後ろの目
霜月華月
第0章 canbiamento(カンビアメント《変化》)
思わぬ一言が、人生を生きる上で回避不能な恐怖をもたらすことが時としてある。
池谷秀一郎(いけやしゅういちろう)「歪んだ世界」より
第0章 canbiamento(カンビアメント《変化》)
私立栄堂(えいどう)高校の窓から加城京(かしろけい)は外を眺めていた。空は雨模様でいっこうに激しい雨が止む気配はない。それを見て京は毒気付いた。
「ちっ、晴れろよ! 俺は今日傘を持ってきていないんだぞ。なんでよりにもよって今日なんだ」
京は毒気付きながら長めのショートヘアーを弄る。季節は六月。京はブレザーのネクタイを緩めながら毒気付いた。下駄箱に到着して空を見て再度舌打ちをした。舌打ちしても天気は変わってくれなかった。
京は自分の下駄箱の前に立ち、下駄箱を開けた。するとそこにはどういう事か折りたたみ傘が入っていた。
それと謎の封筒というおまけと共に。
流麗な綺麗な文字で加城様へと書かれていた。京はその封筒を手に取り首を傾げた。
「ラブレターか? いやいや俺に? そんな訳ないか。でもな、これ開けなきゃまずいだろう」
京は封筒に向かってにへらと頬を緩ませた。実は京はもてる、特に女性には何故かもてる。鈍感な京はその事に対してあまり自覚はなかった。だから突然の置かれていた便箋を見てもへらへらと笑うのを止めない。考えても結論は出ず結局京は封筒の封を開けた。中から出てきた手紙には流麗な文字でこう書かれていた。
加城様。突然の事で驚いておられる事と思います。今日のお昼頃から徐々に小雨が降り始め、その頃から加城様は独り言のように雨が止めと言っておられました。
私はその時に思いました。私は傘が二本あるので一本を加城様にお渡しすればよいと。 加城様は迷惑だと思われますが、どうぞ置いてある傘をお使いになってご機嫌を直して下さい。 私は加城様のご機嫌が不安定になると私まで不安になるのです。だから私の出過ぎた行為を善意と受け止めて下さい。
「……ラブレター? なんだこれ? うん? 便箋の中には何も書いてないな。それにしてもどこの誰だろう、しかし加城様ってやりすぎだろう。へへっ」
京の悪い癖は余り危機感を持たない事である。だから現に京は今口元をにやつかせている。そして一人で照れたように髪を弄り傘に手を掛ける。
「よう京。お前傘もってないんだろう? 俺のに入れよ」
突然京の背後から声が掛かった。京は顔をにやつかせながら背後に振り向くと、いつもの見飽きている同じクラスの同級生瀬上浩介(せがみこうすけ)だった。生真面目を着たかのような真面目な顔つきをしている。京は浩介に向かってびっくりしたかのようなポーズをとって言った。
「びっくりさせるなよ浩介!」
「はっ、折角傘に入れてやろうってのにその言いぐさか。ん? お前手に持っているのは傘か? お前今日は持ってきていなかったんじゃなかったけ」
京の右手、つまり傘に視線をやる浩介に、京は顔をにやつかせたまま口を開く。
「浩介、へへっどこの誰かはわからんが俺に傘を置いていったぞ。ほれついでに手紙だ」
そういいながら京は浩介に手紙を渡す。浩介はそれを受け取ると中を読み始めた。浩介は中をじっくり読むと眉間にしわを寄せながら溜息を付いた。
「お前ね……これおかしいだろう。というか気持ち悪いだろう」
「なにが?」
浩介の言葉に京はキョトンとした表情をした。そんな京に手紙を返してから浩介は言った。
「なにって全てだ。何だこれお前の狂信者かなにかか? お前の事お昼過ぎから見てましたと書いてあるぞ。まさか一日中監視していた可能性もあるだろう。それに手紙の内容が最早お前の従者のようになっているぞ。様はおかしいだろう」
「へへっ、なんだ浩介ひがみか?」
浩介は眉間に手をやりながら溜息を付く。
「ひがみじゃない。この手紙はなにかがおかしい。監視しているようなキーワードまるで従者のような口調。その挙げ句、加城さんじゃなく様だ。これはおかしい。こいつはお前の召使いか何かか? この文面から見るに最早その類だ」
腕を組んで渋面を顔に貼り付けた浩介に京はおちゃらけるようにして言った。
