アンダーデンより

佐倉もち

Pro. 0日目


 世界は、一瞬にしてその姿を変えてしまった。


 少年は起きている現実を受け入れられなかった。理解ができなかった。当たり前にあった風景が、生活が、人々が。こんなにあっさりと崩壊してしまうなんて知りたくもなかった。

 呆然と、目の前に広がる残虐を眺めることしかできない少年を、隣に立つ少女は静かに見つめていた。今ここで生きているのは彼らだけのようだった。


「……なぁ」


 おもむろに少年が口を開く。掠れた声は、それでも少女の耳に確かに届いた。

 

「なんで、あいつらを助けなかった」


 少女に、受け入れられない現実に、震える声で少年は問いかけた。

 

「えっと……」


 少女が気まずそうに口を開く。少年はせめて納得のいく答えをくれと、声に出さず願った。


「――――」


「え……?」


 少女の言葉を聞いて、少年は困惑する。が、それも一瞬のことで。


「あ……あぁ、そうか。それじゃあ、しかたないよな……」


 全てを悟った少年は、その場にうずくまって泣いた。



 ――あなたは、誰ですか?



 *


 

「本当に、知らない世界みたいだ」

 少年はぽつりと呟いた。

「そんなに、変わってしまったんですか?」

 少女が気まずそうに尋ねる。あぁ、本当に何も覚えてないんだな。少年は淡い悲しみを隠して少女に向き直った。

「あぁ……本当に、良い場所だった」

 本当は、地獄みたいな場所だったけど。それでも、本物の地獄よりはマシだったと少年は懐かしんだ。

「そうですか……」

 俯いた少女に、少年はふーっと長いため息を吐いてから微笑みかけた。

「それで、どこまで忘れちまったんだ?自分の名前は言えるか?」

 改めて問いかけると、少女は少しだけ表情を暗くした。

「ぁ、えっと……私は、被験体009、です……」

 不安そうに答える彼女の姿に、少年は再びため息を吐いた。少女はビクッと肩を跳ねさせ、申し訳なさそうに少年を見つめている。

「あー、やっぱりかー……そうだよなぁ」

 目の端に涙を浮かべる少女に、少年は無理矢理笑顔を取り繕って話す。

「いいか?お前の名前はティナだ、オレたちが名付けた。決して被験体009なんかじゃねぇ」

 もう忘れるなよ。少年が祈るように告げると、少女は涙目こそそのままだったがぱぁっと笑顔を取り戻した。

「ティナ、私の名前……」

「そうだ、お前はティナ。そんでオレはファクタだ」

 少年が自分を指さして名乗る。ティナは少年の名前を刻むように反芻した。

「ファクタ……はい、覚えました」

「おう、よろしくな」

 ニカッと、ファクタは笑顔を向けた。


「……さてと、どうすっかなぁ」

 そう呟いてファクタは本日何回目かわからないため息を吐く。どんなに残酷で、理解できなくても、目の前の現実は変わってくれない。わかっているからこそ、いまの何が起きたのかすらわからない状況にファクタは困り果てていた。

「……あの、ファクタさん」

 おどおどと話し掛けるティナに、ファクタは一度考えるのをやめて向き合った。

「ん、なんだ?」

「私、ずっと施設で過ごしてて、気付いたらここにいて。何もわからなくて……ここはどこで何があったのか、教えてくれませんか……?」

 ばつが悪そうな様子で頼む彼女に、ファクタは少し考えてから話し始めた。

「オレもわかんねーことだらけだから、知ってることだけな。まず、ここはアンダーデン。オレたちが暮らしていた場所だ……今となっては、跡形もなくなっちまったけど。オレは十年くらい前から、お前は大体一ヶ月前から、ここで暮らしてる」

