Return to Floor<対岸の身元調査室編>

雪象

プロローグ -世界「 」の外-

現し世のキオク

 あの子が、泣いている。

 大勢の前で、泣いている。


 靴を隠されて、教科書を破かれて、机にひどいことを書かれて、泣いている。


 誰一人として、彼女の側に寄り添いはしない。


 鼻をすすり、声を押し殺してうつむいて泣くその姿を見ているほどに、私にも感情が伝播でんぱして胸が締め付けられていく。


 駆け寄りたい。

 彼女の手をぎゅっと握って、背中をさすって。

 もうやめてと、叫びたい。


 だけど体が動かないの。

 教室中から一点に注がれる、その渦中へ飛び込むことができない。


 ――彼女がここで泣けば、今度は自分にもその視線が向けられる。経験上、それが解っているから強く歯を食いしばり、あごまで震えるのをなんとか抑えつけた。

 恐怖で動けない体、共感して泣くことが許されない状況、頭の中で自分を責める声が止まらない。


 こんなんじゃなかったのに。

 みんな仲良くしていたはずなのに。


 ――彼女の少ない語彙ごい力では説明できない感情。内側から体を突き動かす衝動と、行動に伴い訪れる未来をいくら天秤にかけても、泣いている彼女ただただ見つめることしかできなかった。


「ごめんね……」


 ――無力さと薄情さ故に自分へと募る失望に、ぎゅっとワンピースの裾を強く握るばかり。

 誰にも届かない、教室の喧騒にかき消された少女の言葉が空気に溶け込んでいく。

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