第27話 言葉
「出立は今夜、例の男と二人の少年も一緒にベングルへ帰れるぞぉ」
ノアールと紅蓮が事務所へ入るとすぐに所長に呼ばれて奥へと向かう。そして前置きも無く告げられた言葉に興奮する紅蓮と、その日が来たのかと沈む自分。
覚悟はしていたが実際その瞬間が近づいていると思うと激しく動揺してしまう。
「しかもグラウィンド公爵がベングルまで送り届けてくれるらしい。よかったなぁ。明日には懐かしのベングルだ」
「所長。ありがとうございます」
「いいって。その代わり帰って来たら休みは無いと思えよぉ?」
「勿論!働いて恩返しするから!」
拳を握り喜びをかみしめる紅蓮の横で、ノアールは共に分かち合ってあげられない自分に嫌気がさしてくる。レットソムがちらりと眠たげな目を向けたが、なにもいわずに紅蓮に騎士団の詰所に行って弟に伝えてきなさいと追い出した。
その背中に荷造りしてから戻ってくるようにと告げると「了解!」と軽快な返答が返ってきたが、もうその姿は事務所の外へと飛び出していない。
「どうした?旅立ちを祝福する気分じゃないって顔だなぁ」
「そりゃ心配ですから」
「帰ってこないかもしれないって心配か?それともまたなにもかも忘れてしまうんじゃないかって心配か?」
ノアールは椅子に腰かけて項垂れると「両方です」と答える。ただの帰省ではない。そしていつ帰ってくるのかの確約もできないのに、レットソムはまるで帰ってくるのが当たり前みたいに喋っていて。
「あいつのこと、信じてねえってことだな」
「そんなんじゃ」
紅蓮は信頼に足る人物だとノアールは今でも思っている。ただどこか抜けていて、やること全て大雑把すぎて不安が残るのだ。
「前にお前紅蓮の欲しかった物がなにか聞いたよな?」
記憶を失う以前の紅蓮は欲しい物を手に入れるためにバイトを始めた。欲しかった物がなにか忘れてしまったのに、欲しかった物があったということは忘れていなかった紅蓮。
彼は今でもその答えを探している。
「聞きました」
だから初めてここを訪れた時レットソムにその話をした。もし知っているのなら教えて欲しいと。その時は「知らない」とはぐらかされたが、ニヤニヤ笑う顔には知っているが教えないよと書いてあった。
その話をレットソムからするとは。
「あいつはフィライト国に来る前にここの言葉を勉強したらしい。でもああいう性格だから、現地で直接触れて覚えようと軽い気持ちで出てきた。伝説の魔術師が心配して持たせた術具は身につけていればお互いの言葉を翻訳してくれる便利な物だったが、長い道中で失っちまった」
両手を肩の高さで上げて所長が苦笑いする。いかにも紅蓮らしい顛末にノアールも力なく笑う。
「俺が出会った時の紅蓮は、それはもう酷いぐらいの片言でなー」
挨拶すら碌にできないほどだったというから、それは片言と呼べる範囲だったのかも怪しい。今の紅蓮からは想像もできない姿にノアールは信じられない思いでレットソムの話に耳を傾ける。
「あんなに明るくて前向きな性格の癖に同級生とも馴染めず、読み書きできない紅蓮は元々得意じゃない勉強も遅れていった」
「言葉が通じないって、やっぱり辛いことなんですね」
ノアールはフィライト国を出たことが無いので、言葉で困ったことが無い。学園では近隣の国につい学ぶので、これからも困ることは無いだろう。
紅蓮がどんなに苦しんで言葉を習得したのか。
考えたことも無かった。
「帰りたいって、思いつめた顔でいわれたら流石の俺も放っておけなくてなぁ」
「紅蓮が、帰りたい?」
「詰まりながら必死で言葉を口にした」
知らない国で、なにも頼りになるものが無い状態の紅蓮が孤独に押し潰されそうになったとしてもおかしくは無い。
それでもやはり今の紅蓮と、所長が語る紅蓮との違いに驚かされる。
「今こいつを国に帰せばフィライト国民がどんなに冷徹で、不親切なのかと疑われる。だから俺は紅蓮を引っ張り込んで働かせた」
言葉を話せない紅蓮を雇うのは利にはならない。手がかかり、必ず一緒に行動しなければ仕事にならないからだ。
負担が増すだけ。
それが解っていながらレットソムは紅蓮を受け入れた。
「喋れないことで消極的になっていたあいつを引っ張り回して、とにかく仕事をさせた。そりゃもう学園に通わせねえくらいに」
孤立していた紅蓮にしてみれば学園に通って授業を受けるより、レットソムと仕事をしている方が楽だっただろう。
「紅蓮が俺と知り合うまでの一年間どんなに孤独だったか想像つくか?」
素直に頭を振る。
一年間言葉の通じない場所で過ごすなど恐ろしくて仕方が無い。でも一年もその言葉を耳にしていれば聞き取り位はできるようになるはずだと疑問を伝えるとレットソムは重い瞼を閉じてその通りだと同意した。
「俺んとこ来た頃はなにをいっているのかは解ってたみたいだなぁ。でも喋りはびっくりするぐらい下手くそで」
それを口にすると今でも無口なのに喋らなくなるからとカメリアと二人、ぐっと我慢していたと笑顔で語る。
「喋らなければ上達は有り得ない。だからできるだけ多くの住民と触れあわせてやろうと思ってな。次第に道を歩けば声をかけてもらえるぐらいに知り合いが増えて、親しくなれば紅蓮の下手くそな言葉を笑うどころか親身になって聞こうと相手がしてくれる」
一緒に歓楽街を歩くとみんなが紅蓮に挨拶をして、あれこれと食べ物を手渡しては世間話を愉しんでいた。紅蓮といれば自然とノアールの顔も覚えてくれて、最近ではひとりで歩いていても笑顔で挨拶をしてくれるまでになっていた。
レットソムが紅蓮にしたように、紅蓮もまたノアールに同じことをしてくれていたのだ。
「下手でも伝えようと努力すれば必ず相手に届くってあいつは気づいた。仕事をすることで感謝され、必要とされる喜びを知ったんだよ」
「必要とされる……」
「お前はまだまだだけどなぁ」
笑い飛ばされてノアールは仏頂面を晒す。
「紅蓮は危ういと思っていたこの国で言葉と信頼を得て、仲間と居場所を手に入れた」
「じゃあ、紅蓮が欲しかった物って」
「自分が自分として存在できる確かな場所だ」
孤独な一年間を過ごした紅蓮が本当に欲しかったのは形がある物ではなく、信頼と居場所、そしてそこにいる仲間だったのだ。
「紅蓮はもう、手にしてる」
気付いていないが紅蓮は望んだ物を手にしているのだ。
「あいつは必ずここに戻ってくる。だからなにも心配することはない」
だから笑顔で送り出してやれと諭されて、ノアールは大きく頷いた。紅蓮の大切な居場所は故郷では無く、今はディアモンドにある厄介事万請負所なのだ。
そこに今はノアールも在籍しているのだから紅蓮の帰る場所の一部なのだと思いたい。
紅蓮の孤独と苦労を思い、鼻奥がじんと痛む。
「所長がいてくれて本当に良かった」
「なぁに。俺はあいつを振り回しただけで、全部あいつが自分で掴んだもんだからなぁ」
坊主頭を掻きながら少し照れ臭そうな顔のレットソムにノアールは感謝する。ポロリと零れた涙を拭って帰ってくることを信じて待とうと決めた。
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