「アンダーデン?私が?どうして……」

「んなもん知らねーよ」

 戸惑うティナにファクタは無愛想に答える。

「そうですか……」

「なんか文句あんのか」

 凄む少年にティナは全力で首を振る。言いにくいが、ファクタはちょっとだけ恐い、雰囲気が。

「まぁいいや。そんで、普段は仲間と拠点で生活してるんだけどな。今日たまたまオレとお前は出歩いてて、ここで話してるときにアンダーデンはこうなっちまったってわけだ」

「……その、仲間のみなさんは?」

「あぁ、まぁ……生きてればいいな……」

 掠れた声で話す視線の向こうに、燃え広がる炎に包まれた街だったのだろうものがあった。

「……ごめんなさ」

「謝んな、お前のせいじゃねぇだろ」

 二人の間に沈黙が訪れる。すぐそばで火の粉がはじける音がした。


「とりあえず、拠点まで行ってみるか」

「……はい」


 *


 恐慌の時代、有力国の一つであるサイハテは一部地域の管理を放棄した。管理されなくなった場所では当然、犯罪は増加し、治安は悪化していく。サイハテに暮らす犯罪者やはぐれ者達は管理を放棄された土地へとこぞって移動した。

 サイハテの首都近郊に位置する環状線の内側、放棄された中でも最大規模のその場所はアンダーデンと呼ばれている。


「ここが、オレたちの拠点だ」

「……」

 ティナは言葉も出せないまま小さく震えている。目の前に広がる凄惨な光景は少女には刺激が強すぎたのだろう。

「まぁ、だろーなとは思ってたよ」

 反対に、ファクタは非常に淡々とその凄惨へと踏み込んでいった。ぐちゃり、と嫌な音が鳴ればティナがひぇっと声を漏らす。

「……ファクタさん、あの……あしもと」

「ん……あぁ、流石に踏むのは良くねぇか」

 吐き捨てるとファクタは踏み潰す寸前だった死体を両手で持ち上げ軽く投げる。ドサッという鈍い音が狭い室内に響いた。

「んー確かこの辺にあったと思うけどな……」

「……」

 狭い室内に転がる死体たちを完全に無視して探し物をするファクタを前に、ティナは絶句していた。内心、凄く引いていた。ドン引きである。

「お、あったあった!……ってなんだその目は」

「あの、その……ファクタさん、人の心ないんですか……?」

 恐る恐る尋ねれば、あぁ?と再び凄まれる。ティナは出会って数分の彼に苦手意識を抱いていた。

「だって、火事とか、その……死体とか見ても、平気そう……」

 ここに来るまで三回は吐き気がしたし、一回は吐いてしまったティナに対して、ファクタのそれはあまりにも冷静すぎるのだ。異常なまでに。

「あぁ……まぁ、仕方ねぇだろ。人が死ぬとことか、殺されるとこなんて何回も見てきたし」

 ここまで酷いのは初めてだけどな、と少年は自嘲気味に笑ってみせた。

「そう、ですか……」

「まぁ箱庭育ちのオジョウサマには刺激が強すぎたかもな。ついてこい、さっさと移動するぞ」

 再び湧いてきた吐き気を抑え込んで、ティナは腕を引かれるままズカズカと先を行くファクタについていった。


 *


 アンダーデンには様々な人が暮らしている。普通に生きられなくなった人間が次々とやってくる中で、彼らが紡いだ新しい命もまた行く先もなくアンダーデンで生きていた。

 ……まぁ、もう誰もいないんだけど。


「ここなら少しは落ち着くだろ」

「はい……ありがとうございます」

 ティナに頭を下げられ盛大にため息を吐いてしまった。

「礼言ってる暇があったら休めや」

「は、はい……!」

 有無を言わさないよう勢いで押してその場に座らせる。今はとにかく休息が必要だった。目の前にいる唯一残された命を失うわけにはいかない。

 バランス悪く座ったままきょろきょろとあたりを見わたすティナに、こみ上げる感情を抑えて向かい側へしゃがみ込む。

 これまで暮らしていた拠点、に引っ越すまで過ごしてたこの小さな建物は、思ってたとおり損傷が少なかった。オレの見立ては間違ってなかったらしい。

「屋根も壁もありますし、しばらくはここで生活できそうですね」

「だな」

 にこにことノー天気に喜ぶティナに、思わず口角が上がった。そんなオレを見てなにを思ったのかティナはそのまん丸な目でこっちを見つめている。

「……んだよ?」

「……いえ、なんでもないです」

「あぁ?」

 どういうことだと聞き返せば小さな身体をビクッと震わせてから黙り込んでしまった。

 お互いに掛ける言葉を見つけられないまま時間だけが過ぎていく。

「おい」

「……」 

「なぁ、おい……んだよ、寝たんか?」

 ぼんやりと外の気配に気を向けている間にティナは寝てしまったらしい。姿勢良く体育座りしたまま、かくんかくんと首を揺すってやがる。折れるんじゃねぇかってくらいの細さと動きだ。起こさねぇようそっと横たわらせてから、二枚着ている上着を枕と毛布の代わりに設置した。

