パートA
路地へと入り込み、分かれ道を直感で選ぶ。
高い建物の隙間はまだ日中だというのに薄暗く、薄気味悪さを演出している。そんな細道を駆け抜けるのはまだ幼い未成年の少女だ。
パーカーとスカートの裾を揺らしながら、少女は後ろから迫り来る漆黒のインナースーツに身を包んだ女性――カレンへと視線を向ける。
少女の走る速度は決して遅くない。むしろ素人目でも分かるほどの素晴らしい運動神経を見せつけていると言える。
だが生憎、相手が悪い。
その四肢は最新鋭の技術を用いて造られた特注のA.A義体であり、何よりもカレンという女性は相手が子供であろうとも容赦をするような性格ではなかった。
「もう、なにあのヘンタイッ! いい加減諦めてよ~! ほんっとキモ! ムリ!」
「うるさい」
「うるさいってなによ! キモすぎ!」
「……ウザ」
「やだ~キモいキモいキモい! どっか行けってば~!」
容赦なく悪態をつく少女の言葉に、律儀に反応しながらカレンは姿勢を低くして一気に踏み込む。
地面を滑るように肉薄するその手が少女の服を僅かに掠る。
その跳躍力に思わず目を見開きながら、少女はカレンが着地したのとは反対側の路地へと駆け込んだ。
しかしそれはあくまでもカレンの狙い通りだ。土地勘のない少女はその先が行き止まりであることを知らない。案の定、少女は建物の壁を前にして足を止めた。
「げっ……」
「鬼ごっこは、これでおしまい」
背後にはゆっくりと距離を詰めるカレンが、サングラス越しに冷たい視線を向けている。少女は困ったように表情を歪めながら、右手を強く握り締めて口を開く。
「少しくらい自由にしたって別にいいじゃん!」
「……悪いけど、これも仕事だから」
カレンは表情ひとつ変えずに歩み寄りながら、静かに答える。少女は話を聞いてもらえないことに苛立ちを隠そうともせず、眉間にしわを寄せて問い質す。
「誰に言われて来たの、クローディア? それとも別の誰か?」
「企業秘密」
「あ~わかった! ママに言われて来たんでしょ。最初からクローディアに取り入って、陰から私をずっと監視してたんだ! だからクローディアたちより先に私を捕まえて、連れて帰ろうとしてるんでしょ!」
「……何の話してるの」
不意に足を止めたカレンは僅かに首を傾げてみせると、ややあってからサングラスを外した。列車内での戦闘で殴られた痕が、目元に痣となって未だはっきりと残っている。
それを見た少女はやや動揺しながらも、カレンが口を開くのを待つ。
実際は数秒にも満たない沈黙は、二人の間にとっては長い時間のように感じられた。そしてカレンは静かにため息を吐き出してから、その視線を少女へと向けた。
「一緒にいた奴らにやられた。治療費と慰謝料くらいもらわないと割に合わない」
「そんなの、ママに言えばいいだけの話じゃん!」
「悪いけど、母親とやらも一緒にいた奴らも、私は知らない」
「え……違うの?」
「私はあなたを捕まえろって言われて来ただけ。だからあなたを通して、賠償してもらうことにした」
「なにそれ、わけわかんない……結局私に自由はないってことじゃん」
「あなたがどうなろうと、私には関係ない」
それは紛うことなく本心から出た言葉だ。
カレンにとって重要なのは目の前の少女の身柄を確保するという任務であり、少女の事情など一切知ったことではない。
「もういいよ。捕まえるって言うなら、私は逃げるから」
「それは無理。あなたにはもう逃げ道がない」
そう告げるカレンを前にして、少女は不意に口の端を吊り上げる。そして勝ち誇った笑みを浮かべてから身体を沈み込ませると、頭上へと一気に跳躍してみせた。
それは平均的な人間がジャンプ出来る高さを遥かに越え、隣の建物の二階辺りの壁を蹴って更に上へ。
「ふん、こんなんで私を追い詰めたなんて勘違いしな――」
