第3話 愚者



「なあ。あれ本物か?」


 ノアールは夕方から紅蓮と共に厄介事万請負所こと“便利屋レットソム”へと行くことになっているのでその準備に忙しい。

 それなのにこの相室のベルナールは自分の口を動かすことに夢中で話しかけてくる。


 ラティリスからディアモンドに戻ってすぐ、リディアに連れられフォルビア邸へと出向き挨拶をして奨学金について頼むとあっという間に申請は受理された。

 そして今まで使っていた個室から相部屋へと移動し、ちょっとお喋りなベルナール・ギル・ソルビンという名の少年と仲良く部屋を使うことになったのだ。


 学年は一緒だがクラスは違う。一年生の時も違ったのでどんな人物なのか詳しくは知らない。お喋りなくせに自分のことはあまり語らないのだ。


「本物ってなにが?」


 答えないとずっと話しかけてくるので面倒だが“あれ”がなんなのかをまず知ることから始める。

 ベルナールは座っていた自分のベッドから身を乗り出して「あれだよ。あれ」と楽しそうに声を弾ませる。


「申し訳ないんだけど、僕たちは“あれ”で会話を続けられるほどまだ親しくない」

「なんだよー。ノリ悪いな」


 噂通りの生真面目さだなとベルナールが愚痴るが、文句をいいたいのはこっちの方だ。準備を済ませてから勉強室で明日の予習と読みかけの本を読みたいと思っているのに。

 相部屋になってから好きな読書も勉強もなかなか思うようにいかず、大体がベルナールに話しかけられて邪魔される。


 個室はやはり優遇されていたのだなと悔やまれるが、金額はやはり相部屋の方が安く、奨学金で賄うには個室は厳しい。


「悪いけど忙しいから」

「そんなの見てりゃ解る」


 解るなら察してくれといいたいのを堪えて、明日の授業の準備を済ませた鞄を担ぐと扉へと向かう。


「待てって。まだ終わってないだろ」


 部屋には入口を挟んで左右にそれぞれのベッドが並んでいる。

 その間が通路になっていて、部屋の形は細長い。

 窓側の奥に机と衣類や身の回りの品を入れる引き出しのついた棚が一人分。

 そして入口側にも同じ物が一人分。

 ノアールは窓側の奥の方を使っているので必然的にベルナールの座っているベッドの横を通る。


 その時腕を掴まれて止められた。


「だから、なに?」


 “あれ”が解らなければ本物かどうかの判断はできない。

 そもそも会話として成り立たないのだから時間の無駄である。


「今二年の男連中の中で疑問視されている“あれ”といったら“あれ”しかないだろ?」

「まさか“あれ”って“あれ”のこと?」


 うんざりしながらノアールはようやくベルナールの“あれ”について思い至り大きく首を振った。

 知らないという意志表示ではなく、答えたくないという意味なのだがベルナールはにやにやと笑って更に掴んでいる手に力を入れる。


「勘弁してよ」

「流石に触って確かめるわけにもいかないだろ?だから一番仲のいいノアールなら本物かどうか知ってるだろうし、そもそも大きくしたのはお前だって噂もあるし」

「なに?その噂」


 そんな噂が流れているとは初耳だ。

 なんという不名誉で真実味の無い噂だろう。

 本当に勘弁して欲しい。


「女子たちが是非ノアールに大きくしてもらいたいって期待を込めた目で見てるのに気付いてないのか?相変わらず勿体無いことしてんなぁ」

「それ!女子の中にも流れてるの!?」

「女子の中っていうか。元々女達がいい始めたからな」

「呆れた」


 確かに最近ノアールを見ている女子たちの視線が前にもまして粘度を増しているように感じていたが、まさか噂に踊らされたせいだったとは。


 恐ろしい。


「それ嘘だよ。僕がリディアの胸を大きくしたなんて、そんな魔法使えないし」


 数か月前まで子どものようだったリディアは夏を終える頃には見違えるように成長して、夏休み明けに登校して久しぶりに彼女の姿を見た同級生たちはみな驚き、女子は羨望と嫉妬の目を向け、男子は色めきだった。

 しょっちゅう顔を合わせていたノアールにはリディアの成長に恥ずかしながら気付いていなかったが、騒然とした様子に改めて眺めると確かに年頃の少女へと蛹が蝶になるかのように美しくなっていた。


「魔法なんか使わなくても、ノアールには知識という強い武器があるだろ?それに大きくさせるってのは──」

「やめなさい!」


 ノアールを掴んでいた手を離して指をわきわきと動かし始めたベルナールの頭部に鞄を落とす。

 教科書やノートが入った鞄はとても重い。

 ベルナールは「痛っ!」と前方にぐらつき、次には頭を抱えて布団の上に後ろ向きに倒れた。


「うをっ!痛え!マジ、やばい!死ぬ」

「死なないよ。それぐらいじゃ。大体下品すぎるよ、ベルナール」

「くそっ。じゃリディアを紹介しろ!おれが責任もって本物かどうか確認してやる!」


 押えた腕の隙間からノアールを涙目で睨みながらベルナールは性懲りも無く言い放つ。責任もって確認するとはいいながら、それはただ己の欲望を満たしたいがための行動ではないのか。