「……んぅ」

「!?」

 寝息に混ざって小さくうなる声が響く。ギクッと身を強ばらせたが、ティナはくるりと寝返っただけで数秒後にはまた落ち着いた寝息に戻っていた。

「……ふふっ」

 寝れてんならよかった。

 本当に起こしてしまわないように細心の注意を払って彼女から離れる。少しだけ震える身体は気付かなかったことにして、オレは建物の入り口へと向かった。



 元から暗い場所ではあった。昨日までよりずっと、文明の明かりがなくなったアンダーデンを眺める。空までもがくすんだままで、クソみてぇな現実を加速させていた。

 いつなにが起きるかわかったもんじゃない、また昼間みてぇなことが起きるかもしれない。それでもオレは、あいつを生かさないといけなかった。

「……眠てぇ」

 拠点でもこうやって、夜は誰かが見張ってたっけ。見張り当番になったときはスゲぇ嫌だったけど、思い返せば交代制な分マシだったなとさえ感じる。

「……ぜんぶ、今更だけどな」

 拠点にあったあいつらを見て、どれが誰のかすらわからなかった。救えなかったなんて大義名分じみた後悔が、仕方なかったと理解していてもずっと、消えない。

 面白みの欠片もない空間は、次々と無駄な思考を産みだしてはオレの前に溜めていった。


「……暇だぁ」



 *


 目を開けて最初に映ったのは無機質な天井。次に気付いたのは、通り抜ける隙間風と被せられた毛布代わりのアウターだった。

「あれ……」

 あたりを確認しつつ眠る前の記憶を辿ると、一緒にいたはずの少年がいないことに気付く。ファクタと名乗った彼を探すため、眠い目を擦ってゆるりと立ち上がった。

「へくしゅ」

 冷え切ったコンクリートの床では布団代わりの布など焼け石に水だったようで、寒さに小さく身体が震えた。罪悪感を片手に薄い方の上着を羽織る。


「あ、いた」

「……ぁあ?」

 数分も歩かないうちに少年は見つかった。片膝を立てて座ったままこちらを振り返るその目つきは、昨日に比べていくらか覇気を失って見えた。

「……起きたんか」

「はい。……あの、えっと」

 とろんとした眼差しで力なく睨みつける少年に、持っていた上着を差し出し頭を下げる。

「これ、ありがとうございました」

 ぱちりと少年が瞬きをする。もう一枚借りていたことを思い出し、慌てて着ていた上着に手を掛けた。

「いい」

「……へ?」

 少年は私の腕から上着を抜き取り、白いTシャツの上に無造作に羽織った。

「寒ぃんだろ、着てろや」

 言ってる意味を理解するのに今度はこっちが瞬きをすると、少年は建物内へと進んでいた。

「んだよ……もたもたしてっと置いてくぞ」

「あ、ありがとうございます……!」

 振り返らずに歩くファクタに追いつくため小走りで後に続いた。


「あんまうまくねーけど」

 食っとけと手渡された固形食を頬張る。いつの間に、どこで手に入れたんだろうという疑問は久々の食事という感動に覆い隠されていた。

「水も飲んどけ。節約はしろよ」

「すみません、こんなに……」

 こくこくと水を口に含めば、固形食で乾いた口内が潤わされる。お礼を言おうとファクタを見れば、不機嫌そうにこちらを見ていた。

「どうか、しましたか……?」

 ファクタは、渡されたのと同じ固形食を飲み込んでから再度こちらを睨んだ。

「……それ。どうにかなんねーの、敬語」

「敬語、ですか?」

「ほら、また」

 言われて、あ、と気付く。

「すみま……ごめんなさい。つい、癖で」

 施設で過ごすうちに染みついてしまったのか、簡単には抜けてくれない。

「すぐに直せるとも思ってねーけど、知らねーヤツみたいでムズムズすっから」

 だから直せ。無茶苦茶に感じる命令だけど、不思議とそれが心地よかった。

「頑張りま……頑張る」

 言い直すと、ファクタは満足そうに頷いて横になった。

「オレぁ少し寝る。その辺で暇でも潰してろ」

 少年はこちらに背を向けたまま、数分しないうちにスヤスヤと寝息を立て始めた。

「寝ちゃった……」

 一人呟いても帰ってくる返事はない。念入りに確認してから少年の寝顔をのぞき込む。人は意識を失うだけでこんなに変わるのかと感心するほど、覇気のなくなった表情は幼く見えた。初めて会った時はいくつか年上だと感じたけど、実はそんなに年齢差がないのかもしれない。

