リリィはとにかくヒロインで、だから私はヒロインになれない

野々宮ののの

第1話

「ねえ、なんで試験管に硝石しょうせき入れまくってるワケ?」

 いつもの実験室にて、リリィの不穏ふおんな行動。私は慌ててツッコんだ。


「え、あ、魔硝石?うん……」

 リリィは上の空だ。

「あ、ごめん。そうか。マキアが使うんだよね? この硝石」


「いらないわよ! 今日の実験に魔硝石は使わないの!! 研究棟ごと吹っ飛ばす気?」

 魔硝石は爆弾の材料にも使われる素材だ。試験管に放り込むはずがない。

 ミスと呼ぶにはあまりにもタチが悪すぎる。

 でも、リリィはおふざけでこんなことする子じゃない。真面目な子だ。

 ということは……。


「アンタ、あの医者と何かあったでしょ」

 私はリリィの手から魔硝石を奪い取り、ニヤニヤしながらカマをかけてみた。

「それで上の空ってワケ?」

 案の定、リリィは頬から耳まで真っ赤になる。


(図星かい……)

 げんなり。


「いや、別に、そんな、別に何も!!」

 首をブンブンと振り、ワタワタと慌てているリリィはまるで小動物のようだ。

 ふわふわの巻き髪が揺れる。あまりにも愛らしい。


「……もう今日は撤収にしましょ。私、爆弾魔と一緒に実験やるシュミはないの」

 皮肉を言ったら、フワフワと浮かれきっていたリリィもさすがにシュンとした。

「ごめん……」


「その代わり、詳しく聞かせてもらうわよ」

 ぐいと顔を寄せて上目遣いでささやいたら、真っ赤な顔のリリィはとびきり困った顔をした。


 実験室には私とリリィの2人だけ。周囲の目を気にする必要はないから、多少あけすけな話をしても問題はなさそうだ。


 ☆


「……それでね、先生が、ね」

 聞かせてもらうと言ったのは確かに私だけど。

 なしくずしに、糖分過多ベトベトの甘ったるいノロケを聞くことになってしまった。なにしろリリィは開口一番「先生のお部屋に、初めてお泊まりしたの」なんて言い出したのだ。

(これ、結構ツライかも)

 私は頬杖ほおづえをつく。


「ずっとこうやって抱きたかったって、言ってくれて」

 私は白目をきそうになるのを悟られないよう、平静を装った。

 リリィは恥ずかしがって、遠回りな言葉を選びながらノロケ続ける。とはいえ状況は察した。

 要するに、2人はついに一線を越えたのだ。

「ふ~ん……、アイツ、そういうの全然、ぜーんぜん興味なさそうに見えるのに、意外とアレなのね」

「アレって何よぉ」


 クスクスと笑うリリィ。私のことを女友達みたいなものだと思ってるに違いない。

 私たちはとても仲が良くて、ときにはこんな突っ込んだ“女子トーク”をしたりなんかする。

 リリィは、私の体が生物学上は男だってことを、もう忘れてるのかもしれない。いや、間違いなく忘れている。

 ノンバイナリーを標榜ひょうぼうしてる以上、そんなものはどっちでも構わないのだけど。


「初めてだから優しくしたかったんだけど、自分のこと抑えきれないって言ってた」

「うわ、なにそれっ! スケベなヤツね」


 リリィとヴィクトル医師の恋は順調すぎるほど順調だ。

 ……私の出る幕は全然ない。悲しいほどに。


 しかし、こんなにほうけていて、学業や生活は大丈夫だろうか。

 そう心配してしまうほどに、リリィのメンタルはフワッフワだった。


「なんだか、びっくりするくらい幸せで……私、もっともっと先生のこと好きになっちゃった」

「ああ、そうですかい」

 苦笑するしかない。

「そりゃごちそうさま」

 もうとっくにお腹いっぱいだ。


 ☆


「でもね、今回は土曜日の夜から一緒にいたんだけど、でも、相変わらず先生とは日曜日にしか逢えなくて……」

 リリィはしょんぼりした顔でミルクティーをひと口。


 ヴィクトル医師が営む小さなクリニックの閉院日は日曜だ。

 多忙な医者が唯一羽を休められる日曜は、逢瀬おうせの絶好のタイミングなのだろう。


「私は毎日でも逢いたいけど……でもお仕事の邪魔はできないし……」

 なんかウジウジし始めた。

「先生は忙しいからしょうがないんだけど、やっぱり寂しいし。なんだか、私ばっかり好きすぎてて、先生はそうでもないのかなって」

 バカも休み休み言え、と思う。

 はたから見てりゃよく分かる。この2人は、げんなりするほどに相思相愛だ。


 そういえば。

「……ねえ、一線越えたのに、まだ“センセー”なんて呼んでるの?」

 前々から気になっていたことを尋ねてみると、

「や、やっぱりよそよそしいよね?」

 リリィは目に見えて落ち込んでしまった。

「でも、もう8年くらいそうやって呼んでるから、今さら変えにくくって」

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