勝ち誇ったように眼下へと視線を向けた少女が見たのは、こちらへとまっすぐに距離を詰めるカレンの姿だった。
壁を蹴って三階の高さまで到達した少女に対して、地面から直接その高度へと跳んでみせたカレンは、少女の目の前まで肉薄すると静かに言い放つ。
「――言ったでしょ。それは無理」
その言葉と少女の視界が反転するのは同時だった。
カレンが少女の身体を掴んで建物の屋上へと着地し、うつ伏せに組み伏せるまで、少女は自分の身に何が起こったのか理解することが出来なかった。
腕を背中に回され、関節の痛みで思考が現実に追いついた少女は視線をカレンへと向けると、感情の色を見せない青い瞳が少女を見据えていた。
「……ウソでしょ。私より高く跳べるカーミラ、初めて会ったんだけど」
「アタシはカーミラじゃない」
「人間なの? ほんとに?」
カーミラという種族はその外見からは考えられないほどに並外れた筋力を有している。
屈強な男性でなければ彼女たちを止めることは難しく、細身の女性が組み伏せたところで無理矢理にでも起き上がることが可能なはずであった。
しかし少女が力を込めようとも、カレンはまったく動じない。
理解の及ばない状況に困惑する少女を無視して、カレンは左手で魔導通信を開く。
真っ先に聞こえてきたのはコツコツという硬いもの同士が定期的にぶつかる音であり、そのようなヒールの踵を床に叩きつける癖を持っている人物はカレンの知っている限り一人だけだ。
「目的の少女を確保した」
カレンがそう告げると、通信相手はわざとらしい咳払いをしてから、澄んだ声で言葉を返す。
『うむ、ご苦労。ちなみにその子は曲がりなりにも御令嬢だ、まさかとは思うけど手荒な真似はしていないかい?』
「逃げないように組み伏せてるだけ。怪我はさせてない」
『そうかそうか。キミのことだから、てっきり不意打ちを受けた仕返しに同じことをやり返すのではないかと思って精神を擦り減らしていたが、どうやらボクの杞憂だったようだ』
「……アイズ。趣味が悪い」
名前を呼ばれた相手――アイズは嬉しそうに笑うと、待ってましたと言わんばかりに言葉を続けた。
『キミのバイタルはこちらで全てモニタリングしている。キミが何をしていたのかくらいおおよその見当がつくというものさ。といってもこれはあくまで任務の一環であり、ボクの仕事の範疇だ。どうか悪く思わないで欲しい』
「変態」
『確かに世間一般的な人間から見ればボクは変わり者に見えるのだろう、いやはや天才故の孤独というものだ。しかし今回は褒め言葉として受け取っておくことにしよう』
「それで、この後はどうするの。追手が来ているはずだけど」
『あぁその件についてだけど、須衣君が炙り出しをしてくれている。少々強引な手だがここはひとつ、ボクらの流儀というものを教えてあげようじゃないか』
「……つまり、どういうこと」
『守り抜いて欲しい。以上だ』
「はいはい。わかった」
通信を切ったカレンは周囲を見回してから、足元で拘束したままの少女へと一声掛ける。
「逃げたければ逃げればいい。でも次、逃げる素振りを見せたら、首の骨を折る」
「なにそれ、脅しってこと?」
建物の屋上に頬を押し付けられたまま、少女は不貞腐れた表情で尋ねる。カレンはその言葉に対して首を縦に振ってみせた。
「そう。それくらいじゃカーミラは死なないんでしょ。だったら逃げられないよう、一時的に動けなくするのが一番簡単」
「……じゃあ、もう逃げないからひとつだけ教えてよ」
「なに?」
「ここで暮らしてる人は、みんな幸せなの?」
唐突にそんな問い掛けをする少女の瞳は、純粋でまっすぐなものだった。
少女のことを何も知らないカレンはしかし、不思議とその水色の瞳に悪意を感じることは出来なかった。
それはどこか見覚えがあるようで、既視感にも似た何かだったのかもしれない。
