子、それは無邪気なる邪鬼

子どもというのは、恐ろしい。

無知が故に、無邪気で、恐ろしい。

善悪も、その中庸も、ないのである。

だから、なんでもできてしまう。

その無知が、無邪気が、いいように働くうちは、知的好奇心充足のための、無限大のエネルギーとなって、その子を高めるだろう。

しかし気付かぬうちに道を誤れば……

深い深い洞穴に、他者を、また自らを、陥れることになる。

子ども時代の記憶というのは、どうも妙である。

大人になった今の自分なら、「どうしてあんなことを言った/やったんだ?」と批評・反省したくなる、どぎつい言動の記憶がある。

まるで、別人。
自分なはずなのに、子どもだったというだけで、それは自分ではない、ような感覚。

私たちもまた、思い出したくない、思い出すべきではない、思い出すと自分にとって不都合な、罪深き過去の記憶を、大脳皮質の片隅に抱えながら、ちっぽけな封印呪符で押さえ込んでいるのかもしれない。