(それにしても、全然起きないなぁ……)

 パタリと眠る姿は、呼吸に合わせて一定のリズムを刻んでいなければ死んでいると錯覚してしまう。先ほどの様子からして、余程眠たかったのだろう。私が寝ている間、ずっとあそこで見張ってくれていたのかもしれない。

「ありがとうございます」

 口にしてから、また敬語になってることに気付いた。



 *



 ――もう、疲れた。


 ただひたすらに暗闇の中を歩いていた。寒い、痛い、苦しい。押し寄せる思考は全部ネガティブで、生きるなんて無駄だと言い聞かせてくる。

(オレは、なんで生きてるんだっけ)

 目的もなくさまよう暗闇に、見慣れた人影を認識してハッとする。あぁ、そうだ。オレは彼女を生かすために。

「……ティナ」

 振り返った少女はオレを見て、キョトンとした顔で首を傾げた。

「――誰ですか?」


 目を開けてがばりと起き上がる。起き上がる?……あぁ、寝ていたのか。

「大丈夫ですか?汗すごいです……よ」

 傍らに座っているティナが心配そうにオレを見ている。少しずつクリアになっていく頭に、先程の光景が蘇った。

「おい、自分の名前は?ここはどこだ?オレのことちゃんとわかるか!?」

 のほほんとしたティナの両肩を掴んで問う。揺らされたティナは眉尻を下げて困ったように笑った。

「私はティナ、ここはアンダーデンにある建物、ファクタのこともちゃんとわかるよ」

 だから落ち着いて、そう言ってティナがオレの右手を握った。

「……そうか」

 わかるなら、よかった。音にならない声で呟いて、初めて異常に上昇した心拍数に気付かされた。

「体調悪いの?もう少し休んでみる?」

「いや、起きるわ」

 少し眠いが、また変な夢を見てしまいそうで嫌だった。頬をつねって夢に帰りそうな思考を現実へと引き戻す。隙間から入る光を見るに、寝ていたのは一時間くらいといったところか。


 ぼんやりとした視界で周囲を確認すれば、部屋の中央に見慣れないたき火がくべてあった。

「……それ、どうした」

「えっと、上着だけだと寒いかなと思ったので……を出てすぐの場所に薪とか枝とかがあったので少しもらって、マッチは荷物から拝借しま……した」

 勝手に漁ってごめんなさい、と気まずそうに俯かれる。見れば、持ち出したショルダーバッグの中身が何個か並べられていた。

 マッチと、ナイフと、太陽光で使える時計と、それから。

「読んではないです!」

 ティナの足下には、二冊のノートが並んでいた。

「……その、ノート」

 覚えてないんか、とは言えなかった。現実を直視するには、まだ時間が必要だった。

 二冊のノートのうち、綺麗な方を拾い上げティナに渡す。丁寧に両手で持ったノートをまじまじと見つめる姿は、お気に入りのエサを見つけた小動物みたいだ。

「これ、私に?」

「仲間の一人……リーダーが日記を付けろって。ない金費やして全員分のノートとペンを買って来てたんだ、勿論お前にも」

 リュックの奥に紛れてたペンも一緒に渡すと、ティナは目を輝かせてノートをパラパラとめくった。

「すごい……ちゃんと、私の記憶だ……!」

「……こっちはオレのだからな、絶対見んなよ」

 話し掛けても、すっかりノートに夢中なティナには聞こえてないみたいだ。諦めてもう一冊のノートをリュックにしまおうと手に取る。それから、なんとなく、本当に気まぐれで日記に一言だけ書き足した。



 ――



 6月20日


 あいつらが死んだ、オレとティナだけ生きのこった。

 これからどう生きればいいんだろう。

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アンダーデンより 佐倉もち @reureu_eikura

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