だからこそ無視するのではなく、きちんと受け止めてあげなければ、向き合ってあげなければ無礼に当たると思った。
しかし話し下手なカレンは言葉に詰まってから思案の末、ややあってからゆっくりと口を開いた。
「……トーキョウのこの辺りは、特に治安が悪い。だから自分を不幸だと呪う人はいるかもしれない。でも今の暮らしに満足している人も、大勢いると思う」
真っ先にカレンの脳裏をよぎったのはネガティヴブルーの光景だった。
イルルギ家のみんなが、カレンは好きだった。
あの空間に自分が一緒にいること自体に違和感を覚えてしまうほど、心温まる居場所だ。人付き合いが多いとは言えないカレンだったが、素敵な家族というのはきっとイルルギ家を指すのだと思っていた。
娼婦仲間だって顔を合わせた時に少し話す程度でしかないものの、親切にしてくれる人は多いし、仕事の愚痴を言い合えるのは嫌いじゃない。
何よりも適度な距離感を保ったままでいてくれることが逆に有り難いというものだ。
何故ならこんなご時世、人に言えない事情の一つや二つ、誰だって抱えているのだから。
それはきっと、目の前の少女も同じなのかもしれない。
「……そっか。じゃあやっぱり、私は幸せじゃないんだ」
少女は何を思ったのか、カレンの言葉に対して諦めのこもった表情でそう呟いた。まるで憑き物が落ちたように大人しくなった少女から、カレンはそっと腕を離す。
少女はもう逃げ出そうとする素振りを見せなかった。代わりにカレンはそっと手を差し出すと、静かに告げた。
「立って」
「……うん」
上半身を起こした少女はカレンの手を取ると、俯いたまま立ち上がる。
お互いに無言のまま、屋上に備え付けられた室外機の駆動音だけが静かに響き渡っていた。
新たに魔導通信が入ってきたのはその時だ。カレンが回線を開くと、車の走る騒音と共に須衣の声が聞こえてきた。
『気を付けて、そっちにカーミラが向かってるみたいだ!』
「人数は?」
『正確には把握できていないけど二、三人くらいは目視で確認出来た』
須衣の言葉と物音にカレンが振り返るのは同時だった。
隣の屋上から着地した人影が一つと、下方から跳んできた人影が二つ。そして最後に遅れて屋上へと姿を現したのは、スーツ姿の女性たちだった。
「……全部で四人」
カレンは少女を庇うように一歩前に進み出ながら、須衣の言葉を訂正する。
『もう追いつかれたのか……! 急いで向かってるけど、交通量が多くてもう少し時間が掛かる!』
『最短ルートを移動中ですが、到着まであと数分は掛かると推定されます』
焦りの混じった須衣の声と、あくまでも冷静に状況報告するアンサーの声が順番に聞こえてくるが、既にカレンは通信にさほど意識を向けてなどいなかった。
眼前に立っている女性が、カレンと少女めがけて距離を詰めてきていたからだ。
カレンは僅かに目を細めると姿勢を低くして前へと踏み出す。
カーミラという種族の身体能力は人間と比較にならないほどに優れており、それは少女を追い掛ける過程で何度も経験していることだ。
しかし最新鋭のA.A義体を持つカレンにとっては、少し厄介な程度に過ぎないものだった。
相手が見かけによらない身体能力を保有しているというのであれば、それはカレンにも同じことが言える。そして最初にカレンへと距離を詰めた女性は、その判断を見誤った。
それは自らが普通の人間よりも優れているという驕りから生まれた、あまりにも無防備な肉薄だ。
俊敏さにおいてカーミラが持つアドバンテージは、今この場に存在しない。
両者が交錯した刹那、カレンはただ右足で蹴り上げる。その目にも留まらぬ速度に気づいた時には、そのつま先がカーミラの顎に直撃していた。
そして最も見誤ったのは、カレンの格闘術が持つ威力。
意識が飛び上がるほどの重い衝撃を受けたその女性の身体が浮き上がったのち、背中から倒れ込む。
