第22話

 前回の復讐から、俺の心の中では、二つの相反する感情が、未だに、せめぎ合っていた。

 

 復讐を遂げた後の、あのどうしようもない、空虚感。

 そして、それでもなお、心の奥底で燃え続ける、次なる復讐への、飢えにも似た渇望。

 

 俺は、その矛盾を抱えたまま、エリシアに連れられて、魔王城の、さらに地下深くにある、特別な訓練場に来ていた。


 そこは、以前使っていた訓練場とは、規模が違った。

 体育館が、十は軽く入るほどの、巨大なドーム状の空間。


 壁も床も、魔力を吸収する特殊な黒い金属で覆われており、あちこちには、高位の魔族が訓練でつけたであろう、巨大な爪痕や、クレーターのような爆発の跡が生々しく残っている。

空気が、濃密な魔力で、ビリビリと震えていた。


「貴方の『災厄の爪』は、一点集中の、鋭利な刃物。でも、それだけじゃ、国王直属の騎士団には届かないわ」


 エリシアが、空間の中央にそびえ立つ、巨大な黒曜石の柱を指差しながら、言う。


「貴方に必要なのは、盾。貴方の力を、全身に巡らせ、器そのものを、鎧と為すのよ」


 全身を、鎧に。

 その言葉に、俺の右眼が、期待に、どくん、と脈打った。


 もっと、力を。

 あの、虚しさを、忘れさせてくれるほどの、絶対的な、力を。


 俺は、目を閉じた。

 そして、心の奥底に、深く、深く、沈んでいく。


 国王。ヴェルナー。陽翔。

 あいつらの顔だけじゃない。

 

 俺を「素質なし」と嘲笑った、あの貴族たちの顔。

 俺の尊厳を踏みにじった、研究員や、兵士たちの顔。


 俺の存在を、無価値だと断じた、あの世界の、全て。

 その、一つ一つを、憎悪の炎で、丁寧に、焼き上げていく。


 右腕だけじゃない。

 足に、胴に、頭に、全身の、隅々の細胞まで。


 俺の全てが、憎しみ。俺の全てが、復讐。


「――――――ッッ!!」


 声にならない咆哮が、俺の魂から迸る。

 全身の魔法回路が、一斉に、灼けつくような熱を放ち、赤黒い光を明滅させた。

 右眼から溢れ出した、膨大な魔力が、俺の身体を、まるで繭のように、包み込んでいく。


 痛い。だが、それ以上に、心地いい。


 力が、俺の身体を、内側から、作り変えていく。

 黒と赤のエネルギーが、皮膚の上で凝固し、禍々しい装甲となって、俺の全身を、ゆっくりと、しかし、確実に覆い尽くしていく。

 手足が、胴が、そして、鋭い牙を持つ、冷たいマスクが、俺の顔の下半分を覆った。


 視界が、赤く染まる。

 世界が、変わる。


 俺は、ゆっくりと、自分の手を見下ろした。

 そこにあったのは、もはや、人間の手ではない。

 

 鋭い爪を備えた、漆黒のガントレット。

 拳を握りしめると、ミシリ、と、力が軋む音がした。

 全身に、これまでとは比較にならないほどの、万能感が、漲っている。


「……は、はは。ははははは!」


 笑いが、漏れた。

 そうだ。これだ。これが、俺の、本当の姿だ。


「これがあれば……これさえあれば、もっと完璧な、復讐ができる……!」


 俺は、目の前の、黒曜石の柱に、向き直った。

 

 あれは、国王だ。

 あれは、陽翔だ。


 俺は、ただ、憎悪の衝動に身を任せ、その柱に、突進した。


 ゴウッ!と、地を蹴る。

 その一歩だけで、床が、蜘蛛の巣状に砕け散った。


 速い。速すぎる。

 世界の全てが、また、スローモーションに見える。


 俺は、黒い弾丸となって、柱に激突した。


 ドゴォォォォォォンッ!!!


 耳をつんざく、轟音。


 訓練場全体が、地震のように、激しく揺れる。

 黒曜石の柱が、俺の一撃で、中心から、放射状に、粉砕された。


 その、圧倒的な破壊力。

 その、全てを無に還す、快感。


「ははははははははは! すごい! すごいぞ、これは!!」


 俺は、壊れたように、笑い続けた。

 理性が、憎悪と、力の快楽に、溶けていく。


 視界が、赤く、赤く、染まっていく。

 もっと。もっとだ。


 足りない。まだ、足りない。

 全てを、壊せ。砕け。無に、還せ。


 俺は、残った柱の残骸に、何度も、何度も、拳を、爪を、叩きつけた。


 もう、何も考えていない。

 ただ、目の前のものを、破壊する、という、純粋な、衝動の塊。


 その、狂乱の、只中で。

 ふわり、と。


 俺の、この、赤黒い、混沌の世界に、一筋の、清涼な光が、差し込んだ。

 それは、まるで、真夏の夜の、月光のような、優しく、そして、冷たい光。


「――レン、自分を取り戻して!」


 エリシアの、悲痛な叫び声。

 彼女が詠唱した、『月光の癒し』の魔法。


 その光が、俺の暴走する魔力を、優しく、鎮めていく。

 熱に浮かされた頭が、ゆっくりと、冷えていく。


 灼けつくような憎悪の炎が、穏やかな、凪の状態へと、戻っていく。


 やがて、俺の身体を覆っていた『災厄の甲冑』が、霧のように、掻き消えた。

 俺は、その場に、はぁ、はぁ、と、荒い息をつきながら、膝から崩れ落ちた。


 目の前には、黒曜石の、巨大な瓦礫の山。

 俺が、やったのか。これを。


 力の快感の余韻が、まだ、全身の細胞に、痺れるように残っている。

 だが、それと同時に、背筋を、冷たい汗が伝った。


 危なかった。

 あと、数秒、エリシアの制止が遅れていたら。

 俺は、完全に、理性を失い、ただ、破壊を繰り返すだけの、本当の、化物になっていた。


「……力は、麻薬だな」


 俺は、瓦礫の山を見つめながら、自嘲気味に、そう呟いた。

 分かっている。この力は、危険だ。


 俺を、確実に、蝕んでいく。

 復讐のための力が、復讐心そのものを、変質させ、ただの、暴力への渇望へと、堕落させていく。


 だが。

 一度、知ってしまった。


 この、全てをねじ伏せる、万能感という名の、甘美な、毒の味を。

 俺はもう、この快楽を、手放すことが、できそうになかった。


 俺は、心配そうにこちらを見つめるエリシアの顔を、直視することができなかった。

 

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