「浩介お前は考えすぎるのが悪い癖なんだ。純粋にお言葉に甘えてこの傘をだな」
「使うも使わんもお前の勝手だ。だがお前は危険意識が少ない。俺はそんなお前を心配してだな」
「分かった分かった。お前の忠告は聞くけど傘は使うよ」
浩介の忠告を軽く受け流すと、京は折りたたみの傘を開いた。そして再度にへらと笑いながら言った。
「人の善意はうれしいね」
京は傘を広げて浩介より先に外に出る。その後を浩介が追った。しかしこの時浩介が心に思った事はこうである。
(善意が悪意に変わらないとは言えない)
浩介のポリシーはまず異常事態があれば人を疑う事だ。浩介はこの京に起きた現象も既に彼の頭の中では異常事態と認識している。浩介はネットでも安全な所にしかアクセスしないし、日常生活でもなるべく危険な人間とは接触しない、それが浩介の生き方である。 それが自分の従姉妹である一乃橋楓(いちのはしかえで)から教わった全てだ。
従姉妹は警視庁に勤めていてなんでも異常犯罪者しか取り扱わない部署にいるらしい。年齢は二十七歳独身だ。誰かあの危険人物を早く嫁に貰ってやってくれと浩介は思っているが、本人の前では言わない。浩介も命が惜しいからである。
「京そこで待ってろ。お前今日CDショップに寄るんだろう。なんでも俺が持っているアーテストの曲の一曲前の曲が欲しいんだろう」
「ああ曲名はシャドウだ」
「そうかなら俺が来た方が早いな」
「待ってるんだから早く来いよ」
「ああ今行く」
その言葉と同時に浩介も校舎から雨が叩き付ける校庭に出る。その後京と浩介は正門から歩道に出て帰宅の徒についた。
京と浩介の仲むつまじい光景を一人の少女が下駄箱の隅から眺めていた。その光景を見て少女の口から歯が軋む音が聞こえる。
「京……そのCDは京にプレゼントする為に昨日私が買ってきた。だからその店に今日行ってもそのCDはない。あれはかなり珍しい物だったから他の店にもなかった。京、私はあのCDは苦労して手に入れたの、でも私は京の為だったらなんでもする……京、私は京の為に明日そのCDを貴方の家の郵便受けに入れといてあげる。そう京の大事な物は全て私が……。それにしてもあの男私の京に近づくなんて。よりにもよって私の京に。瀬上浩介、瀬上浩介、瀬上浩介、瀬上浩介、瀬上浩介、瀬上浩介、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、邪魔、京は私の物、京は私の物、京は私の物、京は私の物、京は私の物、京は私の物、京は私の物、邪魔は許さない、許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない……」
少女は小声でぶつぶつ言いながら下駄箱から雨降り仕切る校庭に出る。少女は手紙の内容等とは全く違い余分な傘など持ってはいない。つまり少女は今現在ずぶぬれである。そんな少女を奇異の目で見やる他の生徒が居るが、彼女の小言は強い雨脚によってかき消されている。
少女は髪と制服を雨に滴らせながら、じーと正門を見る。そうじーっと。京と浩介が消えた歩道に向かって視線を辿らせる。少女は京と浩介が消えた正門から右に曲がる加賀野通り方面の歩道に向かって歩き天を仰いだ。少女は人には聞こえない声でぼそりと呟いた。
「また……明日雨になればいいのに……」
この後少女は京の後を気付かれないように追尾した。少女にしてみれば京の行動などは全て監視しているので全てお見通しであった。その追尾している間、彼女の身体には雨が降り注ぎ、もう前髪から何滴の滴が垂れ落ちたか少女自体も感づいていなかった。
これを俗にFBI分類マニュアルでは「特別な基準で犠牲者を選び出し、こっそりつけ狙う捕食者」を定義とし、これを英語ではStalk(ストーク)といい現代ではストーキングと呼ばれる。このStalk(ストーク)こと忍び寄るの意味合いは今の少女にうってつけの言葉と言える。
この少女の行動が後に加城京と瀬上浩介、そしてこの少女を含む加城京を取り巻く人間の運命を変える事になるとはこの時誰も想像していなかった。
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