残りのカーミラは目の前でいとも容易く意識を落とされた同胞を前に、思わずたじろぐ素振りを見せた。
しかし一番後ろにいた女性が一歩前へ出ると、カレンへと静かに言葉を発した。
「何者です。何故私たちがメトロリニアに潜伏していることを……いえ、この質問は最早意味がありませんね。何故邪魔をするのです」
その女性の顔は火傷で爛れたかのような有様であり、一般人であればあまりの痛々しさに直視することを避けたくなるほどの怪我だった。
しかしそれはカーミラの驚異的な再生能力によって細胞が修復していく過程であり、その正体はメトロリニア内で須衣に頭を潰されたはずのカーミラの女性だった。
「仕事だから」
素っ気なく答えるカレンの態度が不服だったのか、女性の握り締める拳に力が込められる。
しかしここでカレンの代わりに言葉を続けたのは、背後にいた少女だった。
「あれぇ、その声もしかしてクローディア? ブサイクになっちゃったね~」
その嘲笑の混ざった声は憎しみのこもった、明確な敵意を伴う言葉だった。
クローディアと呼ばれたカーミラの女性は少女へと視線を向けると、あくまでも冷静に言葉を返す。
「貴女は外の世界を何も知らない。貴女を連れ出した意味も、私たちの使命も理解出来ていない」
「そんなの知るワケないじゃん。だって私を閉じ込めたのはババアとママたち大人だし」
「理解出来ずとも構いません。ですがこれはカーミラの、いえすべての人類の未来の為なのです。さあ、私と一緒に来なさい」
「やだよ」
子供をたしなめるように話すクローディアと、即座に否定の言葉を返す少女。
カレンは両者を見比べてから、ゆっくりとクローディアへと問い掛ける。
「……嫌がってるけど」
「これは我々の問題です。貴女には関係のないことでしょう」
「そう」
「ええ。誰に雇われたのかは知りませんが、たった一人でカーミラ三人を相手にするなど命を粗末にするようなもの。ですから、どうかその子を引き渡してください。これ以上、余計な血を流すのはお互いに不本意でしょう?」
「……で、話は終わった?」
クローディアの言葉を全てを聞き流していたカレンは至って興味無さそうな表情を向けると、予め用意していた魔導通信を開く。
「アンサー、ブレード一本」
『軌道計算を行います、三十秒お待ちください』
「だめ。二十秒で」
『カレン様に当たっても文句は無しでお願いします』
アンサーへと短いやり取りを済ませると、背後の少女へと声を掛けた。
「さっきの続きだけど」
「え、あ、うん」
「あなたがなんで追われてるのか、なんで逃げたいのかは知らない。興味ない。でも――」
その少女は目の前の人物が得体の知れない何かであることを確信しつつあった。
黒いインナースーツを身に纏う女性からは、不思議なことに悪意や敵意といったものを感じられない。
仕事だから、という冷たい理由でここまで追いかけてきた女性に対して、無自覚のうちに興味を持ったという表現が的確だろう。
「――ここでの暮らしは、嫌いじゃない」
異なる世界で生きてきたカレンという人物の言葉に、仕草に、存在に惹かれつつあった。
だからこそ、その言葉と共に僅かに口元が緩むのを見た瞬間、少女が抱いたのは好奇心であり、同時に好意だった。
人生で味わったことのない衝撃を受けたような錯覚を覚えたのだ。
少女が見守る目の前で、カレンは一気に駆け出す。その速度は先程のカーミラよりも速く、クローディアが反応するよりも先に距離を詰める。
そして跳躍した勢いをそのままに膝蹴りをクローディアの顔面へと食らわせながら、奥で身構える二人のカーミラへと視線を向けた。
先手を打たれたことに動揺しつつも、クローディアの様子を確認するまでもなく残りの二人は動き出していた。
一人は最短ルートでカレンへと走り出し、もう一人は援護する形でやや遅れてからカレンを挟撃する。
