第13話

 魔王城の一室は、墓場のように静まり返っていた。


 灯りは、テーブルの上に置かれた一つの魔力石が放つ、弱々しく青白い光だけ。

 その頼りない光が、羊皮紙の上に落ちる俺の影を、まるで亡霊のように揺らめかせている。


 カリ、カリ、と。

 部屋に響くのは、俺がペンを走らせる、乾いた音だけだ。

 

 俺は、一枚の羊皮紙に、俺の人生を、魂を、未来を破壊したクズ共の名前を、一人、一人、丁寧に刻み込んでいた。


 これは、儀式だ。

 俺の、新しい聖書。俺がこれから歩む、唯一の道標。


『復讐対象者リスト』


 そのタイトルの下に、名前が連なっていく。


 俺の腕から血を抜きながら、気味の悪い笑みを浮かべていた小男の研究員。

 お前の腕は、俺がこの爪で引き裂いてやろう。

 二度と、注射器もペンも握れないように。


 俺をゴミのように蹴りつけ、痛みに呻く姿を嘲笑ってい看守。

 お前のその分厚い脂肪を、一枚、一枚、丁寧に剥いでやる。

 骨と皮だけになるまで、絶叫させてやる。


 下っ端から、順番に。

 一人一人の顔を、声色を、俺に向けた侮蔑の視線を、鮮明に思い出す。


 そのたびに、右眼の奥が、ドクンと熱く脈打った。

 憎悪が、思考をクリアにしていく。


 どんな順番で? どんな場所で? どんな言葉をかけて? どんな表情をさせてから、息の根を止めてやる?


 その詳細な計画を、名前の横に、まるで旅行の計画でも立てるかのように、淡々と書き連ねていく。

 その時の俺の表情は、きっと恐ろしいほどに冷静で、だからこそ、狂気に満ちていたことだろう。


 ヴェルナー・フロイト。

 俺を「最高傑作」と呼んだ、狂気の科学者。

 お前には、俺が受けた全ての実験を、そっくりそのまま再現してやる。

 お前のその自慢の頭脳で、自分の身体が芸術品に仕立て上げられていく様を、最後まで克明に観察させてやる。


 国王アルキメデス。

 俺を「ゴミ」だと断じた、偽りの王。

 お前のその舌を、引き抜いてやる。

 そして、お前の築き上げた王国の民衆の前で、お前の全ての罪を告白させてから、玉座の上で血を流させてやる。


 そして、最後に。

 一番下に、俺は、その名前を書いた。

 ペン先が、震えた。羊皮紙に、インクの染みが、じわりと広がる。


 日向陽翔。


 その名前を刻んだ瞬間、脳裏に、消し去ったはずの記憶の断片が、幻のように蘇る。

 馬鹿みたいに笑っていた、あいつの顔。

『レンは俺の一番の理解者だからな!』と、屈託なく向けられた、太陽のような笑顔。


「――っ」


 俺は歯を食いしばり、その幻を、憎悪の炎で焼き尽くした。

 裏切り者め。


 お前には、最高の絶望を用意してやる。

 お前が手に入れた、その勇者という名の栄光、聖剣、民衆からの喝采、その全てを、お前の目の前で、俺が奪い尽くしてやる。

 そして、お前が俺にしたように、俺はお前の助けを求める声から、ゆっくりと、顔を逸らしてやるんだ。


「随分と、ご丁寧なことね」


 いつの間に入ってきたのか。

 部屋の暗がりに、エリシアが、まるで闇から溶け出すように、すっと立っていた。

 

 その声には、皮肉と、そして、ほんの少しの呆れが混じっている。

 彼女は俺の後ろから、そのリストを、感情の読めない瞳で覗き込んでいた。


「復讐は衝動じゃない。計画だ」


 俺は、リストから目を離さないまま、平坦な声で答えた。

 

「あいつらが俺に与えた絶望を、利子をつけて、きっちりと、公平に、返してやるだけだ」

「……貴方の心は、本当に、それだけで満たされるの?」


 エリシアの問いに、俺のペンが、ぴたり、と止まった。


 満たされる?


 そんなこと、考えたこともなかった。

 これは、満たされるためにやるんじゃない。


 これをやらなければ、俺が、呼吸の仕方さえ忘れてしまうから、やるんだ。


 一瞬の、沈黙。

 俺の心の、ほんのわずかな揺らぎを、この魔女は見逃さなかっただろう。

 だが、俺はすぐに、その揺らぎを心の奥底に押し込める。


「他に、何がある?」


 俺は、そう反問するのが精一杯だった。

 復讐の先に何があるかなんて、考えたくもない。

 考えてしまえば、この震える足が、止まってしまいそうだから。


 俺の答えに、エリシアは何も言わなかった。

 ただ、その紫紅色の瞳が、俺の背中に突き刺さる。

 その視線は、まるで、俺の魂の空虚さを、正確に見透かしているかのようだった。


 やがて、彼女は音もなく部屋を出ていった。

 後に残されたのは、俺と、魔力石の青白い光に照らされた、この禍々しい復讐リストだけ。


 俺は、リストの一番下、『日向陽翔』の名前を、俺の爪先で、強く、強く、なぞった。

 羊皮紙に、深い傷が刻まれた。

 

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