去った。なつめは、持っていた盆を台所に戻してから向かうことにした。


 事務室に入ると、兆司ちょうじだけでなく伊智いちの姿もあった。今日、伊智いちと顔を合わせるのは初めてだ。昨夜のことを思い出すと妙に気恥ずかしくて、ちゃんと目が見れない。

 同じ布団で寝るくらいなんてことないと言っていただけあって、伊智はいつもと何ら変わらないように見える。

 なつめは気を取り直して、兆司ちょうじに用件を尋ねることにした。


兆司ちょうじさん、ぴーすけに事務室に来るよう言われたんですけど」

「ああ、伊智いちにはちょうど伝えたところなんだが。なつめ、今日は午後から休んでいいぞ」

「え、いいんですか?」


 今日は終日勤務の予定のはずだった。


「ああ、昨日も夜遅くまで働いてくれてただろ」

「でも、大丈夫なんですか? 人手が足りないんじゃ……」


 休みをもらえるのはありがたいが、つい心配が勝ってしまう。


「大丈夫ではない。だが最近、上も勤務時間とか労働者の権利とかに、いろいろうるさくてな。足りない手は、どっかから借りてくるさ」


 兆司ちょうじはここの主で上司にあたる人はいないはずだから、上というのは黄泉の国からということだろうか。気になったものの、深く知るのもなんだか恐ろしいので黙っておくことにする。


「まあ、そういうことだから、ゆっくり休んでくれ。たまには息抜きしないとやってられんだろう」

「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」


 話が一段落ついたようで、なつめは自分の問題を思い出す。


兆司ちょうじさん、実はわたしの部屋の天井が雨漏りをしているみたいなんです。昨日の夜からなんですけど」

「なに、そうか。うちの建物も古くなってきたからなぁ。妖に修理を頼んでおく。今日中には直るだろう」

「よろしくお願いします」


 すると、傍で二人の会話を聞いていた伊智いちが「布団は?」と聞いた。


「濡れた布団は大丈夫なの?」

「朝洗って干しておいた。天気がいいから、夕方までには乾くんじゃないかな」


 朝から大労働だったけれど、晴れてくれたおかげで助かった。今日も布団がなかったら、また寝床を探してさまよう羽目になっただろう。


「なんだ、雨で布団まで濡れたのか」


 兆司ちょうじが眉を片方あげながら言う。


「はい。運悪く、ちょうど雨漏りしていた真下に置いてあって……とても寝れるような状態じゃないほど濡れてて、大変だったんです」

「そりゃ、災難だったなぁ。でも、それでお前、昨日はどうしたんだ? まさか、畳みの上で寝たんじゃないだろうな」


 心配してくれているのだろうけど、前のめりに聞かれるとやや圧が強い。


「いえ、昨日は……」


 慌てて説明しようとして、本当のことを言ってしまっていいのかと逡巡する。伊智いちをちらっと見ると、なんてことない顔をしている。伊智いちが問題ないならいいかと思い直し、なつめはありのままを話した。


「昨日は、伊智いちの布団を借りました」

「借りたって……じゃあ、伊智いちが代わりに畳で寝たのか。お前、結構優しいところあるんだな」


 驚きと感心の入り混じった顔で、兆司ちょうじ伊智いちを見る。


「違いますよ」


 伊智が煩わしそうに否定だけするので、兆司ちょうじは疑問符を浮かべている。


「あの、わたしが伊智いちの布団に入れさせてもらったんです。一緒に寝たんですよ」


 伊智いちがそれ以上何か言う様子もないので、なつめから伝える。半妖である兆司ちょうじなら、伊智いちと同じように大したことないと受け流すだろう。

 しかし、兆司ちょうじは目を見開き、口を開けてぽかんとしている。


「なっ……!?!? お前ら、一緒に寝たのか!?」


 兆司ちょうじが驚いていることに、なつめのほうが驚いてしまう。


「えっ、そ、そうですけど……」

「同じ布団で? 二人で寝たのか?」

「はい……え? だって、半妖ではそれが当たり前なんですよね? 家族だろうと友達だろうと一緒に寝るって……」


 それなのに、兆司ちょうじはなんでこんなに驚愕しているのだろう。どういうことなのか答えを求めて、伊智いちを見る。

 伊智いちは手で口元を抑えて、笑いを堪えているようだった。我慢できなかったのか、ふっと零れ出た笑みが聞こえてきた。

 困惑して、兆司ちょうじに視線を戻す。兆司ちょうじは何かを悟ったようで、呆れた顔をしていた。


「あのなぁ、なつめ。半妖でも、相当親密な関係じゃないと一緒の布団で寝たりしないぞ」


 もはや呆れを通り越して、なつめに同情の眼差しを向けている。

 頭の中で今言われたことをもう一度反芻して、完全に理解した。昨夜、伊智いちが言っていたことは、方便だったのだ。


「そ、そんな……」


 伊智いちにとっては何でもないこと、そう思えたからこそ抑え込めていた羞恥が押し戻ってくる。


伊智いち……!」

「ごめん、なつめ


 笑いは収まったようだけれど、伊智いちの目元はまだ楽しそうに細められている。


「嘘つくなんて、ひどい」

なつめだって、あの夫婦に嘘ついて一緒に寝させたじゃん」

「そうだけど……」


 まさかそんな反論が返ってくるとは思っておらず、なつめは一瞬だけ言葉を失う。


「あれは……従業員として……! お客さんに心残りがないようにって……だから、善意で!」

「俺だって、善意だよ? なつめが、風邪引かないようにって」


 そう言って、伊智いちは悪戯っぽく微笑む。


「そうかもしれないけど……でも……」


 なつめはしどろもどろになって、口を閉ざすしかなくなった。顔が赤くなっている自覚があったし、完敗した気分だった。

 言い合いに決着がついたところで、兆司ちょうじのため息が聞こえてくる。


「まあ、仲良くやってるようで、よかったわ」


 驚き尽くした兆司ちょうじは、今はもう文机に頬杖をついてそう言うだけだった。

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