着地したカレンは深く沈み込んだ姿勢のまま先に動き出した方へ対峙すると見せかけて、くるりと反転した。
既に腕を振り上げていたカーミラはその様子に驚きつつも、その腕を振り下ろす方が早いと判断した。
カレンとの距離は最早、目の先とも言えるほどで、そんな状況で背中を向けているカレンはあまりにも無防備だ。振り上げた腕に力が込められ、一瞬にして華奢な女性の腕とは思えないほどに膨張する。
あとはその一撃がカレンの背中に直撃するだけ。そのカーミラの脳裏にはカレンの身体が有り得ない方向へと折れる様子が浮かんでいた。
何を思って背中を向けたのかはわからないがカレンは丸腰であり、先にやられた二人のように格闘で戦うことしか出来ないはずだ。
そうなれば数的有利なカーミラは大胆な行動が取れる。仮にカレンがカウンターを繰り出して自分が犠牲になったとしても、残ったもう一人がその隙を逃さない。
打撃程度では致命傷に至ることはなく一時的に行動不能になるだけならば、カーミラにとっては犠牲にもならない。
その特異な身体能力を持っているが故に、肉を斬らせて骨を断つ戦法を厭わないのがカーミラという種族だった。
だが目の前にいる人物は、常識外の外敵と戦うことを想定された組織の人間だ。
異能に対抗する為の義体と、規格外の戦闘技術を保有する人間だ。生まれた種族への絶対的な自信と、矜持を持つが故に生まれた認識の甘さが、刹那の勝敗を分けた。
視界の外、彼方より飛来するのは先程カレンがアンサーへと指示した代物。
遠く離れた地点から軌道計算を行い、建物の隙間を縫って精確に射出されたのは灰色の刀身を持つ無骨な片刃の鋼刃ブレード。
陽の光を反射させながら高速で飛翔したその刃がカレンの背後に、即ちそこに迫っていたカーミラを脳天から切り裂いて屋上へと突き刺さった。
身体を両断され、突然の出来事に痛みを感じる間もなく倒れた肉片を尻目に、カレンは最後の一人へと跳ぶ。
突如、頭上から飛んできた鋼刃ブレードによって倒れた仲間を前にして判断が鈍ったカーミラへと距離を詰め、手刀を容赦なく振り下ろす。
辛うじて両腕を前に出して手刀を防いだカーミラへと真横から叩き込まれたのは、鮮やかな回転蹴りだ。
ボールのように何度も転がったのち、屋上の柵へと激突した女性が起き上がりの視界に捉えたのは、カレンが引き抜き投擲した鋼刃ブレード。
回避する隙を与えずに地面と平行に放たれた刃は、その首を容赦なく刎ね飛ばすのだった。
「すご……」
思わずそんな声を漏らした少女へと、カレンは無言で振り返る。
広がりゆく血の池と、四つの動かなくなったカーミラの中を歩きながらカレンは、疲れた素振りもなく、呼吸を乱した様子も見せずに淡々と呟く。
「つかれた」
「いや、絶対疲れてないでしょ」
思わずツッコミを入れた少女へと不審な表情を向けるカレン。
「なに」
「や、別になんでも……ない、です」
カレンは少女の目の前まで辿り着くと、正面からその瞳をまじまじと見つめる。
もう少しで額がぶつかりそうな距離まで近づいたカレンに対して、視線を泳がせながら少女は控えめに尋ねる。
「あの……えと……顔に何か?」
「別に」
「じゃあこれは……その、どんな意味が?」
「品定め」
「あ、うん……」
「まぁ、悪くない」
「な、なにが……?」
「顔。それから目と、髪も綺麗」
そう言ってカレンは少女の澄んだ水色の髪にそっと指を入れた。突然の出来事に少女は瞬きを繰り返しながら、この状況を必死に理解しようと努める。
「え、あ、ありがと……う? ところでなんで褒めてもらってるのかな……なんて」
「治療費か慰謝料もらえなかったら、あなたに身体で払ってもらう。その下調べ」
「か、からだ……!?」
動揺した少女はカレンの言葉を必死に飲み込もうとして、何度も心の中で反芻する。
「身体でって、私が知らない人に売られて……あんなことやこんなことされて……」