「だから下品だって」

「男の夢だろ!」


 ガバリと身を起こしてベルナールが瞳をキラキラと輝かせてノアールに同意を求めてくるがバッサリと斬り捨てる。


「僕は違うけど」

「それはモテる奴の余裕からくるクソ腹の立つ言い訳だ!本当は心の底ではおれよりずっと下品でエロいこと考えてるくせに!」

「勝手に決めつけないでよ。ベルナールみたいな下品な男をリディアに紹介するなんて御免だ。それに仲良くなりたいなら自分で努力しなよ」

「アレスには上級生を紹介したくせに!」

「あれは、仕方なく」


 取引上仕方なく紹介する事になっただけだ。

 なにもアレスの恋を成就させようという親切心からしたことではない。

 アレスは純粋な気持ちでローレンに近づきたいと思っていたが、残念だが下心満載のベルナールをリディアに紹介するなど以ての外である。


「畜生!ノアールは狡い!おれのために一肌脱ごうとか思わないのかよぉ」

「ごめん。全く思わない」


 なんにせよ人の恋路に関わるのはアレスのことで悔いた。

 慣れないことはするものではない。

 救いはアレスとローレンが中々いい雰囲気で付き合っているということだった。

 ノアールはなにもしていないのだが図書塔に行くと楽しそうに一緒に作業をしている姿が見られ、心がちょっと明るくなる。


 ローレンが付き纏わられて困っているということにならなくてよかったと心底ほっとしたのは内緒だ。


「ああ。女の子と付き合いたいなぁ」

「頑張って」

「胸が大きくて、可愛くて、ちょっと天然で、背が低くて、抱き締めたらすっぽりと腕の中に納まるような子と付き合いたいなぁ」

「……具体的すぎるよ」

「だから紹介してって言ってんだろ」


 ちょっと前まで変り者扱いしていたくせに。

 本当に人の気持ちは変わりやすく不可解だ。


「しないよ。逆に警告しとく。変な男が最近多いから、優しくされても信用しないように。特にベルナールには注意してって」

「おいおい!なんだよ、それ。おれだけ名指しかよ!」

「う~ん。僕にはよく解らないけど、男ってみんなベルナールみたいなんだろうなぁ。なんか心配になってきた」


 リディアは人との距離感を上手く把握することができない。

 それは六年間他者との距離を取りすぎて、最適な距離という物を育むことができなかったからだ。

 警戒心は強いので甘い言葉にほいほい騙されるということは無いだろうが、心を許した相手にはちょっと無防備すぎる所がある。


「それって子ども扱いなのか、それとも独占欲なのか。どっち?」

「へ?独占欲?違うよ。リディアは友達だし」

「おれ的に異性間での友情は成立しない。経験上」

「ベルナールと僕は違う」

「ま。いいさ。恋敵は少ない方がいいしな」

「ちょ、ベルナール」

「女に興味の無い男なんていない。ノアールはそれだけモテるのに誰とも付き合おうとしないし。お前ほんとにどっかおかしいんじゃないか?」


 もしかしてと言葉を止めてベルナールが疑いの目を向けてくる。

 ノアールは首を傾げてどんな疑惑を抱かれているのかと考えていると「そっちだったのか!?」と思いっきり距離を取られた。


「そっちって……?ばっ!違う!僕だって女の子に興味はあるし、それよりも今は魔法の方が優先だし!」


 男に興味があるのだと疑われているんだと気づいて全力で否定する。

 そんな噂を流されたら堪ったもんじゃない。


  それこそ不名誉すぎる。


「いや。異性間で友情が成立するとか思ってるっていうから」

「本当に勘弁して」

「じゃあ紹介してくれる?」

「その交換条件的な発言は却下。呑んだ時点でそっちの方だって認める形になるから。僕はみんなみたいに夢中になれないだけで、ちゃんと女の子を可愛いと思う気持ちはあるよ」

「淡白なだけか」

「ん。多分」


 外見で判断して中身を見ようとしないのは愚かだと思う。

 だがそれよりも恋愛感情に淡白でスタートラインにすら立とうとしないノアールはもっと愚かで軽蔑される人間なのかもしれない。


「ま。いっさ。恋愛は人それぞれ。てなわけでおれはおれなりに行動するから。止めんなよ?」

「え?」

「楽しみだなぁ~。本物かな~?」


 ぎょっとしたが笑いながら桃色の妄想を始めたベルナールにはノアールの声などもう届かないようだ。

 とにかくリディアには十分に注意するように言い含めることにして、当初の目的通り勉強室へと向かうことにした。

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