第15話

 魔王との謁見を終え、俺の頭の中は、厄介な問いでぐちゃぐちゃにかき混ぜられていた。


 大義? 価値? 知ったことか。


 俺の復讐は、もっとシンプルで、もっと個人的な、ただの憎しみの発露のはずだ。


 そんな混乱を抱えたまま、俺はエリシアに連れられて、戦略会議室とやらに入った。

 そこは、玉座の間とは打って変わって、冷たい合理性だけで構成されたような部屋だった。


 壁一面に、ヴァルハイム王国とその周辺国の巨大な軍事マップが広げられ、テーブルの上には、無数の駒と、未来の戦況を予測するためであろう水晶玉がいくつも置かれている。

 部屋の空気は張り詰め、まるで思考そのものが凍りつきそうなほどの緊張感に満ちていた。


 そして、そのテーブルの上座に、一人の女が座っていた。


 銀灰色の、切りそろえられた短髪。

 全てを値踏みするかのような、鋭い金色の瞳。

 

 寸分の隙もなく着こなした、軍服のようなタイトな服装は、彼女の怜悧な雰囲気をさらに際立たせている。

 額に小さな角、背中に折りたたまれた黒い翼。


 彼女もまた、高位の魔族なのだろう。


「紹介するわ、レン。こちらは、魔王軍が誇る最高の頭脳。参謀のアーシア・ミレニアムよ」


 エリシアがそう紹介する。

 そのアーシアが、椅子に座ったまま、俺の全身を、まるで虫でも鑑定するかのように、下から上までじろりと舐め上げた。


 そして、その薄い唇の端を、ふん、と嘲るように歪めた。


「これが、例の『切り札』? エリシア、貴女も随分と買い被ったものね。見たところ、ただ復讐に取り憑かれただけの、壊れた人間じゃない」


 その言葉は、刃物のように冷たく、俺のプライドを切り裂いた。

 カチン、と。俺の中で、何かが、はっきりと音を立ててキレた。


 こいつ、今、俺を、壊れてる、だと?


「……壊れてて、何が悪い」


 俺の口から、自分でも驚くほど低い声が出た。


「壊れたからこそ、奴らを壊せるんだろうが」


 そうだ。まともな神経のまま、人が人を殺せるか。

 まともな心のまま、あの地獄を生み出した奴らに、相応の報いを与えられるか。


 狂っているから、壊れているからこそ、俺は、俺の復讐を成し遂げられるんだ。


 俺の反論に、アーシアは眉一つ動かさなかった。

 ただ、さらに侮蔑の色を濃くした冷笑を浮かべる。


「感情的ね。そんな精神状態で、戦場で冷静な判断ができるのかしら。貴方のような不安定な駒は、計画を台無しにするだけよ」


 駒、だと?


 こいつは、俺を、俺の復讐を、盤上の駒の一つくらいにしか思っていない。

 その事実が、俺の怒りに、さらに油を注いだ。


「感情を殺したら、復讐の意味なんてないだろうが!」


 俺は、思わず叫んでいた。


「俺は、あいつらが絶望に歪む顔が見たいんだよ! 命乞いをする声が聞きたいんだ! そのために、この地獄を生き抜いてきたんだ! テメェのくだらない作戦のために、俺の復讐を汚されてたまるか!」

「レン、落ち着いて!」


 エリシアが、慌てて俺とアーシアの間に割って入る。

 だが、もう遅い。俺の怒りは、とっくに沸点を超えていた。


「うるさい!」


 俺は、エリシアの手を振り払う。


「俺に味方なんて要らない。指図も、同情も、大義名分も、何も要らない。復讐は、俺が、俺一人でやる!」


 俺はそう言い放ち、忌々しげにアーシアを睨みつけると、踵を返して会議室を飛び出した。


 分かっている。アーシアの言うことは、正論だ。

 戦略としては、それが正しいのだろう。


 だが、俺は、我慢ならなかった。


 俺の、この、血と涙と絶望で塗り固められた復讐を、こいつらの都合のいい「作戦」の一部にされてしまうことが。


 これは、俺の戦いだ。

 

 誰にも理解されなくていい。

 誰にも認められなくていい。


 孤独な、俺だけの、聖戦なんだ。


 背後で、エリシアが俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


 だが、俺は振り返らなかった。

 ただ、固く、固く拳を握りしめ、自分の内に燃え盛る、孤独な炎を、さらに強く燃え上がらせた。

 

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