「なんで売らなきゃならないの。食べるのは私だけど」
「食べるの!? カーミラは不死身だからって、そういう趣味なの!?」
『カレン。子供相手に意地悪をするのはその辺にしておこうか』
その時、耳元から聞こえてきたのはアイズの上機嫌そうな声だった。カレンは少女から顔を離すと、アイズの言葉に耳を傾ける。
『須衣君も聞こえているね。ひとまず、情報整理をしようじゃないか』
背後からずっと聞こえているヒールで床を叩く音も、心做しか嬉しそうな気がする。
アイズという人物は言葉では本音と建前を使い分けることの出来る人物だが、その反面あまり感情を隠そうとしない。任務が順調に進んだ時はいつもこんな調子だ。
『保護対象の身柄を無事にボクらが確保することが出来たようで何より。任務続きであるにも関わらず、我が班はとても優秀な人材が揃っているようでボクも大変鼻が高い。まずはご苦労様だ。カレンは須衣君と合流したら、その子を連れてこちらまで戻ってきて欲しい。あぁもちろん、その子はくれぐれも丁重に扱うように』
「わかった」
『それから須衣君は別班が到着するまで現場の保持、到着後は現場の引き継ぎをお願いしたい。カーミラについてはまだ情報が少ない。再生速度も個体差がある可能性が高く、すぐに動き出す可能性もある。監視はしっかりと頼んだよ』
『わかりました』
『あぁそれから、須衣君にはもう一つ』
アイズは言葉を区切ると軽く咳払いをしてから、続きを口にした。
『君が保護した例の子が目を覚ました。帰投したら面会するといい』
『本当ですか、それは良かった』
『おや、キミが助けた相手にしては、あまり嬉しそうではない反応だね。どういう風の吹き回しかな』
『いえ……ただ、すぐに会いに行けないことが申し訳なくて』
『あぁなるほど、そういう……キミらしい理由だ。心配しなくてもボクが助けただなんて嘘を吹き込んだりはしていないから安心して欲しい。ボクもこれ以上の面倒事は願い下げだ、細かい話はすべてキミから頼むよ』
『わかりました。えっとちなみに、その子は』
『葵と、そう名乗っていたよ』
『あ、はい……葵さん、ですね――』
後は自らにとって関係のない内容であると判断したカレンは魔導通信を切ると、再び意識を目の前の少女に向けた。
魔導通信で会話をしている間、蚊帳の外だった少女はどうしていいかわからず立ち往生していたが、カレンの視線に気づくとじっと見つめ直して言葉を待つ。
カレンはしばらく口を開けては閉じるという行為を繰り返した後、魔導通信で最後に聞いたやりとりを思い出してから言葉を発した。
「えっと、何だっけ。名前」
「え? あ、えっと私は――」
『――アリッサ・ストラッフェ氏です。ちゃんと名前を覚える癖をつけることを推奨します』
少女の言葉を遮って、耳元でアンサーの声が聞こえてくる。カレンはここ一番機嫌の悪そうな表情を浮かべると、大きく舌打ちをしてから苛立たしげに口を開いた。
「黙ってて!」
「ひっ! ご、ごめんなさい……!」
「あ、いや。そうじゃなくて。今のはあなたじゃなくて空気の読めないポンコツに言っただけで」
溜息をつきながらカレンは、怒鳴られたと勘違いして竦み上がる少女に手を伸ばすと、その頬に触れた。
「あなたから直接、名前を教えて欲しいんだけど」
「あ、えっと……アリッサ、です……」
「じゃあアリッサ。まずは味見から」
「あじ……あじっ!?」
ゆっくりと顔を近づけていく。少女――アリッサの息遣いが顔に当たる程の距離で、その唇を重ねようと迫った瞬間。
『カレン、見てるぞー。どさくさに紛れて手を出そうとするなー』
魔導通信越しに聞こえてきたアイズの声に、カレンは動きを止めた。そして無言のまま舌打ちするのだった。
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